東京・春・音楽祭 ワーグナー『ローエングリン』

東京・上野で開催中の東京・春・音楽祭の、2022年の目玉公演のひとつであるワーグナー『ローエングリン』を東京文化会館大ホールで鑑賞した(3月30日)。指揮はワルシャワ出身の巨匠マレク・ヤノフスキ。オーケストラはNHK交響楽団。合唱は東京オペラシンガーズ。メイン歌手のうち、オルトルート役のエレーナ・ツィトコーワのみ来日が叶わず、イタリア出身のメゾ・ソプラノ、アンナ・マリア・キウリが代役を務めた。

前奏曲から、純粋で透明な川のせせらぎのような音が溢れ出し、ヤノフスキがこの18年目を迎える上野の音楽祭に敬意を表し、混沌とした時代の中でも音楽家のとるべき姿勢は同じ、という信念を持っていることが伝わってきた。N響のコンサートマスターは白井圭さんだが、この方がコンマスのときのN響はとても優しく温かい響きになる。

1幕では、テルラムント役のエギルス・シリンスの声を楽しみにしていたが、それ以上にハインリヒ王のタレク・ナズミの迫力のあるバスに驚いた。背が高く、堂々たる体つきで、天から落ちて来る雷のような声を出す。シリンスも素晴らしかったが、1幕の一番の驚きはこの王だった。

エルザ役のヨハンニ・フォン・オオストラムは清純そのものの姿で、灰色がかったライラック色のドレスと金髪のロングヘアが、天使のような姫役にぴったり。声と姿が醸し出すオーラの完璧さに、演奏会形式であることを忘れてしまいそうになった。地上をうごめく腹黒いオルトルートとテルラムントとは別の次元で、息をしている。同じ空間にいるのに、他の歌手たちより天に近い場所にいる、という表現が見事だった。

白鳥の騎士ローエングリンを歌ったテノール歌手、ヴィンセント・ヴォルフシュタイナーは優しそうな雰囲気で、昔はウィーン少年合唱団で歌っていたのかと思うようなリリックな声質の持ち主。1幕では少し緊張気味に感じられたが、ローエングリンが歌う旋律はつねに明朗で誤魔化しがきかず、歌い出しが突拍子もない音程であったりするので、歌手にとっても大変なのではないかと推測する。

この役を十八番とするクラウス・フローリアン・フォークトは元々オーケストラのホルン奏者で「ホルンは正確さが求められるので歌唱のキャリアに役立った」と語っていた。まさに管楽器のコントロールの正確さを求められ、恐らく演劇性はそれほど求められない。ヴォルフシュタイナーも3幕まで正しく「棒歌い」だったが、美声の印象は損なわれることがなかった。

2幕では、オルトルートのアンナ・マリア・キウリがぞくぞくする邪悪な女を演じ、美しい声で呪怨に満ちたおぞましい歌詞を歌い上げた。夫であるテルラムントとお互いを罵り合うこの場面では、毎回「これでも二人は夫婦なのか」と呆れる。テルラムントとキウリの相性は抜群で、息がぴったり合っていた。毒々しい悪女の役でも、声楽的な気品を失わないキウリの発声に歌手のプライドが感じられた。

オーケストラの立体感と表現力は月並ではなく、悪役が歌う場面では楽器の音も蛇のように邪悪になり、正義の側にいる者が歌うときは、響きの気配からクリスタルのように透明になる。ヤノフスキは一瞬一瞬をこつこつ、こつこつ作り上げている。どれだけ譜面と向き合ってきたのか。歌手たちのきらびやかな姿に目を奪われつつ、つねにヤノフスキの後ろ姿を見つめないわけにはいかなかった。

3幕の前奏曲は、マエストロ登場に反応した聴衆の拍手をかき消すように始まったが、その厭世観がまさにヤノフスキだった。21世紀の人とは思えない風貌の、ローマ時代のコインに刻印されているような立派な顔の指揮者にとって、現実の楽しみなどどうでもいいのかも知れない。もう長いこと、音楽の世界にのみ至高のものを感じていて、他のことは色褪せて見えているという感じだった。素晴らしい歌手とオーケストラと合唱が乗った楽劇であると同時に「ワーグナーとヤノフスキふたり」の世界であるとも思った。

東京オペラシンガーズの合唱は驚くほど洗練されていて、男声が左右に16人ずつ並び、その間に女声が配置され、闇と光の霊力を感じさせる響きを放った。合唱指導者の二人のうち一人が海外から招聘されていた(エベルハルト・フリードリヒ)が、独語のディクションから各場面の色彩感に至るまで、本格的に磨き上げたのだろう。ここまでやるのか…と聴いていて感極まるものがあった。

ブラバントの貴族には大槻孝志さん、髙梨英次郎さん、後藤春馬さん、狩野賢一さん、小姓には斉藤園子さん、藤井玲南さん、郷家暁子さん、小林紗季子さんが登板。それぞれ歌う場面は短いが、普段の歌手たちの活躍を思い出し、贅沢な心地になった。

小冊子ではない大判のプログラムには、ヤノフスキの長めのインタビューが掲載されており、今年1月に行われた対話の中で既に「さらに混沌とした」現在の世界を予告しているような言葉が散見される。世俗から最も離れた場所にいるようで、独自の知性と肌感覚で世界認識を行っている人物だと思った。完璧に磨き上げられたオーケストラの響きの中に、ワーグナー特有の「憂い」というか「悲観」も強く感じられた。これはリストにも共通する響きで、疼くような香りであり色彩なのだ。

聴衆の熱狂的スタンディングオベーションに囲まれたヤノフスキが、一瞬でも微笑む顔を見たくて、拍手もおろそかにオペラグラスで凝視していた。マエストロは一瞬たりとも笑わず、歌手たちと手をつないで無表情のまま喝采に応えていた。