こんにちは。
今日は日本の教育制度のあり方について一連のご質問をいただきましたので、項目ごとにお答えする中で、私がどんな教育を理想と考えているかをお伝えしたいと思います。
ご質問1 以前著書の中で「知的エリートはいらない、大衆の平均レベルが高い方が良い」という趣旨をおっしゃっていたと記憶しているのですが、現状でもそういう見解でいらっしゃるのでしょうか?
お答え1 はい。ますますその確信を強めております。
基本的に知的エリートがなんでも決めて、大衆はエリートの指示に従うかぎり社会に受け入れてもらえるが、逆らえば居場所がなくなってしまうのが欧米社会です。
コヴィッド騒動が示した欧米上意下達型政治の危うさ
その欧米社会では、スウェーデンをほぼ唯一の例外としてほとんどの国の政府が、公式に都市封鎖(ロックダウン)やワクチン接種の義務付けを推進しました。
こうした諸国でコヴィッド-19の蔓延が抑制できたかというと、大いに疑問です。むしろ、デルタ株やオミクロン株はワクチンに耐性を持っているか、ワクチン接種を誘因としてさらに拡散する傾向が顕著です。
さらに、ワクチン開発において治験期間が3~6ヵ月ほどしか取れなかったため、5~10年どころか、2~3年先にどんなに深刻な副作用が出てくるかわからないにもかかわらず、感染自体が稀である上に、犠牲者はほとんど出ていない5~12歳の児童にまでワクチン接種を義務付ける国も出てきました。
こうした無謀な政策を推進するには、強引とも言える指導力、実行力を必要とします。
一方、日本の首相はコヴィッド-19の勃発以来でも3人の首相がそれぞれに優柔不断ぶりを発揮して、ついに国家によるロックダウンも、ワクチン接種の義務付けもできないまま、感染は終息に向かっています。
首相官邸のホームページでも「ワクチン接種を推奨するけれども、実際に接種するかどうかは本人の判断に任せます」、そして「ワクチン接種を受けない人を差別してはいけません」というごく常識的な対応に終始しています。
今や絶滅危惧種になりつつある欧米の良心的保守メディアから、このスタンスが絶賛されているのですが、これはまぎれもなく決断力も実行力もない人が政権トップに就くことが多い日本政治の利点だと思います。
ご質問2 日本の政治家が愚鈍なことで欧米の知的エリートに日本国民が搾取されるということはないのでしょうか?またその理由はなんでしょうか?
お答え2 もし、日本の政治家たちが欧米並みに知的能力の高い人ばかりになったとしたら、彼らは欧米の政治家たちに対抗して日本の大衆を守ってくれるでしょうか?
むしろ、自分たちも欧米並みに一般勤労者の50倍とか100倍とかの報酬を得るために、欧米並みの利権政治を日本でも推進しようとするのではないでしょうか。
何冊かの本で書いてきましたが、欧米の中でもとくにアメリカの政治家は、1946年に贈収賄合法化法が成立してからというもの、完全に大企業や有力産業団体の使いっ走りと化しています。
その実態は、多少の誇張を交えてですが、次の合成写真がよく伝えてくれています。
また、アメリカの連邦議会レベルの有力議員ともなると、たんに議員報酬とロビイストからの献金だけで稼いでいるわけではありません。
それに加えて、これからどういう法案が通るか、そうすればどんな株が上がるか、下がるかを前もって予測して、ポジションをつくっておくこともできます。これはもうインサイダー(内部情報)取引の典型ですが、なぜかアメリカの連邦議員には許されているのです。
ご覧のとおり、デイヴィッド・ショー以下のアメリカでも指折りの敏腕ファンドマネジャーたちの年間投下資本利益率が20~40%台で推移していたのに比べて、共和党上院院内総務のミッチ・マコーネルが67.6%、民主党の連邦化院議会議長ナンシー・ペロシが56.2%と突出した運用実績をあげています。
