「横浜市大不当要求問題」刑事告発、神奈川新聞の取材・報道に重大な問題

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3月9日に、神奈川新聞が、紙面、ネット有料記事、ヤフーニュースに掲載した【横浜市長、大学在職・退職後の強要告発に「コメントは控える」】と題する記事に関する取材と記事化の過程に重大な問題があるとして、同社社長に厳重に抗議し、対応を求める書面を送付した。その件について、これまでの経過と問題の所在について述べることとしたい。

横浜市大現職教職員らからの山中竹春氏に関する問題の指摘

発端は、昨年7月26日、横浜市大理事長・学長名で発出された学内文書(請願審査における「7.26文書」➡【横浜市会議員らによる横浜市大への「不当圧力」問題の請願書・添付資料を公開】参照)について、現職教職員らが、「大学の自治」「政治的中立性」を侵害する重大な問題だとして私の事務所に連絡してきたことだった。

それまでにも、医療情報分野の研究者、医療ジャーナリスト、神奈川県内の医師などから山中氏の能力・資質についての多くの情報が寄せられていたことに加え、山中氏の人間性、研究者としての基本的能力の欠如、市大での悪質なパワハラなどの具体的な話と、山中氏は「絶対に市長にしてはならない人物」であるとの訴えを聞いたことが、私が市長選挙で、山中氏の落選運動(【「小此木・山中候補落選運動」で “菅支配の完成”と“パワハラ市長”を阻止する!】)を行う決意につながった。

選挙期間中には、「コロナの専門家」であることの疑問、パワハラ疑惑、経歴詐称疑惑などの指摘、市大の取引業者への「恫喝音声」の公開などの様々な方法で展開したが、それにもかかわらず、山中氏は市長選挙で当選し、市長に就任した。しかし、私は、その後も、上記取引業者に対する強要未遂での山中市長の告発等に関わるなど、山中氏の市長としての適格性を問う活動を続けた。

「横浜市大への不当圧力問題」の調査を求める請願

9月には、横浜市会に「横浜市大への不当圧力問題」の調査を求める請願を行った。請願は、政策・総務・財務委員会に付託され、9月24日に続き、12月15日に行われた請願審査では、花上喜代治、今野典人議員、横浜市大の小山内いづ美理事長、相原道子学長が出席し、山中竹春市長も、市長としては18年ぶりに「説明員」として出席して、請願審査が行われた。

しかし、そこでの山中氏の答弁は、ウソ・ごまかしだらけで、市大側の説明とも大きく乖離し、不当圧力問題の事実解明が十分に行えたとは到底言えないまま終わった【山中竹春横浜市長、請願審査委員会での追及に「虚言」連発。市長の存在自体が「横浜市民にとっての”災難”」】。

この請願は、当初、市会議員2名による市大への不当圧力を問題にし、その後、山中氏が市会の本会議で自ら関与を認めたことから、請願の対象を市長の不当圧力に拡大したものであり、山中氏自身にとっては、「市大教授を退職し、市長に就任する前、一私人であった時の問題」であり、「横浜市の事務」に関する問題とは言い難いことなどから、地方自治法100条に基づく調査の対象とすべき案件とは言い難かった。

山中氏の行為については、請願書でも、

「市民にSNSやインターネット上で不誠実を知ってもらった方がよいとも考える」

「コンプライアンス違反で訴え厳正に対処することも考えている」

などという発言によって、「名誉に対する害悪」を加えることを告知して市大理事長らに「義務のないこと」を行わせようとした刑法の「強要罪」に該当する可能性があると指摘していたが、請願審査の結果、それらの発言が、山中氏が小山内理事長に対して行ったものであること、しかも、6月16日の学内文書が事実無根だとして訂正・謝罪することが「義務なきこと」であったことが明らかになった。

このような請願審査の結果を受けて、私が横浜市役所で行った記者会見では、「不当圧力問題について山中氏を刑事告発することについての相談が市大関係者等から寄せられており、請願審査の結果に基づいて刑事事件として真相解明していくべき案件と考えられるので、刑事告発についての検討を進めていきたい」と述べた。

同月21日の本会議で請願についての採決が行われ、請願は不採択となったが、それに先立つ討論で、最大会派の自民党を代表して伊波俊之助議員が意見を述べ、

委員会審査の過程で、面会時のメール訂正の要求は殆ど山中市長が行ったということも明らかになっております。山中市長は「圧力という認識は一切ありません」という発言をしておりますけれども、記憶にないとか、あるいは質問に対して言い逃れ、直接答えないという場面もありました。「市民に誠実」というキャッチフレーズとは程遠い答弁でした。

