このバイデン大統領のツイートが、世界に大反響を呼んでいる。ざっくり訳すとこんな感じだ。
はっきりさせておきたいのは、私たちは結束し、活気づいたNATOの全力をもってNATO域内の1インチまで守るということです。
しかしウクライナでロシアと戦争することはない。
NATOとロシアが直接対決すると、第3次世界大戦になります。それを防ぐために私たちは努力しなければならないのです。
チキンゲームの「ハト」を演じる
この方針は一般教書でも表明されたが、戦争の最中に最高指揮官がこれほど明らかに戦略を発表したのは初めてだろう。これはバイデンが問題をゲーム理論でいうチキンゲームの一種と考えていることを示している。これはペイオフ行列であらわすと、次のようなものだ。
図の横軸はNATOの戦略、縦軸はロシアの戦略で、数字はNATOのペイオフを示し、対称とする。このゲームにはナッシュ均衡(純粋戦略)は二つある。右上のロシアが攻撃してNATOが譲歩する均衡と、左下のNATOが攻撃してロシアが譲歩する均衡である。
この二つの均衡のどっちが選ばれるかは、初期条件で決まる。ロシアがウクライナを侵略した今の状態は右上で、このままバイデン(NATO)がハトを演じ続けると平和は維持できる。NATOが攻撃するとプーチン(タカ)は核兵器で報復するので、左上(どちらも-2)の最悪の状態(第3次大戦)になる。
普通のチキンゲームでは被害はNATOがこうむるが、今回はNATOが譲歩してもウクライナが人的被害を負うので、これは都合のいい均衡である。今回バイデンは、現状から動かないという手の内を明かしたことになる。
「平和主義」が戦争を誘発する
これは危険な戦略である。ロシアがどんなに荒っぽい戦術をとってもNATOは報復してこないのだから、プーチンはウクライナで、核兵器以外のあらゆる兵器を使うだろう。このように平和主義(pacifism)が戦争を誘発することがある。
有名な例では1938年のミュンヘン会談で、イギリスのチェンバレン首相がヒトラーのズデーテン割譲を認めたことだ。これはヒトラーの侵略という既成事実を容認して、全ヨーロッパへのエスカレーションを許してしまった。
もう一つの例は朝鮮戦争である。1950年1月にアチソン米国務長官は「アメリカの防衛線はアリューシャンから日本を通ってフィリピンにいたる線である」と演説し、朝鮮半島を防衛する意思がないことを明らかにした。同じ年の6月に北朝鮮軍が38度線を越えて南下し、朝鮮戦争が始まった。
このように平和主義は戦略的には賢明ではないが、既成事実を認めて平和を維持する効果がある。今回もロシアがウクライナを支配してしまえば均衡状態になるので、どちらも現状を変更するインセンティブがない。
軍事同盟というコミットメント
バイデンの演説には矛盾がある。彼のいうようにウクライナでNATOとロシアが直接対決すると第3次世界大戦になるとすれば、ポーランドでも同じだ。プーチンがNATO域内を攻撃したときも、バイデンは第3次大戦を恐れて逃げるのではないか。
その可能性は否定できないが、バイデンは「NATO域内への攻撃は1インチも許さない」と約束している。ハトを演じているようでいながら、NATO域内を攻撃したらタカになるぞという差別的協調戦略を表明しているのだ。
軍事同盟は、そういう差別的協調戦略の合言葉(secret handshake)である。ロシアの侵略を既成事実として認めるバイデンの戦略は、アメリカ大統領としては合理的である。それはNATO域内の差別的協調を確認してアメリカ国民を安心させるからだ。
ただプーチンが約束を信じるには、コミットメントが必要だ。アメリカ大統領が手の内を明かした以上は、NATOが攻撃されたら反撃しないと、アメリカの威信は失われる。その意味では、バイデンは現状維持に強くコミットしたといえる。
これはウクライナに対するというより、アメリカ国民へのメッセージだろう。ウクライナには気の毒だが、バイデンにとって重要なのはアメリカの国益だから、今回の発表は、ウクライナを見捨ててプーチンのエスカレーションを牽制するものだ。
ただしプーチンのウクライナ支配が続くと、周辺諸国が警戒して緊張が高まる。原状回復するには、今の武器供与や経済制裁を続けて長期戦に持ち込み、ロシア経済の内部崩壊を待つしかないだろう。