ESGは資本主義を「より良いものにする」という触れ込みであるが、本当だろうか。
米国ではESGに対して保守陣営からの反発が多く出ている。その1つとして、RealClearFoundation Rupert Darwallの報告「資本主義、社会主義とESG」の要旨を抜粋で紹介しよう。
ESGとは、投資リスクを客観的に評価することだとされている。マイケル・ブルームバーグが資金提供しているサステナビリティ会計基準委員会(SASB)の目的は「気候変動リスクをはじめとするリスクを投資家がより的確に評価できるような情報開示体制を整えること」だとされている。
だが一方で、SASBは、資本市場の力を、政治的な目的のために利用することを目指している。コロナ・パンデミックが世界を席巻していた最中に、ブルームバーグは「気候変動がアメリカと世界にとって最大の脅威である」と宣言した。「ダーティなエネルギーをどのように代替するか?」「ダーティなエネルギーを生産する企業に報酬を与えるのを止めよう」と。このようにして、ESGは政治目的の追求の一つの手段となった。
気候変動リスクとは、主に将来の気候変動規制による潜在的なコストのことである。しかし、ESG基準設定者が要求する型通りの気候変動情報開示は、世界を均質な規制空間とみなしているため、根本的に間違っている。現実には、気候変動規制は国家によって制定され、ヨーロッパの一部では厳しく達成不可能なものがある一方で、世界の他の多くの地域では、そのような規制は事実上存在しないなど、様々である。
企業に一方的な温室効果ガスの目標を課すことは、ESG評価に縛られない企業との競争においてペナルティを課すことになる。これはレベル・プレイング・フィールドの真逆だ。企業が市場シェアを失い、事業を縮小することを強いることは、秘密裏に行われているダイベストメントの一形態と言える。気候変動の緩和に役立つことはなく、単に株主が損をするだけだ。
政府による気候変動規制の方が、ESGよりも効率的であるのみならず、民主主義的な正統性を備えている。推進派は、ESGは「インクルーシブな資本主義」を実現するために必要であると主張しているが、ウォール街の一握りの億万長者である寡占資本家(オリガルヒ)が振りかざす政治的権力は、むしろ「インサイダーによる資本主義」と呼ぶべきものだ。
億万長者の気候変動活動家・財団・NGOによる金融の武器化は、より高い生活水準を生み出す経済システムとしての資本主義の機能を低下させることで、私たちが馴染んできた資本主義に終末をもたらす脅威となっている。民主主義政府の政治的な特別の地位を簒奪することは、これに反発するポピュリストの台頭も招くだろう。
いまESGは、選挙を受けない人々が政治的優先順位を付けることで推進され、それによって不当に不利を被る企業があり、人々の生活水準を低下させている、ということだ。
日本でもこのような議論がもっとあって良いのではないか。
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