愛子様が新学期も登校されていないことを心配する

「週刊女性自身」が『愛子さま「両陛下を感染させない」登校自粛にあった“内親王の矜持”』という記事を出している。

愛子様が一昨年にオリエンテーションに顔を出されたのみで、二年間のあいだ、一度も学習院大学に登校されていないことは、すでに、「宮内庁はなぜ愛子様を大学に一度も登校させないのか」などで感心しないことを論じ、宮内庁は登校できるように差配すべきだと書いたとおりである。

いくらリモートで講義に出席することが可能だとしても、大学生が健康上などで特段の事情もないのに、二年間にいちども登校しないなどと言うのは感心したことでないし、なにより、本人が可愛そうだ。

新年をお迎えになった天皇皇后両陛下及び愛子内親王殿下のお写真

天皇皇后両陛下と愛子様 令和4年元日 宮内庁HPより

いったい、本人が登校を嫌がっておられるのか、あるいは両陛下ないし皇室の意向として登校をしないことなっているのか、宮内庁がコロナ感染等を怖れて思いとどまるように説得しているのか知らないが、前二者であっても侍従や宮内庁長官は職を賭すくらいの覚悟で登校することを説得すべきことだと思う。

記事では、「ご自身の登校が結果的に両陛下の感染につながってはいけないという強いお気持ちがある」としているが、詳しいことは分からない。

天皇陛下は今年2月の誕生日会見で「愛子には、感染症が落ち着いて、いつの日かキャンパスに足を運べるようになると良いなとは思います」と仰っているが、現在の状況が登校すべきでない状況と判断されているとは普通には考えにくい。

いくら個性尊重であっても、安全重視であっても、皇室の人間としての人間的成長と成年皇族としての対応の準備ということでも、お籠もりが好ましいはずはない。こんな過保護では将来の天皇陛下どころか、皇族としてふさわしい社会性を持てるようになるか危惧するのが普通だ。

陛下も「皇族にとって、大学在学中こそがもっとも自由を謳歌できる時期。“国民に寄り添う”という姿勢を大事にするためには、ほかの学生と同じように授業やサークル活動に取り組み、ときには“羽目を外す”ことも大切だと、陛下はお考えなのです」というのである。

それを、『「恋愛より両親」新学期も登校封印に内親王の矜恃」という見出しをつけて誉める出版社の非常識な姿勢にも呆れるが、「に」年前に、コロナ渦のまっただ中に大学生になられた愛子さま、なんと3年生になられても”登校自粛”を継続されるという。愛子様の決意の裏に何があるのかー」と本文のリードにはあるから、書いた記者はよろしくないと考えているが、編集サイドで皇室批判といわれるのを怖れて方向を逆転させているのかもしれない。

といっても、その次の記事では『「紀子さまが閉じた「皇嗣家国民への扉」』などと、悠仁さまが入学式で両殿下と一緒でなく一人でプレス対応をされたという、むしろ誉めるべき話まで嫌味たらたらネチネチと批判する見だしを出しているのだから皇室批判は控えるという方針ではなさそうなのである。

両親への感染を怖れて大学に行かないことが“内親王の矜持”?

記事の中では、「キャンパスライフを諦めて両陛下に尽くされる愛子さま。ただ、天皇陛下は複雑な思いを抱かれているという」とまっとうなことを書いている。

陛下は二月の天皇誕生日の記者会見でも「私自身の大学生活を振り返ってみますと、気が付けばもう40年くらいも前になりますが、大学では様々な人たちと顔を合わせて授業を受けたり、放課後の部活動で一緒に参加したり、見ず知らずの人と学生食堂で隣り合ったり、新しい発見と経験の連続であったように思います」と仰っている。

そして、「学習院は、中等科と高等科は男女別学です。そのため、大学での女子学生との交流は新鮮だったと、陛下は当時の会見でお話しになっていました」、「愛子さまも、初等科以来ほとんど男子学生との交流はありません。将来の結婚ということを見据えても、大学時代に“出会い”があれば……と、陛下も期待されているのではないでしょうか」、「皇族の恋愛には非常にたくさんのハードルがあることを、陛下は身をもって経験されてきましたから……」という宮内庁関係者のコメントを掲載し、「内親王として、キャンパスライフを諦めて両陛下に尽くされる愛子さま。ただ、天皇陛下は複雑な思いを抱かれているという。」とまでいっている。

しかし、これが批判ととられるのを回避するためか、「“恋愛よりも両親の健康”と、愛子さまが感染対策を徹底される陰には、ある“苦い記憶”があるという」として、2011年に愛子さまがマイコプラズマ肺炎で入院され、それが陛下に感染したことがあることを紹介し、「愛子さまはご自身が感染症を持ち込まないようにと決意を固められた』とわけの分からんことを書いている。

また、皇室ジャーナリストの渡邉みどりなる人は、この決断に愛子さまの“内親王の矜持”を感じたとし、「両陛下のもとでお育ちになった愛子さまは、“天皇の娘”という立場を深く自覚されています。万が一にも天皇皇后であるご両親に感染させてしまったときの“事の重大さ”を、十分すぎるほどに理解されているのです。ご自身のキャンパスでの学生生活よりも、親孝行をとったということだと思います」と持ち上げているが、このようなふざけた諂いが愛子さまを応援することになるはずないだろう。

愛子様は通学だけでなく、友人との接触まで控えられているという。「1月には『二十歳の会』という同窓会が開かれたのですが、会場に愛子さまはいらっしゃいませんでした。それでも、会場に用意されたスクリーンに、愛子さまは振り袖姿で登場してくださったのです。映像でのリモート参加ではありましたが、愛子さまがお出ましになったことで会場も非常に盛り上がりました」と同級生のコメントがされているが、どうして国民やマスコミからも愛子さまは登校されるべきだというエールが沸かないのか不思議だ。

実際、愛子さまの不登校自体は世間でほとんど知られていない。政治家や関係者との懇談でそのことを心配事として話すとビックリ仰天する人が多いが、それが正常な反応だ。

明治天皇は皇族は国民に模範を示すようにと危険な軍務につくことをもって義務とされた。伝統的な皇位継承原則を守る細い糸を一身に背負っている悠仁殿下ですら普通の高校生としての生活を送っておられるのだから、この過保護発想は近代皇室の伝統にも背くものだ。