メルケル氏はプーチン氏に騙された

ロシア軍のウクライナ侵攻から30日で35日目を迎えた。軍事力で圧倒的に優位なロシア軍は祖国防衛で燃えるウクライナ政府軍、国民の激しい抵抗にあって苦戦を強いられている。

メルケル氏とプーチン大統領の長い付き合い(英日刊紙「ザ・サン」のユーチューブ・チャンネルのスクリーンショットから、2021年8月20日、モスクワで)

ウクライナ戦争が発生して以来、「ミンスク合意」関係国4カ国(独仏露ウクライナ)、トルコ、イスラエルなどが紛争の調停に乗り出したが、今日まで成果はなかった。その間、プーチン大統領と個人的に関係があるドイツのシュレーダー元首相(在任1998年~2005年)の名前が調停者の1人として出てきた。元首相は実際、モスクワに飛んでプーチン氏と会ったが、プーチン氏の心を和平に向けて動かしたといった情報は流れてこない。プーチン氏とシュレーダー氏の関係は経済的結びつき(例・国営企業ロスネフチの監査役)が契機となっていたこともあって、同元首相にウクライナ危機の調停を期待するほうが間違いかもしれない。

ところで、欧州連合(EU)の顔として16年間ドイツ政治を主導してきたメルケル前首相の名前も1度、紛争調停者として挙げられたが、本人が調停役を拒否したと報じられると、その後はメルケル氏の名前はメディアでは聞かれなくなった。

メルケル氏は首相時代、プーチン氏とは良好な関係を築いてきた政治家だ。メルケル氏は過去16年間(在任2005年11月~2021年12月)、対ロシア、対中国関係では政治的圧力を行使した強硬政策ではなく、経済関係を通じて関係を深めていく「関与政策」を実施してきた。ロシアや中国とは経済関係を深めていくことで両国の民主化を促進していくといったソフト外交だ。メルケル政権の対ロシア政策は「経済的パートナーとしてのロシア」と「政治的主体としてのロシア」の間に太い境界線を引いてきた。

米国が中国と激しい貿易戦争を展開している最中、メルケル氏は16年間の在任中、12回、中国を訪問し、習近平国家主席とは友好関係を構築していった。ドイツは輸出大国であり、中国はドイツにとって最大の貿易相手国だ。例えば、ドイツの主要産業、自動車製造業ではドイツ車の3分の1が中国で販売されている。米国からの圧力にもかかわらず、メルケル氏は中国との貿易関係を重視し、人権外交には一定の距離を置いてきた。

メルケル氏の任期が終わり、ショルツ現政権が誕生した直後、習近平主席は、「ドイツとの関係がメルケル政権時代と同じように友好関係が維持されることを願う」とポスト・メルケル政権にアピールしたほどだ。それほどメルケル氏と中国の関係は中国にとっては理想的だったわけだ。

メルケル氏は対ロシア関係でもロシアの天然ガスを欧州に運送する「ノルド・ストリーム2」を積極的に推進してきた。ただ、計画当初からバルト3国(リトアニア、ラトビア、エストニア)やポーランドから「ロシアの政治的影響が強まる」といった懸念の声があったが、メルケル氏は「経済プロジェクトだ」と説明し続けた。ロシア軍のウクライナ侵攻が生じ、ショルツ現首相が中止するまで同計画は推し進められてきた経緯がある。

ドイツ公共放送ARDのクリスチャン・フェルド記者は、「メルケル氏の過ち、シュレーダー氏の利益」という見出しの記事をターゲスシャウの電子版に掲載し、「プーチン氏のウクライナ侵攻はドイツ外交の敗北を意味する」と指摘し、「メルケル氏はエネルギー政策が外交でも大きな柱となるという警告を無視してきた」と指摘している。同パイプライン建設計画自身はシュレーダー政権が始めたが、メルケル政権の16年間、「ノルド・ストリーム2」計画を積極的に推進していったのはメルケル氏だからだ。

ロシアが2014年、クリミア半島を併合した時、メルケル政権は対ロシア制裁に参加したものの、ロシアとの関係に決定的な変化はなかった。また、ベルリンで2019年8月、チェチェン反体制派勢力の指導者の殺人、ロシア反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏の毒殺未遂事件(2020年8月)などに直面し、メルケル氏の対ロシア政策の見直しを求める声は上がったが、メルケル政権が幕を閉じるまで決定的な変化はなかった。

欧州議会がナワリヌイ氏の拘束に抗議して、「ノルド・ストリーム2」計画の即時中止を求める決議を賛成多数で採択したが、メルケル首相は当時、「ナワリヌイ氏の問題と『ノルド・ストリーム2』計画とは別問題だ」として、続行する意向を明らかにしている。

参考までに、ドイツの対ロシア外交には、①第2次世界大戦でのナチス・ドイツの戦争犯罪への償い、②ドイツの再統一をロシアが容認したことへの感謝、といった特殊な事情が反映されている。また、旧東独の牧師家庭に育ったメルケル氏自身の人道主義的な世界観もあるだろう。プーチン氏はメルケル氏の関与政策を利用し、ドイツとの経済関係を深める一方、その政治的野望の実現に向けて静かに準備してきたわけだ。メルケル氏の最側近の1人、内相を長い間務めたトーマス・デメジエール氏は、「プーチンという男の攻撃性を見誤った」と認めている。

ただし、メルケル政権の16年間、外相ポストは「キリスト教民主・社会同盟」(CDU/CSU)は握らず、連立政権のパートナー、社会民主党(シュタインマイアー、ガブリエル、マース)が担当してきた(1度だけ「自由党」(ヴェスターヴェレ)が担当した)。その意味で、ドイツの対ロシア、対中国政策に左派社民党の影響があったことは無視できない。社会民主党は、ヴィリー・ブラント政権下、独自の東方外交を推進し、共産圏との関係正常化を推進させたこともあって、ロシアを批判することに長い間、消極的だった。

「EUの顔」といわれたメルケル氏はロシア軍のウクライナ侵攻を目撃することで自身が進めてきた関与外交の敗北を痛感したかもしれない。そのメルケル氏にウクライナ戦争の調停を要請することはやはり少々酷なことだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年3月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。