プーチン氏の恨みと「兄弟戦争」の原型

ロシア軍がウクライナに侵攻して9日で45日目を迎えた。ロシア軍の攻撃で最大の被害を受けたウクライナ南東部マリウポリでは今なお、避難できない多くの市民が電気、水、食糧の欠乏した困窮下にある。ロシア軍の妨害もあって外部からの人道支援物質が十分届かないという。

ロシア軍の攻撃で破壊されたマリウポリの風景(2022年3月27日、オーストリア国営放送ニュースルームのスクリーンショットから)

マリウポリの親ロ派市長のコンスタンチン・イワシュチェンコ氏がロシア国営タス通信に答えたところによると、同市から約25万人の市民が避難し、まだ同数の市民がいるという。ロシア軍の攻撃で約5000人の市民が死亡し、住居、建物の60%から70%が完全に破壊ないしは損傷したという。それに対し、キーウのウクライナ側の発表によると、約10万人の市民が避難できずにいて、その生活環境は“カタストロフィ”という。住居の破壊率は90%と見ている。

マリウポリの状況はシリア内戦下のアレッポを想起させる。ドイツ民間放送は、一人の婦人が亡くなった家族を葬り、そこに何処から採ってきたのか一輪の花を供えている姿を放映していた。亡くなった多くの市民は他の遺体と共に黒いビニール袋に入れられ、穴に埋められている。

ところで、(亡くなった)彼らはどこに行ったのだろうか。彼らは今、何を考えているだろうか、という思いが湧いてくる。数時間前まで家族と共に生活していた人が突然侵入したロシア兵によって射殺されたのだ。キーウ近郊のブチャでは自転車に乗っていた男性がロシア兵に射殺され、路上に放置された。コンピューター・ゲームだったら、ゲームオーバーで再びプレイを始めればいい。しかし、人生はそうはいかない。突然、殺されたのだ。理由もなく、別れを告げる時間すらなく、誰から殺されるのかさえ分からない状況下で、多くの人々が殺されていったわけだ。

「彼らは恨むだろう」と思う。当然だ。マリウポリ、ブチャなどの戦場では亡くなった人々の「恨み」「悲しみ」を感じないだろうか。それを感じれば、人を殺すことなどできないはずだ。殺されたウクライナ人だけではない。なぜ自分は戦っているのも分からないのに戦場に赴き、殺された若いロシア兵にもいえることだ。戦場は恨みと悲しみで一杯だ。

イスラエルの歴史学者ユバル・ノア・ハラリ氏は、「ロシアはウクライナを占領するかもしれないが、ウクライナ人の心までは支配できない。プーチン氏はウクライナ戦争で憎悪を植え付けている。早く休戦しなければ大変だ。戦争前はロシア人もウクライナ人も同胞だったが、今は敵同士となった。戦争は憎悪を植え付けている。そして後の世代がその収穫を刈り取ることになる。この戦争が長期化すれば、その影響は欧州だけではない。その衝撃波は世界の安定を脅かす」と強調している。

ウクライナ戦争だけではない。イスラエルとパレスチナ問題もそうだ。至る所に戦争と紛争が起き、憎悪が生まれてきている。そしてその憎悪は世代が変わっても引き継がれていく。

問題は死んだ人間の「恨み」や「悲しみ」だけではない。今生きている人間が憎悪に駆り立てられ、ヘイト発言が飛び出し殺人まで起きてしまうケースがあることだ。愛されなかった、自分だけが公平に扱われていない、分かってもらえない、という恨みが憎悪となって跳ね返ってくるのだ。

カインとアベルの話は旧約聖書の「創世記」だけではない。ローマ神話にも双子ロームルスとレムスの兄弟殺人物語がある。神の祝福を受け、恵みを享受する側(アベル)とそうではない者(カイン)の間にいがみ合い、妬み、憎悪、紛争、そして戦争が起きてきた。

換言すれば、われわれには「集団的無意識」の世界に埋め込まれているカインとアベルのフラトリサイド(兄弟戦争)が、事があれば頭を持ち上げくるのだ。「自分は神から愛されていない」という疎外感が紛争、殺人、戦争の原型ではないか。

話は21世紀に戻る。プーチン大統領の大国ロシアへの執念、反欧米主義は典型的なカインの衝動だ。マリウポリの破壊、ブチャの虐殺事件は中途半端な蛮行ではない。恨みと憎悪に駆り立たされた復讐劇だ。

そのプーチン氏はウクライナに侵攻し、多くの戦争犯罪を犯し、世界から批判を受けている。この状況はカインがアベルを殺す直前に酷似している。それだけにプーチン氏の暴発が恐ろしいわけだ。

ゼレンスキー大統領FBより(編集部)


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年4月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。