プーチンを擁護するとは許せぬ所行

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うーん。「プーチンに肩入れした意見を発信するのはとんでもないヤツ」って批判を見ているとちょっとハラハラするんですよね。

いやボク個人としては別にプーチンにシンパシーは感じないというよりは、各所から流れてくる報道を見た個人的見解としては「頭おかしい」と思っておりますよ。そしてそう見るのが多数派でしょうよ、普通に考えて。いやボクは基本的に自分でも少しどうかと思うくらいに常識人で、社会とルールの束縛を割と強く受けるタイプなので、アナーキー成分は薬にしたくともないのですよ。

だからこそ、常識的な角度からの視点に対して、別角度の補助線を引く作業というのは検証として必要なことなんじゃないのかなぁと。ボクみたいなつまらん常識人は、そうでもしないと常識から出られないので。そして残念なことに時に常識は間違うことがあるから。

この世には、オズボーンのチェックリストってのがあって、9つの項目があるのです。多くの人は議論の時、割とこれを自然にやっていて、そこはボクも同じ。ただ、それが体系化されているのに後に気付いて驚いたのだけれど、リストの9つは以下の通りです。

  1. 転用
  2. 応用
  3. 変更
  4. 拡大
  5. 縮小
  6. 代用
  7. 置換
  8. 逆転
  9. 結合

もうあなたは「オズボーンのチェックリスト」というキーワードは手に入れたので、好きなだけググってどういうものか知ることができるので、9つの全部を知りたい人は調べてねと。

で、話に必要なとこだけ切り出します。ボクは大抵「置換」と「拡大」から手を付けます。

置換ってのは入れ替え、ゼレンスキーとプーチンの入れ替えを基本に、バイデンとプーチンとか、基本対立構造を入れ替えてどうなるか考えるやり方。あるいは自分だったらということですね。誰でも考えるし、多分すごく普通の方法です。

拡大ってのは、大げさにしたり、その延長を考える話で、例えばプーチンが核による脅迫メソッドに味をしめて以後他者に対してバンバン使うとどうなるかみたいに考えます。これは割と確からしさの確認に使うことが多いかな。一見正しいけれど、正しいと見える範囲には限度があるってヤツです。例えば「平等は大事だし正しいけど、みんなで手を繋いでゴールはおかしい」みたいなことですね。一般的にグラデーション構造になっていることの確認ができるし、どこかに線引きが出来るのかも検討できる。

逆転は、これもう結構大胆で、領土の奪い合いじゃなくて、ひっくり返して押し付け合いだったらどうなのかみたいなところからスタートして、じゃあどうしたら欲しくなくなるのかみたいに考えて行きます。

まあオズボーンのチェックリストってのは、そういう発想法なんですけど、こういう時に「プーチンには誰もが敵対的でなければならない」みたいな縛りをスタートから入れることが理解を深める役に立つのかと考えると全然ダメでしょう。摩擦を減らして、議論や意見を同質化して共通の結論に早く辿り着くための話でしかない。いわゆる拙速というヤツです。

しかし、思考のプロセスを全部削って、結果だけに辿り着くやり方は意味がない(これも拡大の手法ですよ)。いわゆるカンニングみたいなものでそれは所詮、辿った筋道やそこに至った理由を知らない結論なわけです。

それをよろしくないとするならば、いやまあ「なぜなには知らんでも、行動規範だけ分かればいい」という司馬遼太郎が書くところの岡田以蔵みたいな生き方でいいならアレですけど、まあ一般論で言って、意見や見方の多様性を否定して、その結果違う角度での見方で検証する機会を自ら放擲する必要はないんじゃないかなと。

何が言いたいかと言うと、正義面したマウントで異なる意見を封殺しようとするのは止めましょうということだけなんです。凡庸ですみません。でも今はそれがあまりにも多くないですかね。

その意見に同意するしないはあなたが自由に決めること。あなたが「バカじゃねぇの」と思う自由は完全に保証されています。ただ「貴様プーチンを擁護するとは許せぬ所行」ってのは止めましょう。黙らせるのではなくて、必要なら普通の議論として反論すればいいだけのことです。断罪は必要ない。情報のシャットアウトと発想の固定化は自分にとっても損です。


編集部より:この記事は自動車経済評論家の池田直渡氏のnote 2022年3月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は池田直渡氏のnoteをご覧ください。