私は日本の政治家たちだけが飛び抜けて倫理基準が高く、清廉潔白だとは思えません。ですから、彼らが欧米の政治家ほどボロ儲けできていないのは、おそらくあまり頭も良くなく、優柔不断な人たちだからだろうと思います。
日本の大衆は、今までも日本の政治家によって守ってもらってきたとは考えていないでしょうし、将来も彼らに守ってもらうことなど期待せずに自分で自分の身を守っていくだろうと信じています。
「知的エリートだから特権を持つのは当然だ」という発想を受け入れない大衆が存在しているからこそ、日本社会全体が健全に保たれているのではないでしょうか。
カネで政治家や官僚を動かすことの弊害は社会全体に及ぶ
アメリカでは、この企業や産業団体がワイロで政治家や官僚を動かして自分たちに有利な仕組みを作らせることが正当で合法的な政治活動と認められています。
ここで忘れてならないのは、この白昼堂々とまかり通る利権政治の影響がたんに政・財・官界だけにとどまらないことです。
あらゆる企業、産業団体、職能団体が自分につごうのいいことをさせるためにカネを出すのは当然、そのカネを受け取ったらスポンサーにつごうのいい成果をあげるのも当然という風潮に染まっています。
非常に残念なことに、学術研究者の世界も例外ではありません。
アメリカの学術研究者の世界は、カネまみれになっています。この事実は、学者の業績をどれだけ学外の政府や財団などから研究助成や補助金を引っ張ってこれたかで評価することでもわかります。
最近では、日本のしかも国文学者でさえ、大学で永続講義権(テニュア)を取ろうとしたり他の研究機関に移籍しようとしたりする場合には、履歴書(レジュメ)に「外部資金導入実績」という項目を入れるのが必須になっているそうです。
幸か不幸か、国文学ではどんなに頑張ってもスポンサーに巨額の利益を生むような研究ができるとは思えないので、これはまあ「うっとうしい世の中になったものだ」で済みます。
しかし、企業に大きな利益を生む研究ができそうな学術分野では、もう圧倒的にカネの力で研究動向がねじ曲げられてしまいます。
感染症を扱う疫学もその典型でして、何かしら新しい病原体が発見されたら、まず既存のワクチンや治療薬では通用しないことを前提に膨大な研究開発費をかけて、その何倍何十倍もの収益が稼げるような新しい薬が必要だということに強引に持っていける研究者が優秀な研究者ということになってしまうのです。
その点、日本では東京医師会の尾崎治夫会長が正式にイベルメクチンの効能を認める会見をしたり、新潟大学の岡田正彦教授があまりにも拙速な経緯で実用に供されているワクチンの有効性に疑問を呈するといったことができています。
ところが、完全に製薬資本のカネの力で縛られたアメリカの医師や疫学研究者のあいだでこうした疑問を提起するためには、名声と社会的地位を放棄する覚悟が必要です。
コヴィッドワクチンの原型になったmRNAワクチン開発で主要な役割を果たしたロバート・マローン博士は、大手メディアによってニセ医学研究家呼ばわりされています。
またイベルメクチンについては、製造元であるメルクがコヴィッド-19に対する新しい経口治療薬を莫大な開発費を投じて開発中だったため、家畜の害虫駆除にも使えるほど安く手に入るイベルメクチンが感染後の重症化を防ぐのに効果的だということが広く知れ渡っては困るという事情があって、欧米では徹底的にポジティブな臨床研究成果が無視されてきました。
このへんの事情からも、欧米の巨大製薬資本は欧米の医師や学者たちはカネの力で懐柔しておく必要があるけれども、日本の医師や学者にはそこまでカネをばら撒く必要がないと見られているようです。
日本の医師や医学研究者の知的能力が軽視されているために、日本国民にとってはむしろ有利になっている事例だと思います。
ご質問3 ITやその他科学技術の世界で、何か革新的なものを生み出してきたのは天才と呼ばれるような人たちだと思います。そのような人たちが日本から出なければ技術面でアメリカに負けるのではという懸念を抱いていますが、いかがでしょうか?
