新年度入り

4月1日になると様々な思い出が走馬灯のように過ぎていきます。この歳になっても小学校時代の4月1日、高校に入った時、大学に入った時、そして会社に入った時のことは割とすぐに記憶から引き出せます。それは必ずしも4月1日ではなかったかもしれないですが、桜と新しい服と緊張感が三点セットでした。

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残念ながら社会人2年目以降になると4月とは転勤の時期というイメージ以外はあまり印象深くないのですが、意識して新しい息吹を感じるようにしています。

「新年」は1月1日、「新年度」は4月1日ですが、私の会社の決算は9月末だからあまり関係がありません。よって、気をつけることは1月に考えた今年の抱負が初めの3か月間で順調に消化できているのか、3か月の間に見直さねばならないことがあるのか、これから夏に向けて気力や体力も充実していく中でどこを伸ばすのか、といったことを考えています。

この3か月間はコロナの末期、ウクライナの戦争、物価高など強い刺激となることが多かったと思います。私はビジネス系NPOの会長として1月に就任し、非常に高い目標となる2年で提携先を含めた会員数を3倍にすると公言しました。昨日はその提携予定の団体と飲食店貸し切りでイベントを行い、満員御礼の大盛況となりました。誰でも知っている一流企業の駐在員から学生さんまで完全なる異業種交流です。久々にリアルで様々な方に出会えたことは大きな刺激となりました。

ニュースを見れば難題山積の社会ですが、自分でできることはまだまだあるな、と思った次第です。2年半我慢してようやくできた異業種交流を通じて様々なアイディアが浮かんできます。来週には台湾系団体の会長と共同イベント開催の話をします。

我々社会人にとって4月1日は何もしないで終わってしまう普通の一日になりがちかもしれませんが、こうやって意識をすると面白い日々が送れるのだということに改めて気がつきます。

話は変わりますが、日経のコラム「春秋」にこんな気を引くストーリーがあります。

世の中には二種類の人間がいる。『カラマーゾフの兄弟』を読破したことのある人と、読破したことのない人だ」とは村上春樹さんの言葉だ。ドキッとする。ドストエフスキーの名作だが相当分厚い。粗筋だけはなんとなく知っている、という方も多いのではないか。…

春秋のこのコラムニストが言いたいことは別ににあるのですが、私も思い出したのです。カラマーゾフ、分厚かったよなぁ、上巻は本当にページが進まなくて苦労したなぁ、と。しかし、私はあの1800ページぐらいある文学を読み終えた時、難解ながらも他の人には到達できないであろう優越感に浸っていたのを覚えています。

バンクーバーはこれから6か月間は乾季に入り、素晴らしい天気の日が増えます。この数年は近くの山にハイキングに行くことも多く、最近はAll Trailsというスマホのアプリを使うのでハイキング道で迷うこともほぼなくなり、次は何処に行こう、というワクワク感に浸ることもあります。Youはなぜ山に、と聞かれればそれは達成感なのだと思います。眺めの良い頂上に着いた時、へぇ、こんなに登ったのか、という以上に「やればできるんだ」という自分への自信を深めることです。

人生は一度きりながらも、その間四季を通じた一年という括りを80回とか90回グルグル繰り返します。それを、また来た、ととるのか、今度はこう、という工夫をするのかで人生の厚みは全く違う絵図になります。

人生の厚みは年輪にも例えられますが、しわだけが増えた、とか体重だけ増えたというのではあまりにも寂しいです。一歩踏み出す、という意味では寒い日々が続き炬燵の中で丸まっている1月1日より4月1日のほうがはるかに踏み出しやすいという見方もできます。

幸いにして今日は好天。踏み出して明るく笑顔で一日を始めたいものです。桜は見るだけではなく、心にともしびを与えてくれると考えれば、そのありがたみはまた深みが増すというものですね。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年4月1日の記事より転載させていただきました。