オーストリアはバチカン市国を除けば欧州で初めて新型コロナワクチン接種を義務づける法案を施行した国だ。そこまでは良かったが、まだ施行されて1週間も経過していない新法に対し、見直しを求める声が高まってきた。最大の理由は、コロナウイルスの変異株オミクロンだ。欧州全土で大流行中のオミクロンは感染力こそ前のデルタ株より数倍強いが、病院入院率や集中治療室患者数は増えていないことから、「どうしてワクチン接種を義務化する必要があるか」という声が高まってきたのだ。
本来、ワクチン接種義務化法案を施行する前に出るべき議論だったが、今月5日に施行された後、「ワクチン接種義務化は本当に必要か」といった非常にシンプルな疑問の声が出てきたのだ。最初に疑問を投げかけたのは同国南部ケルンテン州のペーター・カイザー知事(社会民主党)。同知事は「絶えず状況を見ながら見直しが必要だ」と述べ、新法の有効性に疑問を呈した。
カイザー知事の声が報じられると、次はザルツブルク州のハスラウアー知事(国民党)が9日、国営ラジオ放送で、「ワクチン接種の要件が医療の過負荷を防ぐのに適切であるかを評価する必要がある」と述べ、未接種者への罰則が発動する3月15日の前に、「出来れば今のうちにワクチン接種義務化を再考すべきだ」といった意味合いを滲ませた。
ワクチン接種義務化法案は昨年末に草案が作成され、今年に入り国民議会(下院)、連邦議会(上院)での審議を経て可決された後、ファン・デア・ベレン大統領が署名したばかりだ。ミュックシュタイン保健相(「緑の党」)は、「義務化法の見直しは考えられない」とつっぱねている。
施行された同法では「設置した委員会が予防接種と治療薬の分野における科学的発展、および医療を保護するための強制予防接種の適合性を評価し、その内容を国民議会と連邦政府、保健省に報告する」ことになっている。それまではワクチン接種義務化法の見直しは考えられない、というのがミュンクシュタイン保健相の基本的な姿勢だ。もちろん、施行して数日しか経過していない新法の見直し論は、「欧州初の…」とウィーン発で大きく報道された数日後に、「施行しないことにした」では法治国家の面子もなくなってしまう。
シャレンベルク外相は首相時代の昨年11月19日、「社会の少数派ともいうべきワクチン接種反対者が多数派の我々を人質にし、社会の安定を脅かしている。絶対に容認できない」と、珍しく強い口調で述べ、感染力と致死率が高いコロナウイルスのパンデミックから社会を守るという点でワクチン接種の義務化が急務だと主張した。その時までは多分、シャレンベルク氏の檄は多くの国民の支持を得ることができただろうが、昨年末から変異株のオミクロンの感染が拡大し、3回ワクチン接種したネハンマー首相が1月5日、オミクロン株に感染した頃からワクチン接種義務化支持派にも動揺が起きた(「ワクチン接種問題が提示したテーマ」2021年11月21日参考)。
首相の感染は2通りの受け取り方が可能だった。①ワクチン接種の有効性、ブースター接種の意義が問われる、②ブースター接種していたから重症化せずに軽症で終わった。ワクチン接種はやはり重要だ、という受け取り方だ。この問いかけは3回接種者の感染が明らかになる度に呟かれてきた。そしてワクチン接種義務化法案が可決された後、しばらくは静まったが、再び囁かれ出し、ついには義務化法の見直しまで求める声となってきたわけだ。
オミクロン株が席巻しているオーストリアでは9日、過去24時間で新規感染者数は3万8309人で最多を更新したばかりだ。ウイルス学者によると、「オミクロンの感染はまだピークに達していない」という。一方、病院入院患者数は2056人、集中治療(ICU)患者数は185人だ。同国の病院ではICU患者の収容能力は600人と計算されているから、現時点では病院崩壊といったシナリオは考えられない。
ネハンマー政権は2月5日から22時の営業閉店を24時に、12日からは食料品店以外の販売店にワクチン非接種者も許可するなど規制を緩和した。それでは、2月、上下議会で可決し、大統領が署名したワクチン接種義務化法をどうするかだ。ハムレットの悩みだ。国の名誉を守り、新法を維持して強行するか、それとも予想外のオミクロン株の感染で新法の有効性が減少した、として施行を中断するかだ。
ワクチン接種義務化法の死守を主張するのは現時点ではウィーン市(特別州)だけだ。同市のペーター・ハッカー保険担当官は、「可決したのだ。いまさらその有効性を問い返すことは間違っている」と述べ、決定したことに直ぐ疑問を投げかけるオーストリア人のメンタリテイを批判している。
オーストリアのワクチン接種義務化法の施行直後の「見直し議論」は、好意的にいえば、予想外のことが頻繁に起きてきたコロナ時代での試行錯誤というべきだろう。状況に応じて対策を講じる柔軟な思考が必要だ。今秋の感染状況まで誰も正確には予測できないからだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年2月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。