お答え3 まず、先端技術分野で画期的な成果あげたのは天才ばかりとは思いません。多くの画期的な技術革新が無名の研究者たちの共同作業の中から生まれました。
技術革新で重要なのは一番乗りより普及過程
おまけに、ある技術革新がどこでだれによっておこなわれたかと、どこの国のどんな企業が実用化に成功したかも、ほとんど関係ありません。
IBMは今でも毎年の特許取得数ランキングでは上位の常連ですが、メインフレームコンピューターのガリバー型寡占企業だったころと比べると、見る影もないほど衰退しています。
ほんとうに画期的な技術革新は、どこのだれが開発したものであれ、ライセンス料を払ってでもうまく使いこなした企業に最大の恩恵をもたらすものです。
ときにはライセンス料も払わずに盗用した企業が大儲けすることもあります。
これは有名な話ですが、マイクロソフトのPC用オペレーションソフトは、ゼロックス社のパロアルト研究所から盗用したアイデアですし、オフィス用アプリパッケージのウィンドーズシリーズは他社から買収した技術を寄せ集めたものです。
さらに、統一された設計思想でさまざまな機能を切れ目なくこなすアップルの画期的なオペレーションソフトもまた、ゼロックス社パロアルト研究所の成果を盗んだものです。
また、仮に技術革新に天才の果たす役割が大きかったとしても、天才は育てようとして育つものではありません。
むしろ、神童と呼ばれるような子どもたちに早くから英才教育を施して天才に育て上げるという試みは、ハーバード大学を最年少かつ最優秀成績で卒業したウィリアム・ジェームズ・サイディスを始めとして、惨めな失敗に終わったケースのほうが、成功例よりはるかに多いのです。
天才の出現は、ある意味で天災の勃発と似ていて、いつどこで起きるかわからない偶発事象だと思います。
そして、天才はもともと凡人にはできないようなことができる人なので、わざわざ育てようとか、出現したらできるだけ優遇してやろうなどと考える必要などなく、いわば勝手に育ってくれるものだとも思っています。
生まれつきの天才にこの国に住みたいと思ってもらえるような国にすることは、ある程度まで可能でしょう。
実際にアメリカの一流大学は、こぞって世界中から優秀な学生を大学院レベルで招き入れています。
経済効率を上げたければ高等教育より初中等教育の充実を
ただ、知識産業の経済学的解明の先駆者、フリッツ・マハループが力説したように、GDP成長率などと有意な相関を示すのは、初中等教育の水準であって、高等教育の優劣はほとんどGDPに影響を及ぼしません。
つまり、一国の経済力を決めるのは、オフィスで企業戦略を立てるスタッフではなく、工場や店舗で生産活動の第1線に携わるラインワーカーだということです。
これはアメリカの知的エリートたちにはなかなか受け入れがたいことなので、今に至っても無視されつづけている実証経済学の成果のひとつです。
そして、初中等教育、とくに公立小中学校の充実度で言えば、日本は間違いなく世界の一流国であり、アメリカは先進諸国の中で最低グループに属しています。
日本でさまざまなデータを使った国際比較を見ると、「日本は諸外国に比べて遅れている」という結論を出すことは始めから決まっていて、この結論に達するためになかなか手のこんだ論理のアクロバットを演じて見せてくれます。
上の表を見れば日本の学童たち、中学生たちの理数系の成績は間違いなくトップクラスです。
でも、「日本は遅れている。早く手を打たないと取り返しがつかなくなる」と言いたいので、算数・数学や理科の学習が楽しいか、得意かといった主観的な評価が低いことを問題にしています。
もちろん、日本の子どもたちの中で比べれば、楽しく勉強できて得意と思っている子どもたちのほうが実際に成績もいいでしょう。
でも、外国の子どもたちと比べて自信がないことを気にする必要はまったくありません。
むしろ、外国の子どもたちの「数学は楽しい」とか「得意だ」という自己評価は、ほとんど根拠のない過剰な自信であり、日本の子どもたちの控えめな自己評価は目標設定が高いからだと考えるべきです。
日本から参加した学童生徒の平均点は、2003年の中学2年生の理科で6位に落ちた以外は、ずっと5位以内に入っています。
それでも、勉強が楽しいかという質問に「はい」と答えた比率は一貫して、国際平均よりずっと低いのです。
とくに、中学生になって習得すべき課題がむずかしくなるにつれて、日本から参加した子どもたちの平均値は国際的な平均値より大幅に低くなっています。
ご質問4 韓国や中国では壮絶な学歴社会で、それがエリートの大衆を導いてやるのだというメンタルにつながっているのではと思いますが、欧米もやはり似たような感じなのでしょうか?
