オミクロンの蔓延をチャンスとせよ --- 田中 奏歌

先日、以下の文を書いたが、ここまで発言してしまっていいのかと考え投稿を思いとどまった。その代わり、感染と陽性者は違うということを投稿した(参照として「感染者増加は悪質な言換えではないか?」)。

しかし、オミクロン濃厚接触者のエッセンシャルワーカーを隔離したために医療崩壊が起こりつつある、という冗談にもならない本末転倒なことがすでに起こっている。濃厚接触者は感染者であり、本人またはうつされた人が発症し重症・死亡するという前提で物事が進められており、そのために罪のない病人がフォローされなくなっている。素人の対応ならその気持ちはわからないわけではないが、現在のオミクロンの状況を理解しての為政者の対応とは思えないので、結局、投稿することにした。

Maria Stavreva/iStock

はじめに言っておくと、私は感染症の専門家ではないし、私のこの投稿は私見であるので、皆さんが同意されたからと言って政府の方針が変わるまでは、粗雑な行動をすることはやめてほしい。以下のようなことを考えており政策に反映してほしいと思っているが、私自身、ワクチンは打ったし、マスクもうがいもするし、アルコール消毒もし、ふらふら出歩かない、たぶん検査で陽性になれば隔離されるだろう・・・ということを先にお伝えしたうえで、あえて以下のような提案をしてみたい。

最初に、先の投稿に書いたように、感染とはウイルスの体内での増殖なので、現在のオミクロン新規陽性者の増加は単純な感染者の増加と考えるべきではない。ウイルスの保有者が増えていることは確からしいが、無症状者が多いので、感染者が多くなったというのは正確ではない。ウイルスが体内へ侵入し、定着・寄生している「(いわゆる)保菌者」は増加していてもウイルスが増殖している「感染者」はそう増えてはいないように見える。

※正確にはウイルスは菌ではないので「保菌」という表現が正しいかどうかわからないがここでは便宜上、「保菌」とする。

いわゆる感染者(イコール保菌者)の減少を目指して対策している自治体があるが、そのためにコロナ陽性者以外の人たちの生活を犠牲にしている。そこに気づいただろう大阪の吉村知事は、蔓延防止ばかりを言っている場合ではないということで蔓延防止重点措置は求めず、全員を入院としていた対応を見直し、重症化リスクの低い人は原則として宿泊療養とすることを決めた。

これは、悪いことではなく正しいと思うが、大阪の対応理由は、全員入院を続ければ病床が逼迫(ひっぱく)するので蔓延防止対策が成り立たないということであり、残念ながらこれはコロナ対策の目的を間違っている。

もし陽性者が危険な兆候であり減らすべきなら、対策が成り立たないのではなく成り立つように主権制限でも何でもして対策すべきである。その意味では本質を間違えているが、沖縄・山口の対応はある程度正しい、でも大阪がそうしないのは、ことの本質、つまり陽性者全員が感染者ではなく、オミクロンは重症化しないしうつしても重症化させないので医療ひっ迫はしないだろうことに実は気づいているからであろう。

コロナの問題は無症状者の増加ではなく、重症者・死者の増加であるはずである。国民の命を守ることが大事であり、対策の目的は重症者・死者を減らすことであるとすれば、「保菌」してしまうことにおびえるのではなく、うつっても感染し発症しない、重症化しないならほかの人にうつしてもいい、と考えて対策をするべきではないだろうか。これがウィズコロナだろう。

吉村知事には「発症・重症化しなければ医療は崩壊しないので、問題の多い蔓延防止措置導入はしない」というふうに説明をしていただければありがたかったのだが・・・。

オミクロンの毒性を考えれば、ウイルスが体内に入っても重症化しなければいい、と割り切る時期に来ているのではないか。陽性者が増えることは悪いことではない、というゼロコロナからの価値観の転換である。陽性者をなくすることを求める限り、コロナ禍を脱出することは不可能である。

もちろん、オミクロンであろうと、発症してお年寄りや基礎疾患のある人が重症になる懸念はあるであろうが、それはインフルエンザや普通の風邪でも同じであり、インフルエンザより重症化率が高いというふうにはみえない。為政者が覚悟しなければいけないのは、重症者・死者をゼロにすることではなく、インフルエンザより重症者も死者も少なければそれで良しとするのである。

ウィズコロナが、ウイルスが体内に入っても重症化しなければいい、と価値観を変えることだとは言ったが、とはいえ、まだまだ発症してしまう人もいるだろう。そこで、保菌しても発症・重症化しないための、一番手っ取り早い対策がある。

免疫をもっと多くの人が持てばいいのであるが、それには3回目のワクチン接種も有効だとは思うが、一番早いコロナの免疫獲得方法はオミクロンを保菌して免疫を作ることだと思う。極端な意見に見えるが、いかがだろうか。

