ローマ教皇の「願わしい聖職者像」

バチカンで今月17日から19日まで3日間、「聖職の基礎神学のために」というタイトルのシンポジウムが開催中だ。会議名から少々難しい神学的な議論のように感じるが、シンプルにいえば、「願われる聖職者像を模索する会議」と理解できるだろう。同会議には、約500人の司教、神父、一般信徒、宗教者が参加した。

「聖職の基礎神学のために」シンポジウムに参加したフランシスコ教皇(2022年2月17日、バチカンニュースから)

会議では、聖職者と一般信者との関係、聖職者の独身制、女性聖職者についてなど、カトリック教会が今日直面しているテーマについて、参加者が自由な議論を交わす。聖職者の未成年者への性的虐待事件が世界各地で起き、聖職者への信頼が大きく揺れ動いている時だけに、その議論の進展が注目される。

伝統的な聖職者のイメージが壊れる一方、21世紀に生きる聖職者の理想像がまだ生まれていない。そこでバチカン司教省長官のマルク・ウエレット枢機卿が議長となって参加者と共に話し合う会議だ。

バチカンニュースは18日、「聖職は危機に瀕している。バチカンの会議は、聖職に対する間違った認識発展について話し合い、神学的、歴史的だけではなく、文化的、社会的な視点からも新しい聖職者像を模索する」と、会議の意義を報じている。

ここではフランシスコ教皇が考えている「新しい聖職像」をフォローした。

同教皇の最側近、ドイツのローマ・カトリック教会ミュンヘン大司教区のラインハルト・マルクス枢機卿(68)は南ドイツ新聞(SZ)とのインタビュー(2月3日電子版)の中で、「聖職者の強制的な独身制は廃止すべきだ。セクシュアリティは人間性の一部であり、決して過ぎ去るものではない」と指摘し、「聖職者の中には結婚したほうがいい者もいる。結婚していれば、より良い聖職者になれる人がいる。性的な理由だけでなく、彼らの生活にとってより良いものであり、孤独ではないからだ」と述べて大きな反響があった直後だ。同枢機卿はフランシスコ教皇を支える枢機卿顧問評議会メンバー(現在7人構成)の1人であり、教皇の信頼が厚い側近だ。それだけに、フランシスコ教皇自身の「願わしい聖職者像」について、その発言内容が注目された。

会議の初日(17日)、フランシスコ教皇が「今日の信仰と聖職」について基調演説をした。同演説内容を報道したバチカンニュース(独語版)はトップに「フランシスコ教皇・独身制は贈り物、しかし…」というタイトルで報じている。バチカンニュースが「…しかし」と述べたフランシスコ教皇の発言内容を忠実にタイトルに反映させていたのは印象的だ。

聖職に52年間従事してきたフランシスコ教皇は、「現時点では聖職者の独身義務を廃止するつもりはない。独身はラテン教会が大切にしてきた贈り物だ。しかし、その贈り物は聖化の道として実際に生きる基礎として健全な関係を必要とする。友達もなく、祈りもなければ、独身は耐え難い重荷に過ぎず、聖職の美しさに対する反証人になる可能性がある」と述べている。

教皇は自身の体験を振り返り、「自分は多くの感動的な神父、模範的な神の人に会った。同時に、信仰の試練に直面したり、困難と孤独に苦しんだこともあった」と、正直に告白している。

教皇の発言で注目すべき点は、「われわれは今、変革の時を迎えている。ただ、全ての変革が福音の香りを有しているわけではない」と表現し、その変化に対し、「(もはや存在しない)過去の世界に逃げることで、現在の問題を解決できると信じる生き方か、誇張された楽観主義の未来に逃げるかの道がある。私はその両方を拒否する。重要なことは、今日の具体的な世界に立脚し、生きて行くことだ。それは教会の賢明で生きた伝統に根ざしている」と述べている。

上記のコメントはフランシスコ教皇らしくない、かなり哲学的な内容だ。当方なりに解釈すると、例えば、独身制問題について、「過去」の教会の伝統にしがみついたり、漠然とした「未来」への楽観主義に乗って改革を実施するのではなく、「現実」の世界から逃避することなく、教会の新しい聖職の生き方を模索していきたい、といった意味合いだろう。バチカン内の保守派とリベラル派の両派を意識した、示唆に富んだ“教皇の施政演説”とでもいえる。

聖職者不足問題について、フランシスコ教皇は、「喜びと熱意があり、キリストを他者に伝えたいという思いがある限り、本当の召命が生まれてくる」と強調。そして、親密さ、思いやり、そして優しさを聖職者の「神のスタイル」という。同時に、聖職者の中にも嫉妬やいじめ、誹謗中傷が絶えないと指摘し、「それは教会内に広がる疫病だ」と指摘している。

そのうえで、「信者たちが願う聖職者は国民の羊飼いだ。官僚的な聖職者や専門家ではない。思いやりを理解する羊飼いだ。負傷者に歩み寄り、手を差し伸べ、世界の痛みに復活の効果的な力を宣言する方法を知っている勇敢で熟慮のある男たちだ」という。

フランシスコ教皇は聖職者主義にアレルギーがあり、聖職者の世界に見られるキャリア志向の生き方に強い抵抗があることで知られている。

以上、フランシスコ教皇が描く「願われる聖職者像」は、目標が高いだけに見つけるのは大変だろう。イエスのように優しく、思いやりがあり、スーパーマンのように果敢に悪に闘いを挑む。そんな若き聖職者がいたら、教会だけではなく、世界の至る所から声がかかるだろう。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年2月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。