会社員は死して人となる

哲学を専門とする大学教授の職業は、普通には、大学教授としての地位であって、哲学の専門家としての哲学者ではないし、趣味のピアノの腕前がプロ級で、演奏会に人が集まるとしても、ピアニストは職業ではない。しかし、誰でもが社会のなかで何らかの位置を得て、何らかの関係をもち、何らかの役割を担っているから、その位置、関係、役割を職業というのなら、哲学者や、ピアノの演奏家としての社会的地位は職業である。

会社員は職業である。なかには、専門性を備えた会社員もいる。そして、誰でも、職業を超えて、家族、大学、学会、日本国、世界市民社会などの様々な社会関係に重層的に属し、多数の役割を兼務している。それなのに、なぜ、人は、自分の何たるかを説明するのに、職業をもってするのか。なぜ、自分が所属する多数の社会関係のなかで、所得の源泉や専門的技能を特別視するのか。

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自分の何であるかを問われたときには、その問いが発せられた状況に応じて、人は様々に異なる答え方をできるはずだが、実際には、この問いが発せられる状況というのは、所得の源泉や専門的知見が問題になっている場合が多いのである。要は、人は実利的で実用的な関係性のなかで生きている度合いが強いわけだ。

しかし、家族の一員としての自分、地域社会の一員として活動する自分、学校の同窓会の一員としての自分、馴染みの居酒屋の常連客の一員である自分、趣味を同じくする同好会の一員としての自分、世界市民社会の一員として環境問題を考える自分などは、自分にとっては大切な自分なのであって、人から自分の何であるかを問われたとき、所得の源泉や専門的知見を差し置いて、敢えて名乗るとしたら、どの自分なのか、そこに真の自分が表明されるのである。

働き方改革において、会社員は、所得の源泉としての会社員から、専門性を備えた人としての会社員へ脱皮し、更に、会社員である以前の自分へ、多様性を備えた一個の人間である自分へと、回帰していかなくてはならないのである。

森本 紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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