強制力のない常任委員会の審査となると、これ以上審査をしたところでこの食い違いを埋めることができないと判断し、請願は不採択といたしました。あとは司法の場で判断されると思います。

と締めくくった。

同議員が言う「司法の場」で念頭に置かれているのが、請願審査の過程で明らかになった強要罪の疑いについての告発・刑事事件化であることは明らかであった。

山中市長を被告発人とする強要罪による告発状の作成・提出

このような横浜市議会での請願審査の結果を受けて、横浜市大の現職教職員と退職者数名から、山中氏の強要罪による告発についての検討と、告発状の作成を依頼され、その作業に着手した。

彼らの告発の重要な動機として、「市大在職時の山中氏が、教授・研究科長としての職責を全く果たしておらず、市長選に立候補を表明して職務を放棄したこと、悪質なパワハラを恒常的に行っていたこと、それらの事実を否定するために辞職後にとった行動」などがあった。それらも、告発に至った経緯として記載し、告発状案を完成させた。

その告発状案を、横浜地検特別刑事部に持ち込み、担当検察官との調整も終わった1月末には、現職教職員数名が横浜地検を訪れて担当検察官と面談し、告発に至った経緯を説明し、真相解明・刑事処分を求める意思を示した。

かかる経緯を経て、3月1日に、横浜市大の現職教職員及び退職者合計9名が告発人となった告発状が正式に受理された。

神奈川新聞への告発受理についての情報提供

問題は、山中市長に対する告発が受理されたことを、どのようにして公表するかだった。

今回の山中市長に対する告発は、横浜市会での調査を求める請願が常任委員会で審査され、相当程度事実関係が明らかになったことを受け、市議会からも、「司法の場」での真相解明が期待されたことを踏まえて行ったものだった。しかも、請願審査そのものに否定的だった立憲民主党・日本共産党の議員は、

「市大側は山中氏からの圧力と受け止めておらず、市大内部では問題にされてもいない」

などと述べていたのであり、多数の市大内部者が告発人となって刑事告発に及んだことは、それらの党の主張に対する反対事実でもあった。

そのような告発が、地検での審査を経て正式に受理されたことについて、情報提供するメディアとして考えたのが地元紙の「神奈川新聞」であった。同紙は、三木崇記者の署名記事で横浜市会での請願審査の内容や結果についても報じており、請願審査の結果を受けて私が市役所で会見し、山中市長の強要罪での告発の検討を行っていると述べたことにも、記事中で触れていた。そういう意味では、地元メディアとして、その告発の件を「市政にとって重要な問題」として報じるのに相応しいと思われた。告発人側も、匿名での記事化を条件に取材に応じる意向だった。

三木記者に、横浜市大の現職教職員らを告発人とする告発状が横浜地検に提出され数日内に受理の見通しであることを伝え、匿名を条件に告発人の直接取材も可能と伝えたところ、「告発状の内容と、それが受理された事実を報じたい」とのことだったので、告発状の内容を資料として送付した。

3月2日に、横浜地検から、1日付けで告発が受理されたとの連絡があったので、すぐに連絡したところ、三木記者は、告発人代表者に電話取材して確認をした上、告発受理についての記事が、3月3日付け朝刊で掲載された。

しかし、いわゆる「ベタ記事」で、同じページに、真鶴町長が選挙人名簿の不正使用の地方公務員法の守秘義務違反の事実で告発されたことが大きな見出し付きの記事で報じられているのと比較しても、異常に小さな扱いだった。

告発人代表者のインタビューとその記事化

その後、三木記者から、

「告発受理を報じた記事は小さな扱いとなり、いろいろ意見もあったので、告発人側のインタビューを行った上で、中身のある記事を出して、ガツンとやりたい」

との申入れがあった。告発人代表者にそれを伝えたところ、インタビューに応じることになり、3月6日の日曜日の午後、横浜市内で2時間にわたってインタビューが行われた。

その記事を3月8日の朝刊に掲載する予定ということで、7日の昼頃には記事の「予定原稿」がメールで私宛に送られてきた。山中氏の行為が「大学の自治」に対する重大な侵害だと考え告発に至った経緯、市大でのパワハラの事実などを内容とするもので、インタビューに応じた趣旨にも沿う内容の約90行の大型記事だった。

告発人代表者側に確認し、いくつか修正意見を送付したところ、同日夕刻には、それを反映させた「予定原稿」が送られてきた。その際、「記事に告発状の現物のイメージを掲載したい」とのことだったので、告発代表者の了解を得た上、告発人の署名入りの告発状を、当事務所からファックス送付した。

