海部俊樹元総理ご逝去など

石破茂です。

昨年三月に設置された「安定的な皇位継承についての有識者会議」が議論をとりまとめて総理に提出、総理から国会に手交されました。

女性天皇や女系天皇について、「議論はかえって継承を不安定化させる」ので「機が熟するのを待つ」として、問題を完全に先送りしてしまったのは、とても残念なことでした。

天皇陛下のお立場が日本国憲法により「国民の総意に基づく」となっている以上、法律の一つである皇室典範の改正を含む議論は、政治の側が国民世論に向けて喚起する以外にありません。ただ待ってさえいれば「機が熟する」などということはあり得ないと私は考えますし、残された時間はそんなに多くはないという焦燥感に駆られます。この際、まずは男系継承論の主張を丹念に読み、よく吟味するところからもう一度始めたいと思っております。

通常国会開会前にオフィスの書類・書籍等を整理しなければならず、今週はこれにかなりの時間を費やしてしまいました。

たまたま残していた雑誌「諸君」(文藝春秋刊。とても好きな雑誌でしたが、現在は廃刊状態となっています)の2005年6月号掲載の「占領憲法の終焉」と題する記事の中で、当時自民党幹事長代理であった安倍晋三元総理が「憲法第九条の第二項では『交戦権はこれを認めない』とされているが、解釈でこれをしのぐのは限界にきており、この条文も含めて第二項は全面的に削除し、改正すべき」と述べておられるのを見て、これを読んだ当時の感慨を思い出しました。

ここで安倍元総理が述べているのは、今言われるところの「第二項全面削除論」であり「平成二十四年自民党憲法改正草案」であり、私のかねてからの主張そのものです。これがどうして「第一項・第二項はそのままに、第三項で自衛隊の存在を明文化する」という摩訶不思議な論に変わってしまったのでしょうか。

政治家が主義主張を様々な事情から変えるのは決して悪いことではありませんし、私自身も何度か自分の考えを変えて参りました。しかしそこにおいては「どのような理由で考えを変えたのか」という説明が必要なのではないでしょうか。

もしもその理由が「自衛隊加憲であれば通りやすい」というようなことだったのであれば、今一度この2005年当時の原点に戻っていただき、通りやすさよりも本来あるべき姿について論じていただけないものだろうか、と感じたことでした。

オミクロン株の感染の急拡大の要因の一つとして、米軍基地在住者との関連が報じられています。しかしこの件について、日米地位協定を論じるものはあまり見受けられません。

日米地位協定第9条は「外国人の登録及び管理に関する日本国の法令の適用から除外される」と定め、この「管理」に検疫も含まれるとされているため、在日米軍人および関係者は原則として日本の検疫体制に従うことはありません。

地位協定の正式名称は「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定」であり、日米安全保障条約と一体のものです。

その日米安全保障条約が、世界に例を見ない「非対称的双務条約」(当事国の果たすべき義務が米国の「日本防衛」、日本の「領域の米軍への提供」と、互いに全く異なる内容となっている条約)であるという事実は、あまり日本人には認識されていません。

この条約のあり方は、一方で「日本がアメリカ防衛の義務を負わない方が楽だし、基地負担は基地が所在する地域に引き受けてもらえばいい」といった非常に無責任な考えを無意識に生み出し、他方で米軍に「日本のどこにでも、どれだけでも、いつまででも、どのようにでも展開できる権利がある」と思わせてきました。

本来、安全保障法制を成立させたとき、ごく限定的にせよ集団的自衛権の行使を可能としたのですから、この関係にも多少の変化があって当然だったと思うのですが、そうはなりませんでしたし、これに言及する人もほとんどいませんでした。

今でも私は、在日米軍基地については米軍専用地域としてではなく、一義的に自衛隊が管理する駐屯地や基地の中に米軍が間借りする形にできる限りしていくべきだと思いますし、日米の防衛力の分担についても精緻な対話のもと、常に実行可能な具体的構想が共有されているべきだと思っています。

この問題も皇位継承と同じく、「機が熟するのを待つ」などという先送りは許されません。政治が強い問題意識を持って国民に語らない限り「機が熟す」ことはあり得ないのであり、在日米軍による大事故や大事件が起こってしまえば、その時に日米同盟は決定的な危機に瀕することになるでしょう。韓国やフィリピン、あるいは同じ敗戦国であるドイツやイタリアが地位協定の改定を実現し得たのは、国民世論を背景とする彼らの粘り強い努力とともに、集団的自衛権を行使してともに戦うという同盟の質の相違によるところもあったのではないかとも考えられます。

かくいう私自身、防衛大臣を拝命していた時は、国会で地位協定について質問された際、議論が混乱することを怖れて「今後も運用の改善で対処する」と定型的な答弁しかしてきませんでした。そのことへの反省も込めて、あるべき日米同盟の姿を追求していかねばならないと考えております。

なお、地位協定については「日米地位協定」(山本章子著・中公新書)、「知ってはいけない隠された日本支配の構造」(矢部宏治著・講談社現代新書)を興味深く読みました。

平成元年から二年余りにわたって総理大臣を務められた海部俊樹先生が91歳で逝去されました。

平成元年8月8日、党本部8階ホールで開催された両院議員総会において、参院選に敗北した宇野宗佑総裁の後任として海部先生が総裁に選出された際、私は当選一回の最年少議員として総会決議を読み上げたのですが、33年前のその時の光景がまるで昨日のことのようです。

政治改革の嵐の中で、我々若手議員は何度となく海部総理と面談して小選挙区制導入を迫りました。小選挙区制導入を掲げて解散・総選挙を断行しようとされたのですが、反対派にこれを阻まれ、結局退陣に至ります。その後の自民党離党、新進党初代党首就任、自民党復党などの際には様々な批判もありましたが、我々若手に対しても決して偉ぶることのない、表裏のない人柄の真っ直ぐな誠実で爽やかな総理でした。

当時の私のリーフレットに載せた「初当選は同じ二十九歳、君もがんばれと海部総理」というキャプションを付けた写真を見ながら、しみじみと過ぎし日々を思い出したことでした。
御霊の安らかならんことを切にお祈り申し上げます。

国会休会中の間に、できるだけ地元に帰りたいと思っているのですが、悪天候で予定が大幅に狂うことが多く、本日も雪のため空路・陸路とも欠航・運休となり帰郷出来なくなってしまいました。

15日土曜日は長い友人である田中学・元貝塚市議会議長の市政報告会でスピーチする予定です(午後2時・貝塚市市民文化会館コスモスシアター)。維新の会が強い大阪にあって、懸命に自民党の選挙の先頭に立って戦い、自民党所属青年議員の中心として活動してきた盟友のため、何かの役に立てれば幸いです。

皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。


編集部より:この記事は、衆議院議員の石破茂氏(鳥取1区、自由民主党)のオフィシャルブログ 2022年1月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は『石破茂オフィシャルブログ』をご覧ください。