お答え4 これはむしろ、正反対でしょう。先ほどご覧いただいた黄緑色に塗られた表でもおわかりのように、初中等教育の成績がいいのは圧倒的に東アジア諸国です。
ただ、韓国の場合、小学校段階からきびしい競争と選別にさらされているために、中学校の段階でもう競争から脱落して順位が下がる傾向が出てくるように思います。
大学入試でもきびしい受験勉強に耐えて一流校に入り、さらに就職時には英語の能力でまたふるいにかけられてといった子ども時代を過ごしていると聞きます。
成績のいい子どもたちほど教育を受けているあいだ中詰めこみに次ぐ詰めこみで、日本の学生の大学在学中のようなモラトリアム的な時期もほとんどないようです。
そのきびしい競争を生き抜いた優秀な学生であれば、たしかにエリート意識も持つでしょう。反面、挫折してどこかで成績競争の落伍者になると、自殺のような痛ましいことにもなるのだと思います。
この点に関しては、アメリカの大学で3年間だけ経済学を教えた経験から言いますと、公立の小中学校を出たアメリカの子どもたちは、とんでもなく高い自己評価を持って大学に入ってきます。
「数学は論理が明快で、正解・不正解がはっきりわかるから好きだ」という学生に小さな数を大きな数で割る計算をさせると、それがわかります。
たいていの学生が、小数点以下何桁ゼロがあってから意味のある数字が出てくるかといったことさえ、論理的に考えることができず当てずっぽうの答えを出すからです。
日本の子どもたちなら、ほとんどが小学校のうちに理解しているはずのことが大学生になってもわからないのです。
そして、とくに公立の小中学校の場合、とにかく授業に興味を持ってもらおうと面倒くさいことを省いて、おもしろおかしく教えて、ちょっとでも出来のいい子はまるで神童のようにほめそやすようです。
だから、基本的なことが理解できていないのに、口だけは達者で立派なことを言う、まったく現実離れした自己評価を持って大学に進学してしまう子どもたちが多いわけです。
さすがに、小中学校から私立のエリート校で学んで一流大学に入った富裕層の子弟はそこまで基本的な理解に欠けているケースはあまりないようです。
ただ、それだけ親はふつうの勤め人や工場労働者でも、自分の努力で知的エリートにのし上がったという人は少なくなっているはずです。
つまり、現代アメリカは日本だけではなく、中国や韓国と比べても世代間の階層が固定している閉塞的な社会だと言えそうです。
ご質問5 日本ではコロナ対策の助成金詐欺や煽り運転、ネット上の誹謗中傷など民度の低い連中がいるなと辟易するのですが、日本は大衆の平均レベルが高いと言えるのでしょうか?認知バイアスの問題で悪く見えるだけでしょうか?
お答え5 大衆はもちろん、いろんな人たちがいます。日本の大衆については悪いところばかりを見て、欧米については大衆がどんなに知的にも情緒的にも貧しい生活をしているかを見なければ、日本の大衆が優秀だと思えないのは当然だと思います。
コロナ対策の詐欺で言えば、政府がワクチン接種を強制しているような国は、権力を握っている知的エリートたちが製薬資本やゲイツ財団の丸抱えになって壮大な規模で詐欺行為をやっているのも同然です。
煽り運転はもちろん悪質な犯罪ですが、わずかなはしたガネのために平然と人を殺す人間が大勢いる国より劣っている証拠だとは思いません。
日本でのネット上の誹謗中傷は、直接面と向かって言えないことをネットでなら言えるという臆病な人間のすることでしょう。どんなに不愉快でも大した実害の出ることではありません。
今、ドイツではワクチン未接種者の自宅を調べ上げて、その家の壁一面にペンキで「ワクチン未接種者はガス室送りにしろ」という落書きを書く連中がいます。しかも、ドイツ政府は、その連中よりワクチン未接種者のほうを非難するという醜態をさらけ出しているのです。
リカレント教育はほんとうに学び直しなのだろうか?
ご質問6 日本では欧米に比べてリカレント教育(社会人の学び直し)が大きく遅れているとされており、大衆の平均値を底上げするという観点ではマイナスだと思うのですが、どう思われますか?