ところが、同日夕刻になって、三木記者が、

「デスクが掲載に難色を示している。市大関係者が告発を決意する理由となった山中氏のパワハラについて、もっと具体的な話を聞きたい」

と言ってきた。そこで、告発人の一人で、最もひどいパワハラの被害を受けた市大退職者に連絡をとり、三木記者の取材に応じてもらうよう要請したところ、何とか了承が得られ、ただちに電話で取材が行われた。このパワハラ被害者は、パワハラによってメンタル面面の不調を来たし、退職を余儀なくされたもので、取材に応じることには心理的抵抗があったが、神奈川新聞が告発の事実を大きく報道するのであれば、ということで取材に応じてくれたものだった。

午後8時頃、三木記者から

「やはりデスクが通してくれなかったので、明日の掲載は見送りとなった。引き続き記事の内容を充実させて、明後日の朝刊で掲載するようにしたい」

との連絡が私と告発人代表者にあった。

翌8日の午後7時過ぎに、三木記者からメールで、記事の原稿が送られてきた。

信じ難いことに、それは、同日午後に行われた山中市長の定例会見での発言についての記事で、前日に送付された予定原稿とは全く異なり、末尾に、告発人代表者のコメントが、3行ほど「カウンターコメント」のように載せられているだけで、パワハラにも全く触れておらず、インタビューに応じた趣旨に反するものだった。

その後、三木記者と電話で話したが、「デスクの判断で削られた」と繰り返すのみだった。こちらが、

「告発人代表者も、パワハラ被害の退職者も、相当に無理をして取材に応じてくれた。その趣旨に全く反する記事にされることには納得できない」

と言うと、

「それならボツにするしかない」

とのことだった。

告発人代表者の意向を確認した上、

「送付された内容であれば記事掲載には了承できない」

と伝え、告発人側で取材に応じた結果は記事には出さないということで話が終わった。

翌9日、「カナロコ」に、強要罪での告発についての山中市長の定例会見でのコメント中心のネット記事が出ていて、それがヤフーニュースに転載されていた。その記事は、前日の予定原稿の内容から告発人代表者のコメントが削除したものだったが、あろうことか、告発人のインタビューの内容を記事化する前提で送付した告発状の現物の写真が掲載されていた。

また、神奈川新聞の紙面や、カナロコの「有料記事」には、ボツにするはずであった告発人代表者のコメント入りの記事がそのまま掲載されていた。

告発人としては、告発人側のインタビューの内容を記事化するということで取材に応じたのである。「告発状」の現物も、インタビューの内容とする記事が掲載される前提で送付したものだ。山中市長の定例会見でのコメントを中心とする記事は、全く前提を異にする。そのような記事に、告発状の写真を使用することを了承したことなどなく、まさに流用そのものだった。

神奈川新聞社長宛の抗議、措置の要求

ネット記事を確認した時点から、三木記者に連絡し、「告発状の現物の掲載は了承していない」として記事の削除等を求めたが、真摯な回答は得られず、編集責任者に電話させるように求めたが、全く連絡はなかった。

そこで、同日、神奈川新聞の須藤浩之社長宛てに、「無責任な取材・報道の姿勢及び取材協力者側への不誠実な対応に厳重に抗議し、ネット記事から、告発状の現物の写真を削除すること、紙面で、取材・報道において不当な対応を行い告発人に迷惑をかけたことについての謝罪文を掲載すること」を要求する書面を送付した。

同書面は、10日に神奈川新聞に配達されたが、本日(3月16日)現在、何らの返答もない。告発人代表者にも、パワハラ被害者の退職者にも、9日の、上記「山中会見コメント」中心の記事掲載後、何の連絡もない。ただし、11日には、問題の記事の告発状の現物の写真は削除され、横浜市のイメージ写真に差し替えられている。私からの書面を受け、同写真の掲載に問題があったことについては非を認めているものと思われるが、それにしても、告発人側から提供を受けた写真を勝手に記事に掲載し、それを一方的に削除し、取材協力者側に何の連絡もしないという神奈川新聞の対応は、あまりに常識を欠くものだ。

マスコミの取材・報道に関する重大な問題

このような神奈川新聞の対応には、メディアとして極めて重大な問題がある。

第一に、今回の告発とその受理の事実の重要性についての認識の問題である。

一般的には、告発というのは、一つの捜査の端緒に過ぎない。しかも、告発自体は、「何人も」可能なのであり、、一般市民が、マスコミ報道で犯罪に当たるとされた事実について、それだけを基に検察庁に告発を行うというケースも少なくない。そのような告発の多くは、「犯罪事実不特定」、「犯罪の嫌疑の根拠不十分」等の理由で告発状が返戻される。特に、2008年の検察審査会法の改正で、不起訴処分に対する検察審査会への申立てが行われ「起訴相当議決」の議決が出ると法的拘束力が生じるようになってからは、検察の「告発受理」に対する慎重な姿勢が顕著になった。

