日本に浸透するロシアのプロパガンダ

北京五輪どころではない?

いよいよ、北京冬季五輪の開催まで残り1週間ほどである。2009年と同様に、よりパワーアップした経済大国であると誇示する絶好の機会と見てか、中国はコロナ対策の一環としてバブル方式を採用しつつ、厳戒態勢で準備を進めている。北京在住の市民の承諾を得ずに強制的にロックダウンを実施していることからその気迫が伺える。

しかし、世界から脚光を浴びたい中国には残念だが、国際社会の関心は欧州情勢の方に向いている。それはロシアがウクライナを侵攻する準備が整いつつある以上当然であろう。ロシアはウクライナとの国境周辺におおよそ10万人を配置し、人員だけではなく、兵器や装備なども部隊の下へ運搬しており、野営地の近くでは野戦病院も確認できる。状況証拠だけを見れば武力行使をロシアが意図していると思わずにはいられない。

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ロシアがなぜこのタイミングでこのような挑発的な行動に出ているのか分からないが、目的はモスクワからの発信からおおよそ明らかになっている。それは北大西洋条約機構(NATO)がこれ以上東方に拡大しないことを西側に確約させることにある。

NATOは元々、共産主義が欧州諸国を侵食しないための防波堤としてアメリカと非共産圏の欧州諸国との間で発足した同盟である。1949年に締結されたソ連を仮想敵とするこの同盟は、冷戦終結後も長らえ、今現在は旧ソ連の衛星国も含めた30カ国で構成されている。

ロシアの主張としては、冷戦の象徴であり、名残でもあるNATOが現存していることが許容できず、且つ西側が旧ソ連の勢力圏にNATOを拡大させないという約束を破ったとしている。

そして、上記のロシア側の主張は日本メデイアでも採用されており、ロシアの行動に対して同情的だと思えるような記述も見受けられる。例えば、信濃毎日新聞は社説で、NATO拡大こそがウクライナ危機の原因であり、西側がロシアとの「約束」を反故にしたことを批判している。また、朝日globeで掲載された記事でも、ロシアとの協調姿勢を示しながら、NATOが東方に拡大していったことを偽善的だと示唆している。

NATOは東方不拡大を約束していない

まず、大前提としてロシアと西側の間でNATOが東方拡大しないことは約束されていない。NATOが拡大しないという取り決めがあったと主張する人々(ロシアも含めた)はこぞって、当時父ブッシュ政権の国務長官であったジェイムズ・ベーカー氏の発言を槍玉にあげる。ベーカー氏に対して批判的な人々は、ベーカー氏がソ連の指導者であったゴルバチョフ氏に向けてNATOは「一寸も」東方に拡大しないことを約束したとする。

事実、「一寸も」NATOは東に広がらないという発言をしたことは確かであるが、ベーカー氏の発言を引用する人々はその発言がされた文脈、時代背景を全く顧みることをしない。まず、ベーカー氏が仮定の話している中で、東方に拡大しないと述べたのである。以下がベーカー氏の発言である。

もしNATOが清算されれば、ヨーロッパにそのような仕組みは存在しないことになる。ソ連だけでなく、他のヨーロッパ諸国にとっても、米国がNATOの枠内でドイツに駐留し続ける場合、NATOの現在の軍事管轄権が東の方向に一寸も広がらないという保証が重要であることを理解している。

上記の通り、ベーカー氏は仮定のシナリオについて話をしており、結局はそれは西ドイツからの了承は得られていないと述べて話を終えている。

また、注意しなければならないのがベーカー氏の有名な発言がなされたのは、彼がゴルバチョフ氏とドイツ統一後のNATOについて議論していた時であった。まだ、この段階では、NATOと対抗するためにソ連主導で創設されたワルシャワ条約機構が健在であり、ソ連はまだ崩壊していなかった。そのため、NATOが統一されたドイツより東方に拡大していくという事態をベーカー氏とゴルバチョフ氏は想定しておらず、議題にも上がらなかったと当のゴルバチョフ氏本人が認めている。

要するに、主に日本の新聞各社が主張するNATOの拡大に関する「約束」というものは存在しないのである。

なぜロシアの言い分を検証しない?

また、ロシアのNATOについての主張だけではなく、コソボ空爆とクリミア併合を同一視したり、ロシア系住民がウクライナで不当に差別されているという主張も前述した媒体は受け入れている。これらの主張は識者たちが不正確であると指摘しているし、大概それらの主張は穴は歴史の知識さえあれば見抜けるものである。

筆者は決して意図的に日本のメデイアが誤情報を広めてはいないと思うが、不勉強であるとは言わざるを得ない。また、このままロシア側の主張が一方的に発信される状況が続いてしまえば、日本がロシアのいかなる攻撃に対しても強い行動をとること」を困難にしてしまう。

ロシアにとっての戦場はウクライナだけではなく、遠く離れた日本でも情報戦争という形式で展開しているのである。

ウクライナだけではなく、日本も最前線

無論、NATO拡大の方針が完璧ではなかったことは疑いようがない。長らくソ連の圧政に苦しんでいた東ヨーロッパ諸国とNATOを恐れるロシアを仲介しながら、西側が双方の相互理解を図る方法は存在したはずであり、その点では反省はあるのかもしれない。

しかし、今回のウクライナ危機の最中においてロシアがNATOに対して抱いている敵対心は誇大妄想に過ぎないし、ベダプスト覚書でロシアがウクライナの主権を尊重している以上、その約束を反故にすることは果たしてよいのか。

ウクライナ危機から遠く離れた出来事ではない。日本のメデイアへとロシアのプロパガンダが浸透している現状、それがもたらす影響について考慮すれば、対岸の火事として認識しなければならない。ロシアの要求がなんであれ、それを一方的に武力で押し付ける事態を許容してはいけないのである。