中学受験科目に英語、どうなのだろうか?

中学受験に英語を取り入れる私立中学が増えてきています。2014年からは10倍程度増え、22年は146校、中身を見るといわゆる男女「御三家」(麻布 開成 武蔵 桜蔭 雙葉 女子学院)クラスの有名私立進学校では実施しておらず、共立や慶應湘南藤沢校といった個性的教育をするところが多い印象です。また、男子校は比較的少なく、女子校や共学が主流となっているのも特徴です。

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そもそもは2011年に小学校で「外国語活動」という名の英語教育クラスが生まれたのがきっかけかもしれません。しかし実態は外国人先生の数が十分ではなく、クラスも週に1-2回程度で中途半端感は否めませんでした。また今の小学校は通信簿も大雑把な評価で、点数をつけるわけでもなく、「科目」としての教育レベルではありませんでした。

一方、私立中学の一部では帰国子女を受け入れることに重きを置いている学校もあり、それらの私立が「帰国子女枠」として英語の試験をしていることはありました。変わってきたのはそれに加えて「英語選択入試」ができたことです。つまり一般の小学生が受験する枠です。

ではどのレベルか、と言えば正直、あり得ないぐらい難しいです。海外に30年もいる私が「へぇ」と思うほどのレベルです。英検では2級ぐらいが求められます。ある私立校の入試試験を見ましたが、「ん、ちょっと待って」というぐらいの水準です。これ、高校入試ではありません、中学入試なのです。

小学校の「外国語活動」では文法云々ではなく、英語に触れ合うことを主眼としているのでこれらの中学に英語を選択して受験をするならば当然にして英語塾に通うことが求められるでしょう。確かに英語は小さい時から学ぶ方がはるかに伸びます。これは事実。但し、日本で英語能力を伸ばすのは私は現実問題として相当難しいとみています。理由はせっかく覚えても使う機会がないからです。かつて「英語のシャワー」なんて言うキャッチの英語ビジネスもありましたが、私だって英語の世界にいるからこそ、英語が少しはできるようになったと思っています。

私は仕事柄アルバイトの応募者の面接を過去からずっとやり続けています。その際、ほぼ確実に聞く質問が「英語は?」です。相当努力しただろうな、と思われる人と海外で生活経験がある人は別として一般的な英語の能力は「ベタベタ英語」です。そしてさらに明確な特徴として、「読む」「書く」「聞く」「話す」の4項目のうち日本人は「読む」と「書く」はまずまずできるのです。(たぶん翻訳機を使っている人もいると思いますが。)ただ、「聞く」と「話す」は機械に頼れないし、本当の能力が出るのです。これが恐ろしく弱いのです。

では英語が仮に素晴らしい点数だったとしましょう。あるいはTOEICの990点満点中900-950点ぐらいとる人がいたとしましょう。当地で仕事ができるかといえば残念ながらその等式は不正解です。理由は言語は媒介手段でしかないのです。本当に必要なのは相手に説明し、説得する能力、理解してもらう論理性、プレゼン力なのです。当地の子供たちがなぜ、しっかりした自己主張ができるかといえば小さい時から常にプレゼンが授業や家の教育でついて回るからなのです。

つまり、私は英語教育よりも人前でしゃべる、自己主張をする、プレゼンをする、といったクラスを小学校から取り入れるべきだと思うのです。事実、今の人は日本語ですら、自分の言いたいことをきちんと伝えられなくなっています。

語彙も少なくなっています。「やばい」「ださい」「えもい」といった表現はかなり広範囲に使われていますが、もっときちんとした日本語表現が星の数ほどあるのにそれを使わないことで「普通の日本語を読んでも外国語にしか見えない」わけです。今の中高生に三島由紀夫や夏目漱石、川端康成を読ませれば1ページも理解できない生徒が主流でしょう。

長年所属しているビジネス系NPOでは今年から私が会長になったこともあり、改革を進めています。そのプログラムの一つが「私塾」です。6年目となる今年のテーマを「プレゼン能力」として1年間、練習しています。北米の大学の3MT(3分間テーゼ)方式を使って3分程度で自分の主張を行うという内容でほかの参加者が聞きコメントを出し合います。

実はこれ、とても自信につながります。私、先々週に母校の校友会の年次会議で13分の持ち時間でプレゼンがあったのですが、滑らかにしゃべることが出来ました。どうやったらうまくなるか、いろいろ工夫をするようになるのです。つまり経験値から改善ができるという訳ですね。

英語は確かに大事です。世界共通語はエスペラント語ではなく、英語なのです。地球は小さくなっています。私は韓国人や中国人とも英語で話をします。唯一のコミュニケーション手段である以上、英語は必要でしょう。また「俺は外国になんか行かない」と言っていたのに青天の霹靂で海外赴任になった人の話はとても多く聞きます。

日本の英語はどうしても文法教育。そして入学試験では採点のしやすさから正誤がわかりやすい試験を採用します。これが正しいのか、私はいったいいつになったら議論が展開するのか、と思っています。中学に英語受験科目が加えても試験内容は文法試験ではなく、もっと工夫をしたものにすべきだと感じます。採点が出来ないというならそもそも学校にその能力がないのであって試験そのものをやめた方がいいと思います。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年3月30日の記事より転載させていただきました。

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会社経営者
ブルーツリーマネージメント社 社長 
カナダで不動産ビジネスをして25年、不動産や起業実務を踏まえた上で世界の中の日本を考え、書き綴っています。ブログは365日切れ目なく経済、マネー、社会、政治など様々なトピックをズバッと斬っています。分かりやすいブログを目指しています。