ローマ教皇のキーウ訪問実現を願う

ウクライナの首都キーウには東方正教会の代表的建物、「聖ソフィア大聖堂」と「キーウ洞窟修道院」がある。両者とも国連教育科学文化機関(ユネスコ)から世界遺産に登録されている。ロシア軍のウクライナ侵攻が始まって以来、ユネスコの情報によると、53カ所の文化施設が戦争で破壊されたり、損傷を受けりした。そのため、「聖ソフィア大聖堂」と「キーウ洞窟修道院」が戦争に巻き込まれ、破壊されないか懸念されている。

聖ソフィア大聖堂(ウィキペディアから)

ドニエプル川から見たキーウ洞窟大修道院(ウィキペディアから)

前者は東方正教会のシンボル的な存在であり、988年のキエフ大公国の洗礼の後、ウクライナ最初の国家「キーウ・ルーシ」の最大の聖堂として1037年に建立された。長い間、キーウ府主教の主教座大聖堂だった。何度も戦争で破壊され、その度に再建され、拡張されてきた歴史を有する。ロシアとウクライナ両国の正教会とローマに繋がるビザンツ式典礼の教会の間で所有権争いが起きたため、聖ソフィア大聖堂は特定の教派が管理しない博物館となった。2018年、ウクライナ正教会は独立正教会と合流し、モスクワのロシア正教会から独立。その翌年1月のクリスマス式典は同大聖堂で挙行されている。

後者はキーウのペチェールシク地区に位置し、「キーウ・ペチェールシク大修道院」と呼ばれている。キエフ大公国の時代、1051年にキーウ郊外に建立された、その後、ウクライナの宗教・教育・学問に大きな影響を与えてきた。同大聖堂はロシア正教会系のウクライナ正教会が管理していることから、「ロシア軍がこの修道院を攻撃することはないだろう」と受け取られている。ただし、モスクワ総主教系のウクライナ正教会の多くの聖職者はロシアの侵略に反対を表明している。

ところで、マルタ訪問途上の機内でローマ・カトリック教会のローマ教皇フランシスコは2日、記者団の質問に答え、「キーウへの旅行も検討している。その計画は私のテーブルの上にある」と語っている。キーウ市のビタリ・クリチコ市長やゼレンスキー大統領が度々、ローマ教皇のキーウ訪問を要請してきた。

ただし、フランシスコ教皇のキーウ訪問が実現できるかは不明だ。その理由は、①キーウの安全問題、ロシア軍が軍再編成後、再び首都制覇を目指して軍攻勢をしかけるかもしれない、②教皇の健康問題、昨年12月で85歳となった教皇は昨年7月4日、ローマのアゴスチノ・ゲメリ・クリニックでセルジオ・アルフィエリ医師の執刀による結腸の憩室狭窄の手術を受けた。膝の調子もよくなく、歩行も容易ではない状況、③ロシア正教会との関係。フランシスコ教皇は先月16日、キリル1世とオンラインで会談し、ウクライナ情勢について語り合った。

バチカンニュースによると、両指導者は、「キリスト教徒は平和を実現するために可能なすべてのことをしなければならない」ことで一致したという。会談はフランシスコ教皇のイニシアチブで実現した。キリル1世はプーチン大統領のウクライナ侵攻を支持している。

マルタのフロリアーナでの記念礼拝で「平和」を訴えるフランシスコ教皇(2022年4月3日、バチカンニュースから)

バチカンニュースによると、フランシスコ教皇は2日、訪問先のマルタの首都バレッタで政府関係者、外交官らを前に、異例とも思われるほど厳しいトーンでウクライナ戦争を批判し、「死、破壊、憎しみをもたらす冷たい戦争の嵐が、多くの人々の生活を打ち砕いている」と述べ、その戦争の責任者ロシアのプーチン大統領の名前こそ挙げなかったが、「強権者は戦争を煽り、自身の影響圏の拡大に腐心している」と非難している。そして「他国に侵略し、残忍なストリートファイト、核の脅威をちらつかすことは遠い過去の暗い記憶だと思っていたが、そうではなかった」と述べた。バチカンウオッチャーは、「ウクライナ戦争について、今回のフランシスコ教皇の批判はこれまでで最も厳しい内容だった」と受け取っている。

ちなみに、教皇は3日午後、約200人の移民たちと会合し、マルタ南西部のフロリアーナ市でミサを祝い、巡礼地パウルスグロッテを訪問した後、同日夜にローマに戻る。

願わくは、フランシスコ教皇がキーウを訪問し、「聖ソフィア大聖堂」と「キーウ洞窟修道院」に足を踏み入れることができれば、キリスト教は教派の違いを乗り越え「平和」のために結束したと評されるだろう。ハードルはまだ高いが、ローマ教皇のモスクワ訪問が現実味を帯びてくるかもしれない。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年4月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。