石原慎太郎逝く:今こそ学びたいその「死生観」

石原慎太郎が亡くなった。筆者にとっての石原の魅力は、人の「生き死に」についてのその価値観、すなわち、彼の「死生観」に先ず指を折る。勿論、その颯爽とした立ち居振る舞い、そして悪態をついた後にニコッと微笑む仕草、また人目を憚らず涙を流す純粋さも人を惹き付けて止まないが。

NHKより

かつて同志だった橋下徹が石原を振り返り、袂を分かった時の会談で石原が漏らした「戦争を体験した者とそうでない者の違いかな」との言を披歴した。石原の「戦争観」や「国家観」は、十代後半の彼が傍聴に行った「東京裁判」で、下駄履きの音が煩いと注意された逸話が原点なのではあるまいか。

石原が、反中は無論のこと親米ですらなかったのは、彼の「東京裁判」でのこの経験に根差した強烈な祖国への愛情からのものだろう。それが具体的には日本の真の独立、つまりは日本人の手による「日本国憲法」の制定が必要だ、との主張に繋がったと筆者には思える。

石原の死に接して筆者が、作家としての数ある著作、肩で風を切った青嵐会の政治家時代、そして都知事としてディーゼル車規制、築地の豊洲移転、東京五輪招致や尖閣の買取りなどの治績ではなく、彼の東京裁判体験を原点にしたらしい「戦争観」や「死生観」を第一に想起したのには訳がある。

それは米国の戦争ドラマ「コンバット」。62年から67年に152話がテレビ放映されて人気を博したようだ。が、我が家のテレビ購入は61年だったので、筆者も観たはずだが余り記憶がない。まして米国による戦争正当化目的のドラマでは、などと思う年齢でもない。

それが偶さか昨年12月、YouTubeで「コンバット」全152話をアップしたサイトを見つけ、1月末までに130話を観た。子供ではないのでドラマの制作意図を想像しない訳ではないが、それを措いて筆者が受けた印象は、これは「戦場を舞台にした優れた人間ドラマ」というもの。

サンダース軍曹は寡黙だ。が、部下の躊躇には「命令だ、つべこべ言うな」、「我々がやらなければもっと多くの人が死ぬ」と叱咤しつつ、多くは敵との遭遇戦を避けて迂回し、必ず自ら先頭に立って敵陣に突っ込む。要は、自分や部下を犠牲にしても、部隊や味方全体を救うという使命を全うする。

戦争ドラマだから毎回味方も死ぬし、もちろん敵はその何倍も。だが大半は米国ドラマらしいハッピーエンド、筆者は3本に2本は落涙させられる。軍曹のリーダーシップ、そして彼の内心の細やかさを知るノルマンディーからの数名の部下らとの極限下の交流に心を動かされるからだ。

2月1日の電子版『日経ビジネス』は、「追悼 石原慎太郎氏、震災から7年後に明かした『天罰発言』の真意 『いつから日本人は自分のことだけ考えるようになったんだ』」を載せた。「追悼の意を込めて、2018年3月29日に掲載したインタビューを再掲します」とあり、3.11東日本大震災から7年後に当時を振り返った記事の再掲と知れる。

インタビューは記者が冒頭、「震災の直後、石原都知事は東京消防庁のハイパーレスキュー隊を現場に派遣しました」と水を向けて始まる。石原都知事は、官邸から「高層ビルの火災の際に使うような、高いところに放水できる能力を持つ消防車を動員してほしい、と再度要請された」そうだ。

石原はこう述べる。

そう言われて、私は重い決断をしなければならなかった。当時、現地の状況は全く分からない状況だった。壊滅した原子炉から、どれほど多量の放射能が漏れているかも分からない。そんな危険な現場に、レスキュー隊を派遣したら、死者がでるかもしれない。若い隊員が被爆したら、その人の子孫にまで影響が出てしまうかもしれない。しかし、自分が行くわけにもいかない。過酷な現場できちんと任務を遂行するためには、訓練された隊員に任せるしかない。とにかく、戦地に赴く兵隊さんを送り出すような心境だった。

