日本外務省は31日、ウクライナの首都キエフの呼び方を従来のロシア語読みの「キエフ」からウクライナ語の発音に従って「キーウ」と呼称すると発表、その他の地名もウクライナ語の発音に従うという(例「チェルノブイリはチェルノービリに変更)。
多くの日本人にはどうでもいいことかもしれないが、海外の出来事を報じるジャーナリストにとっては外来語の表記ではやはり神経を使う。外来語を発音通りに表記する場合、非常に込み入った表記になるケースが多い。オーストリアでは過去1年間で3回、首相が交代したが、現首相を「ネーハマー」と書いて出稿したら、「ネハンマーにして下さい」とデスクからいわれたことがある。外来語を母国語読みする場合、如何に忠実に再現するかは重要な問題となる。
「キエフ」の読み方の場合、少々込み入る。ウクライナ語もロシア語も東スラブ語系であり、共にキリル文字を使用する。これまで慣れていた呼び方「キエフ」はロシア語のКиевに由来している。ウクライナ語のКиївから派生した「キーウ」は英語圏の国々で普及している、といった具合だ。いずれにしても、ロシア人がウクライナ語を聞いてもその逆の場合でも互いに相手を理解できるから、両言語は非常に近いことは間違いない。
例えば、日本人が韓国語を学ぶのは他の言語を学ぶより簡単だという。多分、文法上、両言語は似ているからだが、その発音は異なっている。身近な例を挙げる。ドイツ人やオーストリア人はオランダ語を聞けば、結構理解できるのだ。オランダのプロサッカー選手の試合後のインタビューを聞くと、ドイツ語を聞いているような錯覚を覚えたことがある。多分、文法ではなく、発音が似ているからだろう。ひょっとしたら、スイス人のドイツ語を聞くよりも、生粋のオランダ人のオランダ語のほうがドイツ語に近い発音をするのではないか。
欧州最古の総合大学ウィーン大学ではウクライナ語を学べる。ウクライナ出身の大学教授がウクライナ語を教えている。そこにウクライナ人の女友達を持つオーストリア人の男子学生がウクライナ語・講義のコースに参加した。ところで、教授が出した宿題が分からないので女友達に聞いたところ、彼女も分からないというので驚いた。彼女がウクライナ語が分からないのは、ウクライナではもっぱらロシア語で生活していたからだというのだ。
ロシア軍がクリミア半島を併合した後、すなわち、2014年以降、ウクライナではウクライナ語を復活しようといった運動が活発化してきた。それまではウクライナではテレビやラジオの番組はもっぱらロシア語だった。テレビの「スター誕生」のような人気番組もロシア語で放映されていたから、先の女友達のように「ウクライナ語は国の言葉だが、生活はロシア語だった」というわけだ。
ロシア人はウクライナを「小ロシア」と呼び、その言語を「小ロシア語」という。決して軽蔑した表現ではなく、ロシア語が「大ロシア語」とすれば、ウクライナ語は小ロシア語というだけだ。ロシアのプーチン大統領を擁護する気はまったくないが、「ロシアとウクライナは兄弟だ」といった思いが湧いてきて、「それではウクライナを併合しよう」というとんでもないファンタジーの虜になったとしても不思議ではない。それほどロシアとウクライナは歴史的、文化的、そして言語的にも似ているのだ。
ドイツの南新聞で興味深い記事が掲載されていた。ヴェロニカ・ヴルフ記者の3月20日付の記事だ。同記者はキエフといった4文字はウクライナ人の自由への問題というのだ。ウクライナ語のキエフという表示は、ウクライナ人には重要な政治的声明、民族の独立表明となる。首都が何と呼ばれるかを自ら決定できる独立したヨーロッパの国家といった意識だ。
ウクライナは過去、何度も大帝国の支配下に置かれてきた。その度にウクライナ語は支配者によって禁止されてきた歴史がある、キエフ大公帝国、オスマン帝国、オーストリアーハンガリー、ポーランド王国などの支配下の後、ロシアの支配下に入った。そしてロシアの支配下に入ると、ウクライナ語が数回禁止され、ウクライナ語の本を印刷することも許可されなかった。
ウクライナが1991年、独立した後、ウクライナ語の公用語化が進められたが、ウクライナ東部と南部では、多くの人々がロシア語を母国語としている。2012年には、ウクライナの一部でロシア語を公用語として認める法案をめぐって議会で乱闘が起こったことがあった。ただ、2014年のロシアのクリミア併合後、国民の間でウクライナ語を使用すべきだという動きが出て、ロシア語を使ってきた国民もウクライナ語を使用するようになっていった。
ウクライナのゼレンスキー大統領は同国東部出身でロシア語で成長してきた。そしてコメディアンとなった後も使用する言語はロシア語だったが、2019年5月に大統領に選出された後、ウクライナ語を話すようにしてきた。ちなみに、ゼレンスキー氏のヒット作品「国民の僕」(2015年~2019年放送)のオリジナル言語は「ロシア・ウクライナ語」と記されている。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年4月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。