ジョブ型雇用って何?

池田 信夫

このごろ日本の雇用慣行についてジョブ型雇用という話がよく出てきます。たとえば日立製作所が今年7月から、全世界の社員30万人をすべて「ジョブ型人事」にすると発表したことが話題になりました。

Q1. ジョブ型雇用って何ですか?

このことばは日本以外では通じません。英語に訳すとjob employmentですが、企業は仕事(ジョブ)をさせるために従業員をやとうのだから「馬に乗馬する」みたいで、何のことかわかりません。これは特別な雇用ではなく、日本以外のすべての国の雇用慣行というのが、一番シンプルな定義でしょう。

Q2. 他の国と日本の雇用はどう違うんですか?

他の国では社員を募集するとき、たとえば「経理のできる人」というように仕事の内容を書いた職務記述書(ジョブ・ディスクリプション)を決めて募集し、応募する人も「私は簿記1級です」といった技能を書いた職務経歴書を出します。

ところが日本の企業には職務記述書がなく、学校を卒業するとき専門能力を問わないで一括採用し、いろいろな職種や地域を転々とします。こういう雇用形態は、他の国ではほとんどみられません。

Q3. これからジョブ型にするなら、今まではどうだったんですか?

ジョブ型に対して日本企業の雇用をメンバーシップ型という人がいますが、これは対義語になっていません。メンバーシップ(会員権)という言葉を最初に使ったのは、私の『情報通信革命と日本企業』ですが、ここではメンバーシップの対義語はオーナーシップ(所有権)です。

他の国では資本の所有権をもつ企業が契約ベースで従業員をやとうのですが、日本では企業と個人の長期的関係を守り、企業の命令に従う従業員を選ぶのです。このメンバーシップは正社員だけのレント(競争的なレベル以上の利益)なので、すべての労働者には保障できません。

Q4. 日本型雇用はよくないんですか?

メンバーシップには、いい面と悪い面があります。仕事の中身が決まっていないので、市場が変化したとき新しい職場に配置転換して変化に柔軟に対応できるのはいい面です。

でも終身雇用という暗黙の約束があるので、仕事がなくなっても雇用を続けることが多く、仕事の中身が決まっていないので、ポストや給料も年功序列になりがちです。たとえば経理がデジタル化できる場合でも、経理の人の雇用を守るためにデジタル化しないといった硬直化が起こります。

Q5. ジョブ型に変えるメリットはあるんでしょうか?

日立の場合は新規採用で職務記述書を明記し、社員も職務に応じて給料やポストを決めるようです。それ自体に大した意味はありませんが、グローバル企業にとっては、海外法人と人事の整合性がとれるようになります。

また新入社員を採用するときも、専門能力の高い人に高い給料をはらうといった待遇改善がやりやすくなります。ねらいは仕事のなくなった従業員をクビにすることでしょう。アメリカでは、基本的に仕事がなくなったら解雇できます。

Q6. 日本でジョブ型にしたらクビにできるんですか?

できません。日本では整理解雇の4要件というルールがあるので、会社がつぶれるまでクビにできません。日立のような大企業がつぶれることはないので、従業員の仕事がなくなっても他の職場や子会社に配置転換して、定年まで雇用しないといけません。

Q7. それじゃ国内企業にはジョブ型にするメリットがないんですか?

ほとんどないと思います。中小企業は今でも労働者をクビにしていますが、大企業では終身雇用や年功序列というモラルがあるかぎり、クビにできません。労働者からみると大企業をやめて待遇がよくなることはまずないので、自分からやめる人は少ない。一つの会社だけジョブ型にしても何も変わりません。

Q8. では雇用慣行を変える必要はないんでしょうか?

そんなことはありません。雇用慣行だけ変えてもだめなのです。日本社会は企業という「家」のメンバーになることが重視され、そこから退出する人を差別する退出障壁があります。たとえば企業年金や退職金は、短期でやめるともらえません。

またホワイトカラーの労働市場がほとんどないため外部オプションが小さく、ハローワークでは仕事をさがせません。再就職しても待遇は年功序列になっているので「中途採用」は不利です(この言葉も日本しかない)。そういう実態を変えないで、職務記述書だけ書いてもしょうがないのです。

Q9. 雇用慣行は変わるんでしょうか?

雇用慣行は企業システムと一体なので、変えるのは容易ではありません。大事なことは企業の人事制度ではなく、社会全体で労働者が会社から退出できるセーフティネットをつくることです。社会保障だけでなく、労働市場の改革も大事です。正社員(無期雇用)という働き方をやめないかぎり、非正社員のゆがみは直りません。

労働者にお金をはらって退職してもらう金銭解雇も必要です。これには「労働者をクビにしやすくする制度だ」と反対する人が多いのですが、それは逆です。クビにしやすくしないと、企業は定年まで何億円も給料をはらわないといけない正社員を採用しないので「非正規」が増えるだけです。

Q10. 何をどう変えればいいんでしょうか?

北欧モデルは参考になります。そこでは企業を守らないで個人を守るという原則が一貫しているので、政府はサーブやボルボなどの経営破綻した企業を救済しないで労働移動を促進し、1990年代の金融危機で産業構造を知識集約型に転換しました。

日本政府は逆に企業を丸ごと守る雇用調整助成金で、社内失業を増やしました。コロナ不況でも失業率は上がらず、企業倒産は減りましたが、労働生産性は落ち、日本のGDP(国内総生産)はいまだにコロナ前の水準にもどりません。このように会社を「家」として守るしくみをやめないと、企業も労働者も幸せになれません。

会社は「乗り物」なので、乗客を守るために沈む泥舟を守るのは本末転倒です。乗客が新しい船に乗り換えられるように救命ボートを整備し、多くの船を用意する必要があります。北欧では産業別労働組合が救命ボートの役割を果たしていますが、日本では企業にたよらない最低保障年金のような形に社会保障を組み替える必要があるでしょう。