プーチン氏に影響与えた思想家たち

独週刊誌シュピーゲル(4月9日号)に興味深いインタビュー記事が掲載されていた。ロシア移民家庭出身でパリ生まれの哲学者で「プーチン大統領研究」のエキスパート、ミシェル・エルチャニノフ氏との会見記事だ。同氏は今、話題を呼んでいる「プーチンの頭の中、独裁者の論理と恣意性」の著者である。

「プーチン大統領研究家」ミシェル・エルチャニノフ氏との会見記事を掲載した独週刊誌シュピーゲル(2022年4月9日号から)

エルチャニノフ氏によると、プーチン氏は2014年の年初め、クリミア半島への侵攻前に、クレムリンの重要な5000人の官僚たちに3人のロシア思想家の本をプレゼントした。その3人の思想家こそプーチン大統領のその後の“プーチン主義”とも呼ばれている「ロシア支配下のユーラシア帝国」という世界観の構築に影響を与えた、というのだ。

そこで3人の思想家について簡単に紹介する。3人は19世紀から20世紀初期にかけ活躍したロシア人の思想家たちだ。

①イワン・アレクサンドロヴィチ・イリイン(1883年~1954年)
プーチン氏はイリインの著書「我々の課題」を配布した。イリインはロシアの宗教哲学者だ。彼は共産革命を支持せず、「ロシアは近い将来、キリスト・ファシズムによって共産主義ロシアから解放される」と期待し、ロシアの歴史的使命について多くの著書を出版した。イリインは君主主義者であり、道徳と敬虔さを土台として各個人の「法意識」を発達させることの重要さを強調。イリインは1938年、亡命先のベルリンをナチ政府によって追われ、スイスに逃げ、そこで亡くなった。プーチン氏は2009年、スイスにあったイリインの遺骨をロシアに移送させ、新たな墓に埋葬させている。

②ニコライ・アレクサンドロヴィチ・ベルジャーエフ(1874年~1948年)
配布された本は「不平等の哲学」。ベルジャーエフはロシアの哲学者。共産主義を最初は支持していたが、後に反共産主義者となる。10月革命後、パリに亡命。「共産主義はこの世の王国の宗教であり、彼岸世界も、どんな精神世界をも、最終的にかつ決定的に否定する宗教である」と分析し、批判している。

③ウラジーミル・セルゲイェヴィチ・ソロヴィヨフ(1853年~1900年)
配布された本は「善の基礎づけ」。ソロヴィヨフはロシアの哲学者、西欧とロシアのキリスト教の統一を目指し、欧州でキリスト教国家を建設することを考えていた。後に神秘的な傾向が強まり、アンチキリストの到来と世界の終末を予感し、晩年は神の国は歴史の終わりにのみ実現すると考えた。彼はドストエフスキーやトルストイと知り合っている。

(3人のプロフィールはウィキペディアを参考にした)

興味深いことは、プーチン氏が官僚たちに配布した本はマルクス・レーニン主義に関連したものではなく、共産主義の間違いを指摘、宗教書ともいえる内容の著書という事実だ。

エルチャニノフ氏は、「3人の中でイリインがプーチンにとって最も重要だ。演説の中でも彼の本の内容をしばしば引用している」という。「イリインはボリシェヴィキの敵であり、ポスト共産主義のロシアの姿を追及してきた学者」(エルチャニノフ氏)だ。

また、プーチン氏はソロヴィヨフのキリスト教世界観に共感し、自身を堕落した西側キリスト教社会の救済者と意識している。プーチン氏はベルジャーエフが共産革命(1917年)後に書いた「不平等」を愛読。エルチャニノフ氏によると、プーチン氏はベルジャーエフの著書の内容を自己流に解釈している。ベルジャーエフの「形而上学的保守主義」を政治的、社会的保守主義として解釈し、自身の保守主義的政策(例・同性愛、フェミニズムなどの否定)を正当化させている、といった具合だ。

エルチャニノフ氏は3人の著書の中にプーチン主義の源流を発見している。プーチン氏が3人の思想家の本を配布した意図について、エルチャニノフ氏は「プーチンはプーチン主義が本当のイデオロギーであり、その内容を実現する歴史的使命があることを教えたかったのだ」と説明し、それゆえにイリインの著書「我々の課題」を選んだわけだという。

ちなみに、プーチン氏は昨年7月、ロシアとウクライナ両民族の統合について文書を書いたが、プーチン氏は自身を歴史家と受け取っているという。エルチャニノフ氏は「プーチン氏が2月21日、演説した時、私はチューリッヒのホテルにいたが、『プーチンはまもなく大きな戦争を始めるつもりだ』と直感した。プーチンはプレミアの時間帯に一時間、ウクライナの歴史を講義し、ロシアがウクライナに占領されている地域の解放に乗り出さなければならないと詳細に説明した、まるで歴史の授業のようにだ」と述べている。

プーチン主義は3つの大きな方向性を有している。汎スラヴ主義、反近代的保守主義、そしてユーラシア主義だ。プーチン氏は自身のイデオロギーに凝り固まり、その虜になり、現実と乖離する現象が見られだしたという。
エルチャニノフ氏は「プーチンの思考にはもはや柔軟性がなくなり、その出口がなくなってきた」と説明し、それを「イデオロギー的自己過激化」と呼んでいる。

新型コロナウイルスが感染してきた時、プーチン氏はコロナに感染することを恐れていた。それゆえ外の世界から益々孤立し、そこでロシアとウクライナの統合に関するエッセイを書いている。

物理的な戦いの場合、相手と交渉し、時には譲歩することで解決する道が出てくるが、ロシア正教会の最高指導者キリル1世が言ったように「形而上学的闘争」(価値観の戦い)の場合、相手とは議論(譲歩や妥協)できない。勝利するか敗北するかの戦いとなる。他者の文化を絶滅することが如何に悲惨なものか、われわれは‘‘ブチャの虐殺‘‘をみれば理解できる。

エルチャニノフ氏は、「プーチンにはこの戦いでは勝利しかない。敗北は考えられないのだ。どれだけ多くの犠牲が出ても彼は変わらないだろう。プーチンは自分の考えを久しく語ってきたが、世界は彼の声を真剣には受け取らず、戦争なんか起きないと考えてきた。その意味で、われわれには(ウクライナの現状に対して)責任がある」と述べている。

Katarina_B/iStock


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年4月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。