「感染者増加」は悪質な言換えではないか? --- 田中 奏歌

私は感染症の専門家ではないが、前から誤解をまねくのでは?とずっと気になっていた言い方がある。オミクロン株が出てきてその弊害がさらに大きくなってきたように感じる。

コロナ検査で陽性となった人について、危険性をあおるだけでなく政策を誤らせるもとになる「感染」という表現はやめたらどうか、というのが私の提案である。

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オミクロン株が出てきて伝播スピードが速くなったこともあり「新規感染者の急激な増加」と言われているがそれは事実なのだろうか。どうもそうではないような気がする。

どういうことかというと、「陽性者」と「感染者」「発症者」という言葉が混同されているからである。

当初、政府など公共機関はPCRなどの検査で陽性になった陽性発現者を「陽性者」と言っていたが、マスコミが煽りだしてから、「感染者」という表現に変わっていった。いい加減なマスコミが言うならまだしも政府や自治体が言うのは、間違いだし、ミスリーディングのもとになってしまったと思う。

コロナの発症までの流れは大きく分けると、ウイルスの①体内への侵入、②体内への定着・寄生(ウイルスは菌ではないがわかりやすく言えばこれが「保菌」)、③体内での増殖(これが「感染」)、④そして発症、というプロセスをたどるようである。

これを見てもわかるとおり、PCRや抗原検査で陽性であるということは必ずしも感染を意味しない。
いわゆる偽陽性の話ではない。検査での陽性発現と感染は異なるということを言っている。

PCR検査で偽陽性が多く出ることの問題はさておくとしても、極端な話、ウイルスが少数体内に入っていることで①・②の状態でも、検査の結果が陽性になることもありうるようだ。

しかし「感染」という表現は、コロナ以前は発症していない人については使うことはあまりなかったと記憶している。たとえば、「インフルエンザに感染した」「インフルエンザがうつった」というと、熱が出た、体がだるい、という「発症を指す表現」であることを考えればご理解いただけると思う。

もし、無作為に多くの人にインフルエンザウイルスの保有検査をすれば、多くの無症状者も陽性になる可能性があり、今の日本の表現ではインフルエンザの感染者は非常に多いということになるのではないか。毎年インフルエンザがはやるということは、年間を通じて一定程度の人が②のウイルス保有者であることにほかならない。

もちろん厳密には「感染したら発症しないようにしよう」という言い方もあっただろうが、一般的には「感染」イコール「発症」ではないだろうか。

風邪に負けないように体力をつけよう、というのは、保菌してしまうことを前提としてその段階でとどめて増殖・発症しないように健康でいよう、ということである。

つまり「感染」という言葉には、「ウイルスが体内で暴れまわり症状が出た」というニュアンスがあるので、コロナ検査の陽性発現者に対し「感染」という表現を使うと、感染者が増えたというだけで、多くの人が発症者が増えたような気がしてむやみに恐れることになる。

そう考えると、発症もしていないのに、「感染」と表現することは悪質な印象操作に見えるのだがどうだろう。

そういうことを前提として考えた場合、オミクロン株の陽性発現者の増加は何を意味するのだろうか。

上記で述べたように単純な感染者の増加と考えるべきではない。いわゆる保菌者が増えていることは確からしいが、オミクロン株は無症状者が多いので、感染者が多いというのは正しくないだろう。逆に、発症者・重症者・死亡者という観点で見るとオミクロン株は現時点では非常に毒性の低いウイルスであることがわかりつつある。

オミクロン株の検査陽性発現者の増加に対し、感染者増加という言い方は、人々に発症者が増えたような気にさせ、むやみに危機感をあおる結果になっているように思う。

コロナの問題は、無症状者の増加ではなく、重症者・死者の増加であるはずである。国民の命を守ることが大事であり、対策の目的は重症者・死者を減らすことであるはずである。しかるに、感染者の増加という表現をすることで、重症者・死者を減らす対策よりも感染者(つまり、多くは単なるウイルス保有者)を減らす対策の方を重視する結果となっている。オミクロン株に限らずウイルス保有者の増加はイコール発症者の増加ではないし、現在はワクチン接種は効いており重症者が減っている。そのうえ、特にオミクロン株は発症しても軽症者が多いので、感染という言葉で恐怖心にかられて蔓延防止という弊害の多い対策を取る前にやることが先にあるはずである。

欧米の一部ではすでにこのことを認識しており、オミクロン株だけでなくデルタ株に対しても、いわゆる(日本で言う)「感染者」の増加に一喜一憂することなく、重症者・死亡者を指標にして政策立案をしているように見える。

危機感をあおることで人々の対応を強化するということは一面では大事であるが、政策を誤らせると大問題であり、「感染者増加」という表現は、すでに政策を誤った方向に導きつつある。

岸田政権にはぜひこのことを理解し、「感染者」という表現はやめて「陽性者」「陽性発現者」という前の表現に戻していただけないだろうか。

田中 奏歌
某企業にて、数年間の海外駐在や医薬関係業界団体副事務局長としての出向を含め、経理・総務関係を中心に勤務。出身企業退職後は関係会社のガバナンスアドバイザーを経て2021年4月より隠居生活。