コロナ対策の「全体最適」を考えなおせ

池田 信夫

最近、政府の新型コロナ分科会のメンバーである大竹文雄氏が、分科会で蔓延防止措置の延長に反対意見を述べたことが話題になっている。

その内容はおおむね妥当なものだ。大事なことは、感染対策と社会経済活動との間にトレードオフがあるという認識だ。感染の被害が甚大な非常時には、感染対策を優先させて失業や自殺などの被害を無視する判断もありうるが、今のオミクロン株にそんな緊急性があるとは考えられない。

感染症対策の基準は超過死亡

では何を基準にすべきか。その指標が超過死亡である。これはコロナだけではなく、すべての死因による平年に比べた死者の増加をみるものだが、国立感染症研究所のデータでも、閾値を上回る超過死亡(+の部分)はほとんど出ていない。

図1 全国の超過死亡数(国立感染症研究所)

2020年には約3万人の過少死亡だったが、そのとき延命した高齢者が死んだので、昨年は3万人ぐらい増えていると思われる(未集計なので正確にはわからない)。超過死亡率は2年間の通算でほぼプラスマイナスゼロで、これは図2のように英米よりはるかに低い。

図2 各国の超過死亡率(Our World in Data)

英米では超過死亡率は大きく、イギリスでは100%を超えたこともある。こういう非常事態ではロックダウンのような私権制限もしかたないが、日本では社会的な損害がほぼゼロの感染症に70兆円以上の国費を使ってしまった。

非常時モードから日常モードへ

この原因は一部の感染症学者が日本も英米と同じように感染すると予想し、誇大な被害想定をもとに「接触8割削減」などという極端な政策を提言したためだ。それが人々の不安をあおり、日本の感染症対策は「非常時モード」のまま2年たってしまった。

接触削減などの行動制限は、コロナだけにきくわけではない。2020年の過少死亡でもわかるように、高齢者の隔離は普通の肺炎やインフルエンザなどすべての呼吸器系疾患を減らすので、入力を行動制限でみるなら、出力は超過死亡でみるべきだ。

非常事態かどうかの基準は、重症患者が医療資源の制約を超えるかどうかだが、図3のように東京都でも、人工呼吸器は1割しか使われていない。絶対評価でみると、日常モードである。検査陽性者が増えたら、変化率にあわてて非常時モードにする場当たり的な感染症対策はやめるべきだ。

図3 東京の人工呼吸実施件数(ECMOネット)

イギリスのボリス・ジョンソン首相は、コロナをインフルと同様の扱いにすると発表した。これは図2のように、イギリスでは検査陽性者数は多いが、超過死亡はマイナスになっているからだろう。

日本でも分科会の尾身会長が「インフル並みの扱いも検討する」と表明しているが、日本が最初にやるべきだった。日本では当初から、コロナはインフル並みだったからだ。

大事なのはマスコミの騒ぐ「コロナ感染者数」の部分最適を求めるのではなく、超過死亡や自殺者・失業者・出生数などの社会的な被害を含めた全体最適を考え、この2年間の過剰対策で破壊された社会を再建することだ。