さらに「苦渋の決断だった」と水を向ける記者に、石原はこう続ける。

原発事故は東京だけの問題じゃない。日本全体の問題だった。東京は日本の「要」であるし、東京にしかない能力も備えている。実は、私のところに様々な情報が入ってきていた。アメリカ政府が東京の大使館員に関東から退避するよう命令を出していたことも(報道が出る前から)耳に入っていた。福島第一原発は、容易ならぬ事態に陥っていた。だからこそ都知事として、私が逃げ出すわけにはいかないと覚悟を決めた。

 

記者は、任務を終えて東京に戻ってきた隊員に対して、石原が「日本国民を代表して感謝する」と深々と頭を下げたシーンが印象に残っている、というと石原はこういう。

戦争や大規模災害などが起きた時、トップに立つ人間は部下を危険な場所に送り込まなければならない。極論を言えば、「お国のために、お前、死んできてくれ」と言わなくちゃいけないんだから……。

公務員というのは、日頃からいろいろと文句を言われたりすることがある。でも、警察官とか消防官とか命を賭して戦ってくれる人、日本国を守ってくれている人に対して、最低限の尊厳がきちんと守られていないんじゃないか、と思いますよ。 それは公務員だけじゃなくて、自衛隊の隊員に対してもそう。民間人だって、国のために命を賭けて働いてくれている人はいる。

この発言を読んで、筆者は当時の石原の苦渋を察し、その心境がここ2ヵ月ずっと漬かっていたサンダース軍曹のそれとダブってしまった訳だ。

記者は、大震災の後の瓦礫処理で東京都が大きな役割を果たした件にも触れる。これ関しては、維新の橋下徹大阪市長が放射能汚染瓦礫を引き受けたし、松井一郎市長も福島処理水が安全基準を満たすなら大阪湾に流して良いと発言した。これも石原の薫陶か。それを石原はこう述懐する。

それはやっぱり、誰かがリスクを負って処理しなきゃいけないから。東京だって空き地がないわけでもない。何も放射能で汚染された瓦礫を都内まで持ってきて燃やすというわけじゃない。きちんと(放射能を)測って、問題のない瓦礫を処理するスキームをきちんと整えてから行動している。東京都はそんなバカじゃない。

反対する人にはホント聞いてみたいよ、「ではどうするんですか?」とね。(中略)だから反対する人がいたら「黙れと言え」と部下に指示したんだ。東京都は瓦礫の処理を闇雲にやっているんじゃなくて、きちんと科学的にやっている。被災地のために、日本のために、ゴミ処理でも高い能力を持つ東京都が先頭に立つ。それは都知事である私の責任であるし、それこそが政治家の役目だよ。

いつから日本人は、こんな利己的な国民になったのかね。震災の直後、被災地を日本全国で支え合おうという機運が高まり、「絆」なんて言葉が流行したよな。でも、たかだか瓦礫ひとつ処理するだけで、なぜ助け合うことができないんだ。「ウチには小さな子どもがいる」と何度も何度も反対の電話をかけてくる女性がいた。その人は、被災地にだって子どもがいる、という至極当然のことがなぜ分からないのか。ここまで来ると、他人のことを、目の前で困っている人の痛みを、慮ることができるかどうか、想像力の問題ですよ。皆が皆、自分のことばかり、自分さえ良ければそれでいいと考えている。そんな国は衰退に向かっているとしか言いようがない。

石原は「我欲」という語を用い、それが「今の政治の体たらくを招いている一因だと思っている」と述べた。本欄を検索すると筆者は「我執」という語を4編で使っている。知らない間に石原慎太郎に染められていたか。この偉大な先輩に心から哀悼の意を表する。