「英米が戦争を終わらせたくないたい」というのは嘘である

池田 信夫

八幡さんの記事には問題がある。アゴラは自由な討論の広場なので、編集部の見解と異なる意見も歓迎するが、「英米が戦争を終わらせたくない」というのは事実に反する。そんな証拠はどこにもない。

問われているのは「価値観」ではなく国際法の秩序

八幡さんの持論は「ウクライナ人はロシア人と同じ民族だから、プーチンが併合するのは当たり前だ」ということらしいが、主権国家の帰属はその国民が決めるというのが国際法の原則である。それはロシア人とウクライナ人の歴史とは関係なく、2度の世界大戦を通じて人類が築いてきた最小限のルールである。

別の記事でも、篠田さんの記事を「世界に正邪2種類の国とか思想があり、この紛争は正と邪の戦いであり、正の方に味方することが、100%善であり実利にも適う」と単純化して批判している。八幡さんはそれを「価値観外交」と呼び、それとは別の「中立的な外交」があると考えているようだが、いま問われているのは、ロシアが国境侵犯してウクライナの都市を無差別爆撃し、無抵抗な民間人を虐殺している戦争犯罪である。

必要なのは価値観の議論ではなく、犯罪の断罪である。事ここに至っても「どっちもどっち」の態度をとることは、殺人犯と被害者の間で中立の立場をとるに等しい。殺人が悪だというアプリオリな根拠はないが、それを容認したら社会は存立できない。

ロシアの戦争犯罪を放置することは「リアリズム」ではない

この問題については、ミアシャイマーなどのリアリストの立場から不介入が提唱されており、今年2月までのNATOの立場はそれに近かった。アメリカはもう「世界の警察官」のコストを負担する気はなく、最大の懸念はロシアでなく中国だった。その油断が今回の事態を招いたという批判はありうるが、「英米が戦争を終わらせたくない」というのは逆である。

戦争前はそういう不介入主義にも一理あったが、それがウクライナを「力の空白」にし、ロシアの侵略を誘発した。今となっては、それはリアリズムでさえない。このままロシアがウクライナを焦土にすることを認めるのは、現在の国際法に公然たる無法地帯を許すに等しい。それは隣に同じようなことをしそうな国をもつ日本にとっても、他人事ではない。

いま日本人にできることはほとんどないが、せめてやるべきことは、戦っているウクライナ人の後ろから弾を撃たず、経済制裁でロシアに撤兵の圧力をかけることだ。それは中国の軍事的冒険の抑止にもなる。八幡さんのような「近所との無用な摩擦は避ける」という事なかれ主義は有害である。