お答え6 たしかに、ご質問に添えていただいた下のグラフを見ると、日本は25歳以上になってから大学に入学する人の少ない国です。
でも、これってほんとうにいったん社会人になった人たちがもう一度大学で学び直しているということなのでしょうか。
トップ2ヵ国はともに、兵役義務が非常に重い国々で、おそらくなんらかの理由でほかの人たちが大学に行く年齢で兵役に就いていた人たちがやや遅めに初めて大学に入学するケースも多いような気がします。
アイスランドについてはよくわかりませんが、デンマークの場合ですと、同じ資料の中の模式図に出ているように、失業手当の給付を受けるには教育訓練を受ける義務がともなうという理由で、失業期間中に大学に行く人が多いのだろうと思います。
くり返しになりますが、知的能力の開発という意味では、大学のような後期教育は初中等教育に遠く及びません。
そして、初中等教育のうちになるべく均等に子どもたちの知的能力を伸ばすには、富裕層と中下層世帯との地域ごとの棲み分けを弱める必要があります。
でも、今でも厳然とした階級社会であるヨーロッパ諸国や、完全なクルマ社会であるアメリカではそこがどうしてもできないようです。
ご質問7 日本では欧米や中国に比べて博士号を持つ人が少ないと言われます。これは各分野のエキスパートを養成する上でマイナスなのではと思いますが、増田さんはどう思われますか?
お答え7 まず、添えていただいたグラフの中で、首位と2位がアメリカと中国であることにご注目ください。
これまた、くり返しに近い私の年来の主張になりますが、アメリカと中国は押しも押されもしない利権大国の東西両横綱です。
利権大国度が高い国ほど、博士号取得者が多いという現象には、それなりの理由があるはずです。
利権大国の政府が国民に押しつけてくる政策は、既得権益集団が大衆を犠牲にしてますます豊かになるように仕向けるわけですから、どう考えても常識的に無理だろうというものが多くなります。
当然、批判や反発にさらされますが、そのとき博士号という立派な学位を持った人たちがもっともらしい理屈を付けて政府の方針を擁護してくれれば、それだけ抵抗を緩和することが期待できます。
また、博士号が量産されるもうひとつの背景があります。
それは、学術誌がほぼ例外なく同輩による査読(Peer Review)を条件として論文を掲載するようになり、傑出した論文はめったに学術誌に載らず、ドングリの背比べのような凡庸な論文を大量生産した連中がお互いに引用し合って「業績づくり」をしていることです。
こうした空虚な業績で博士号を取得してしまった人たち同士が、もっと自分たちの権威を高めようとして、政府が推進する国策の応援団を務めるわけです。
さらに、中国の場合にはもうひとつ大きな要因が2014年まで影響していました。ご存じのとおり、中国は2014年まで「ひとりっ子政策」を掲げていて、原則として1世帯の子どもは1人だけしか認めていなかったのです。
この政策には2つ大きな例外規定がありました。ひとつは、少数民族であれば2人以上の子どもを持ってもオーケーということでした。
もうひとつが、夫婦のどちらかが博士号を持っていれば、何人子どもをつくっても大丈夫というものです。
中国が「知識産業立国」を呼号するやいなや、突如博士号取得者が増えた裏にはこうした事情があったわけです。
博士号取得が、エキスパートの育成に役立つかということとなると、工学系ではかなり効果がありそうですが、理学系、社会科学系ではあまり関係はなさそうですし、人文系となるとさらに関連は希薄でしょう。そもそも人文系は、昨今の大学教育では切り捨ての対象なのかもしれませんが。
ご質問8 アメリカにはUniversity of Peopleなど貧困層向けのほぼ無料で通える大学などがあったりMoocsという大学の講義が無料で受けられるサービスも進んでいるような印象ですが、どうしてエリートと大衆の知的格差が埋まらないんでしょうか?
お答え8 まず、アメリカの一般大衆のあいだでは大学教育を受けるための基礎的な思考訓練をほとんど経験していないので、ほんとうの意味での大学教育はたとえ無料で提供しても、受ける側の準備不足が大きすぎるという壁があります。
大学側もそれを承知していて、こうした貧困層向けの講義はたぶん日本で言えばカルチャーセンターの短期集中講義程度の内容でやっているのだろうと思います。
何しろ、アメリカと北朝鮮間の「軍事的緊張」が最高潮に達したときでさえ、世界白地図で北朝鮮の位置を示してくださいという質問への正解率が50%を超えたのは、大学院教育を受けたことのあるグループだけだったという国ですから。
編集部より:この記事は増田悦佐氏のブログ「読みたいから書き、書きたいから調べるーー増田悦佐の珍事・奇書探訪」2022年1月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は「読みたいから書き、書きたいから調べるーー増田悦佐の珍事・奇書探訪」をご覧ください。