後悔先に立たず

ひと月程前、ITmedia ビジネスオンラインに『30~40代が「20代を振り返って後悔していること」 2位は「資格取得」、1位は?』と題された記事がありました。結果『1位は「投資」(33.9%)(中略)、3位は「いろいろなところへ旅行する」(28.7%)だった。4位以下は「勉強」(27.6%)、「人生設計をする」(26.7%)、「貯金」(24.1%)、「語学力の向上」(20.4%)』等とのことでした。

「後悔」ということについて、例えばゲーテの言葉に「あせることは何の役にも立たない。後悔はなおさら役に立たない。前者はあやまちを増し、後者は新しい後悔をつくる」というのがあります。あるいは、宮本武蔵は「我事において後悔をせず」と言っておりますが、私自身は「後悔先に立たず」で、そもそも過去を振返って後悔しないような人生を送って行こうとその時々で心掛けてきたつもりです。

それは冒頭の引用で述べるならば、常々自分を律する気持ちを持ち一生懸命「勉強」に励むとか、時に遊びたい心を抑えながら「語学力の向上」に努めるとかといった具合です。「あの時こうすべきだった」などと後ろに引っ張られるような馬鹿なことを考えても、失われた時間は取り戻すことが出来ないのです。だから、森信三先生は「人生二度なし」と唱えたわけです。

此の二度とない人生を悔いなく終わらねばという気持ちを常に自分に言い聞かせること、そしてまた「惜陰:せきいん…時間を惜しむこと」ということ、此の一日24時間という誰にも平等に与えられている時間を如何に無駄なく効率的に使うのか、といったことが大事なのです。1日は一生の縮図であり、一刹那・一瞬間の積み重ねが1日になり、1日の積み重ねが1カ月になり、それが更に積み重なって1年になり一生になるのであって、有限な時間の無駄遣いは禁物です。そういう意味で最初から人生二度なしという偉大な真理、その一番大事な根本を重々理解していたならば、そもそも「あの時ああしていたら良かった」などというふうに考えることは無意味となるでしょう。

人間、死すべきものとして此の世に生まれてきます。平均寿命も延びた現代、年老いて尚体力も充実している人は数多います。しかし精々人生の賞味期限はと言うと、多分35~40年程でそれ程長くはありません。此の僅かな間に与えられた天命を出来るだけ果たして行こうと努力することこそが、生き甲斐であり、働き甲斐ということであろうかと考えています。

勿論、ある事柄に直ちに取り組みたいと思っても、その時の親の経済力を考えれば学費を稼ぐ為どうしてもアルバイトをやらねばならない、といったことで出来ない時期もあるでしょう。しかしそれが悪いことかと言うと、決してそうではありません。人知れぬ苦労を重ねる中で人物が練られても行くわけで、その間も一生懸命努力さえしておけば良いのではないでしょうか。


編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2022年2月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。