ロシア、ウクライナ情勢を見て感じた4つのこと

黒坂岳央(くろさか たけを)です。

ロシアによるウクライナ侵攻が続いている。ロシア国内でも戦争反対デモで逮捕者が出るなど、混乱が起きている。

ValleraTo/iStock

門外漢につき、今後の進展などは専門家におまかせしたいが、今回の情勢をみて個人的に感じたことがある。あくまで個人的見解に過ぎないが論考したい。

1. 予期しない未来は突然訪れる

まず感じたことは「予想できない未来は、突然に訪れる」ということだ。

「かねてより侵攻の兆候はあった」と主張する専門家がいる一方で、「国際関係が強く結びつくグローバル社会で、侵攻などデメリットの大きい愚かな一手をロシアが打つなどありえない」「まもなく侵攻が始まると米国政府は危機を煽りすぎだ。そんなことは起きない」という専門家もいた。

ここで筆者が言いたいのは、「予想できた専門家が素晴らしく、外した専門家がダメだ」という稚拙な話ではない。この状況は意思決定者の腹積もり一つで決まっていたわけで、正確な未来のことなど本当のところは誰にもわからないということである。有事を予見できなかった専門家も多かった事実が、未来予想の難しさを示している。

本質的に未来のことは、誰にも分からない。であるがゆえに、平時は有事に備える必要があるだろう。

2. 資産分散の重要性

2つ目は資産は分散しておくことが重要だということだ。一連の侵攻を受けて、ウクライナの通貨・フリヴニャは大暴落した。国際マネーはあくまで冷静かつ合理的に動く。気の毒なウクライナのために、協力しあってフリヴニャを買い支えるような事は起きないのだ。

これは我が国においても無関係ではないだろう。全資産=日本円、という人も少なくないと思うが有事はいつ起こるかわからない。南海トラフ巨大地震や富士山噴火などで、世界の中で日本だけが打撃を受ける状況に陥れば、円の価値はどこまで維持できるかは想像できない。

資産を分散しておくことは、経済的命綱に等しい。

3. 強さとは「対話より力」

欧米はロシアに対して、外交努力を続けてきた。しかし、対話ではロシア側の懸念払拭には至らず、有事に至った。

西側とロシアの両者は、あまりにも立場や視点が異なるために対話が成立しなかった。対話が成立しない状況は今回に限った話ではない。そんな時、最後に自分の身を守ってくれるのは「力」だろう。

米国は軍事投入をしないことを表明した。これには核兵器の使用をちらつかせる、ロシアへの刺激を回避したい意図によるものと複数の専門家から見解が出されている。対して、かつての核保有国だったウクライナが核を手放し、力をなくしたことが侵攻を受ける決定打と見ることもできるのではないだろうか。この仮説が正しいとするなら、恐ろしいことだ。いざとなると国際社会の対話より、力が重要となれば誰もが核を求めるからである。

強さとは話し合いではなく、力こそが作り出しているということを示してしまった。そうなれば現在の我が国の力は、防衛する上で十分だと言える状況だろうか。

4. 日本の平和の真価

侵攻の様子は恐ろしい。ウクライナで少し前まで普通に日常生活を送っていた一般市民が、恋人と涙ながらの別れを告げた上で戦時に赴く様子は途中から見ていられなかった。そしてこの段になってはじめて、現在享受している日本の平和の真価に気付かされた思いだ。

きれいな空気や水、そして平和はいかなるモノより優先度・重要度が高い。普段、生活をしていて当たり前のように確保され、潤沢に提供されているインフラは、当たり前のものではない。凄惨な過去の歴史の中で勝ち取った結果としてのものであり、そして永遠に享受できる保証もまたどこにもない。それ故に守り続けることが必要だ。

一日も早く、この混沌が正常化することを祈らずにはいられない。

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