幸い、オミクロンの毒性は低いようであるので、オミクロンの蔓延を防ぐのではなく、蔓延するものとして、オミクロンとの共存を目指すということである。もっと言えば、ウイルスが体に入ることを恐れるのではなく、あえてコントロールして蔓延させ、健康な人は保菌して免疫をつける・・・くらいがいいのではないか。自然に蔓延すれば、コロナに対する集団免疫も自然に獲得できる。

もちろん、症状が出るとつらいし、まったく重症化しないわけではないだろうから、なかなか積極的に保菌者になれというのもむつかしいが、普通の感染予防策を取って、体調が悪くなれば周りにうつさないようにじっとしているというインフルエンザ程度の対応くらいがちょうどいいように思うのだが、どうだろう。発症すれば当然、家にいるしひどく具合が悪くなったら病院に行く。現時点では無症状でも家でじっとしていたほうがいいだろうが、それ以上の対応はしない、というインフルエンザなみの制限により、「いい具合に蔓延」しないだろうか。

むやみなPCR検査はせず、仮に検査をして陽性になっても、騒ぎ立てず、家でじっとしていてください、という程度にする。要はインフルエンザと同じである。

国民が、コロナウイルスを恐怖の対象としてみるのではなく、誰でもかかる病気の一種であるという考え方に変えることで初めてウィズコロナを達成できるのではないだろうか。

いくつかの観点から私見を補足してみよう。

  1. 安全より安心を優先したい人は、オミクロンについてまだ詳しくわからないのでどうなるか心配だとおっしゃる。しかし、現時点ではまだ詳しい解明はされていなくても、拡散スピードが速いことと無症状者や軽症者が非常に多いことはある程度把握できている。この状況で、ゼロコロナとウィズコロナのどちらが大事なのだろう。
  2. 一部に異論はあるが、ワクチンには保菌予防効果は少なく、それよりも重症化予防の効果が大きいとのことである。とすれば、ワクチン接種者はウイルスを保菌したとしても発症を防いだり重症化が防げそうであり、保菌することにより、さらにいい具合に免疫取得が期待できるかもしれない。
  3. オミクロンにはワクチンが効きにくいという話もあるが、そうであれば、これもなおさらオミクロンを保菌することにより、オミクロン用の新たなワクチン開発を待たずしてオミクロンの免疫獲得ができるだろう。
  4. オミクロンの次がどうなるかわからないが、次のタイプが出ても、ワクチンに加え毒性の少ないオミクロン保菌で強力な免疫を作っておくのは悪いことではないと思う。
  5. 今回の蔓延防止策はオミクロン対策の面がある。デルタがオミクロンに完全に置き換わったわけではないが、デルタにはワクチンが効いているようなので、現在の治療体制に加え3回目接種推進ができれば、蔓延防止策を緩和しても大丈夫だろう。
  6. 「陽性者が増えていること自体は危険なことではない」という価値観変更ができれば、自己負担削減など特例をつけることで、すぐにでもコロナを感染症2類からインフルエンザなみの5類への変更ができると思う。

(いわゆる)感染爆発を恐れず、健康な保菌者を増やすことのメリットは大きい。このようにして、多くの人がオミクロンにかかっておくことは、究極のウィズコロナの最短ルートだと思う。
まさにオミクロンはコロナを乗り切るチャンスではあるまいか。

今、政府が行うべきことは、①行動制限による蔓延防止や過度な保菌対策の指示・指導を緩め、②菅前総理がやったような3回目接種の強力な推進をし、③感染と陽性は異なること、保菌が必ずしも悪いことではないこと、蔓延や無症状者が免疫確保に寄与することなどの啓蒙をする、④万が一に備えた医療体制の整備をする、などによるコントロールされた集団免疫の確保であると思う。

今の岸田政権の政治の進め方を見ると、マスコミの顔色をうかがいながら政権運営をしているようなので、なかなか「陽性者数は参考である」「オミクロンで集団免疫を」とは言えないかもしれないが、そういう言い方をしなくてもそろそろ「感染者」を「陽性者」に戻し、インフルエンザなみの予防策推進に切り替えて、だましだましでもオミクロンを蔓延させてはいかがだろうか。

最後に、くりかえすが、多くの人の声になり政策を変えられればいいと思うのでこの投稿をしたが、あくまで私見であり、同意されたとしても、欧米のような極端な行動はしないで、政府の方針が変わるまでは、政府の言うような安全対策を守ることをお願いしたい。

田中 奏歌
某企業にて、数年間の海外駐在や医薬関係業界団体副事務局長としての出向を含め、経理・総務関係を中心に勤務。出身企業退職後は関係会社のガバナンスアドバイザーを経て2021年4月より隠居生活。