権威なんかないのに露大統領を「権威主義」と呼ぶ大新聞

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強権主義か専制主義がよい

バイデン米大統領が26日、欧州訪問を締めくくる演説でウクライナ危機を民主主義と強権主義の戦いと断じ、プーチン露大統領を「この男が権力の座に居座ってはならない」と強い調子で非難しました。

連日、ウクライナから流れてくる映像、情報は、民間人に対するロシアの非情な殺戮、都市・住宅への爆撃、破壊であり、ナチによるホロコースト(大量虐殺)を想起させます。

多くの新聞がプーチンの政治体制に対し、批判を込めて「専制主義」「強権主義」「独裁主義」と呼んでいます。それが正解です。

その中で読売新聞は異色で、プーチン体制を穏やかな語感を持つ「権威主義」という呼び方を続けています。「学会の権威」、「芸術界の権威」のように、日本語の「権威」には批判がましい語感がありません。

読売は意図的にそうしているのか、直訳のままがいいと判断しているのか分かりません。そのどちらにしても、読売は他紙と同じように、批判を込めて「専制主義」か「強権主義」という表現を使うべきです。

この問題には、「新聞用語の違い」では片づけられない重大な重みがあります。「権威主義」は、政治学上の権力構造分類である「独裁、専制、全体主義を含めた非民主主義の総称」で、「authoritarianism」の直訳です。

それを「権威主義」と直訳のまま使うと、強い非難のニュアンスが伝わってきません。日本も対ロ制裁、ウクライナ支援で西側と同一歩調をとっているのですから、国際情勢の深刻さを伝えられる表現がよい。

もっとも英語で独裁政治は「dictatatorship」、専制政治は「tyranny」です。バイデン氏や欧米メディアは「authoritarianism」を主として使っているのでしょうか。とにかく日本語にする場合は、ニュアンスがきちんと伝わる言葉を選ぶべきです。

バイデン氏のポーランド演説を読売は一面トップで扱い、見出しは「権威主義へ対抗訴え」です。本文では「バイデン氏は『この30年間、権威主義陣営は世界中で復活を遂げている』と警告した。覇権主義的な主張を強めている中国も念頭に置いた発言だ」と書きました。

識者のウクライナ分析などでも、例えば「プーチンがトップに君臨した22年間で、政治システムはより権威主義的になり、ロシア国民への抑圧を強めた」(ジェームズ・ブラウン氏、3/22日)と、権威主義を使っています。

他紙はどうか。正確なニュアンスが伝わる言葉を使っています。同じ演説が日経では、「強権主義台頭への危機感を訴えた」(一面)、「民主主義と強権主義の争いが新局面に入った」(3面の解説)です。権威主義ではなく、強権主義で統一しています。社内で申し合わせをしているのでしょう。

強権主義には独裁、専制を含む語感があります。産経は「バイデン氏は『強権政治からの自由を守るための長い戦いが待っている』と述べた」と、日経と同列です。

他方、朝日新聞は「専制主義」で統一しています。一面準トップで、バイデン氏は「民主主義と専制主義の戦いと位置づけ、プーチン大統領を独裁者だと痛烈に批判した」としました。

3面解説の見出しは、「専制主義との対決を強調」で、文中では「専制主義体制の代表的な指導者とされるプーチン氏」です。7面解説特集でも「グローバル化は貧富の格差を広げ、国家間の対立は深まり、専制主義とポピュリズムが台頭した」と、表現しました。

読売は社説「露の侵略が歴史的転換を招いた」(3/13日)で、「ロシアは強大な軍事力でウクライナに非道な攻撃を加え、事実上の無力化を意味する『中立化』や『非武装化』を迫っている」と指摘しました。その通りなのですから、「権威主義」などと言わず、「強権主義」と呼んでほしい。

せめて政権構造の分類を解説し、読売はなぜ「権威主義」との表現を選んでいるのかの説明が必要です。


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2022年3月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。