最近では、「検察庁への告発」は相当ハードルが高く、告発人側に、告発事実について、捜査を遂げ真相を明らかにした上処罰を求めるという意思が明確に示され、犯罪事実が起訴状の公訴事実に近い程度に十分に特定されていなければ、告発状は受理されない場合が多い。

今回の告発は、現職の横浜市長を被告発人とし、市が設置者である市立大学の現職教職員らが行ったものであり、しかも、検察庁での慎重な審査手続を経て、正式に受理されたのであって、その事実は極めて重い。もちろん、その告発事件に関して、最終的にどのような刑事処分が行われるかは、検察の捜査が行われた上でなければわからない。しかし、横浜市会での請願審査の経緯をも踏まえれば、今回の告発とその受理の事実は、それ自体が、地元紙として大きく取り上げるべき案件だと考えられた。

そういう意味で、「告発人側のインタビューを行った上で大きな記事にして、ガツンとやりたい」と言って、インタビューを申し入れてきた三木記者の姿勢は真っ当なものだった。しかし、そのインタビューが記事化され、原稿が出来上がった後の神奈川新聞社側の対応は、信じ難いものであった。

神奈川新聞は、今回の問題についての「告発受理」の意味を過少評価しているとしか思えない。

「告発者」の取材・報道をめぐる問題

そこで第二の問題となるのが、取材・報道における「告発者」への対応である。

「権力との対峙」「権力者の追及」は、マスコミの重要な役割である。

しかし、「権力」「権力者」に関する情報をつかみ、具体的な事実を把握することは、外部者のマスコミにとって容易なことではない。その貴重な情報源となるのが「告発者」である。

横浜市大における「絶大な権力者」であった山中氏が、市長選に立候補して横浜市の最高権力者になろうとしたことに対して、山中氏の実像を知る市大関係者等から、パワハラ・経歴詐称・不当圧力等の様々な問題が指摘され、それが、最終的に、横浜地検への告発という形になった。そして、それらの問題指摘の主体の「告発者」が、インタビュー取材に応じ、記事化される過程で起きたのが、今回の問題だ。

この場合、告発者は、その氏名が公表されたり、権力者側に知られたりすることで、いかなる不利益が生じるかわからない。取材・報道する側には、格段の配慮が求められることは言うまでもない。

三木記者は、告発状に関する資料提供を受け、当初は、告発に至る経緯と動機、告発人が訴えたいことなどを内容とする記事を書く前提で、長時間の面談のインタビュー取材を行い、告発人からありとあらゆる情報を得て、実際、社内の所定の形式で予定原稿を作成して、告発人側に送付して確認を求め、さらに、パワハラ被害者の追加取材まで行った。ところが、その後の神奈川新聞の記事掲載に至る対応は、三木記者とは全く異なるものだった。

三木記者の説明によれば、「デスクが難色を示している」ということだが、インタビューを行い、予定原稿を取材対象者に送付して確認まで求めているのである。しかも、その記事のために、告発人の署名の入った告発状の現物まで送付している。それなのに、その時点で、そのような趣旨の記事を掲載すること自体について、新聞社内部での了承がとれていないということが、果たしてあり得るのであろうか。

告発人代表者は、三木記者は大変熱心に問題意識を持ってインタビューをしてくれたと言っていた。予定原稿も、その趣旨に沿うものだった。告発人側からすれば、当初掲載予定であった記事が事後的な事情によって変更されたのではないか、例えば、山中氏側やそれと近い社内関係者の横やりがあったのではないか、と疑いたくなるのも致し方ない。告発人の氏名も含む極めてデリケートな情報まで提供している告発人側としては、そのような神奈川新聞社側の対応に重大な不信感を持ち、告発人側の秘密が守られるのか、山中氏側に情報が洩れることはないのかと不安になるのも当然であろう。

告発人の現職教職員らが、山中氏による横浜市大への不当要求の問題に、ここまで徹底してこだわり、強要罪による刑事告発にまで及んだのは、それが、横浜市大のガバナンス・教育体制等に重大な悪影響を与えた「山中竹春氏をめぐる問題」を象徴する問題だからである。彼らの懸命の訴えが、少しでも多くの横浜市民に届くよう、私なりに最大限の努力をしてきたが、残念ながら、市長選の前後から現在に至るまで、横浜のメディアは、そのような「山中問題」を殆ど取り上げて来なかった。

そのようなメディアの姿勢が端的に表れたのが、今回の山中市長告発問題についての神奈川新聞の取材・報道のように思える。

神奈川新聞は、疑念を晴らすべく、今回の取材・報道の経過について、納得できる説明を行うべきである。