人類歴史が刻印された「集合的無意識」

精神分析学の創設者ジークムント・フロイト(1856年~1939年)は定例の水曜日の会に参加したカール・グスタフ・ユング(1875年~1961年)を見て歓迎した。ユングがユダヤ人ではなかったからだ。精神分析学者と言えば当時、「ユダヤ人の学問」と呼ばれていたので、フロイトは若いスイス人のユングをみて喜んだわけだ。

「集合的無意識」を解明したカール・グスタフ・ユング Wikipediaより

フロイトとユングは最初は師弟の関係だったが、時間の経過とともに両者は袂を分かつ。フロイトは精神分析の世界で「無意識」という概念を生み出し、人間の夢や精神病を無意識の世界から分析し、心理療法に応用していったが、ユングはフロイトの分析には満足できなくなる。個人の無意識の世界を超えたものが現在の存在に影響を及ぼしていると感じたユングは後日、「集合的無意識における原型の理論」で有名となっていく。

「集合的無意識」とは、個人の無意識の世界だけではなく、個人を超え、人類共通の無意識の世界だ。それを突き詰めていくと、人間の魂にアーキタイプ(元型)の心像の基本があるというのだ。無神論者であったフロイトとは違い、プロテスタントの牧師の家庭に生まれ育ち、後にバーゼル大学医学部を卒業したユングにとって、宗教は重要なテーマであり、心理療法と宗教を結び付けていく。ドイツの神学者オイゲン・ドレーマン氏は、「ユングにとって宗教は最も中心的な問題だった」と指摘している。宗教は人間の魂の奥底にある神聖なものに対する人間の精神のあり方と理解していたわけだ。

フロイトは個々の無意識の世界を重視し、そこにさまざまな精神的病因を探求していったが、ユングは意識、無意識のほか、第3の「集合的無意識」という世界に目を向けていった。「夢の解釈」もフロイトのように患者個々の体験の分析だけに留まらない。患者本人が体験をしてもいない事例の夢を見、それに苦しむという患者が実際にいるからだ。その「集合的無意識」の究極の先にアーキタイプの神が出てくる。

聖書の旧約聖書にはアダムとエバから生まれたカインとアベルの兄弟の話が記述されている。カインが弟アベルを殺害する話は聖書の世界だけではなく、世界の神話には同じストーリーを発見できる。例えば、ローマ神話にも双子ロームルスとレムスの兄弟殺人物語がある。神の祝福を受け、恵みを享受する側(アベル)とそうではない者(カイン)の間にいがみ合い、妬み、憎悪、紛争、そして戦争が神話という形で描かれている。「ノアの洪水」も同じだ。世界には至る所に「洪水神話」がある。世界の神話に共通点があるのは、「集合的無意識」が個人を超え、民族、国家、世界に繋がっていることを証明しているわけだ。

当方は心理学の専門家でもユング研究家でもないので、ユングの学説に関心がある読者は関連書を読まれることを推薦する。当方にとって、強い関心を引く点は個々の無意識の世界を超えた人類共通の素地「集合的無意識」の世界だ。

戦争体験のトラウマが心的外傷後ストレス障害(PTSD)になって苦しむ米軍兵士の話をよく聞く。ベトナムやイラクで戦ってきた米軍兵士が帰国後、社会に再統合できず、さまざまな困難に直面するPTSDが米国で大きな社会問題となったが、駐アフガン独連邦軍元兵士の間でも同じような現象が見られた。この場合、個々の戦時体験がもとでトラウマとなっていくケースだが、戦争も体験せず、ナチス・ドイツ政権から迫害された体験もないのにナチスに迫害され、虐待を受けるといった夢を何度も見る人がいる。フロイトの「夢解釈」ではその謎を解くのは困難だが、ユングの「集団的無意識」という観点から考えると、その謎が解けていく。時代や社会のトラウマが世代を超え継承されていくことから、実体験していない人が夢の中でナチス軍の蛮行を体験してトラウマ化するケースが出てくるわけだ。繰り返すが、人類共通の素地として「集合的無意識」の世界が存在するわけだ。

キリスト教では人間は「失楽園」以後、全て罪を背負っているという。その罪を「原罪」と呼び、人間が生きている時に犯す自犯罪、民族や家族が犯す連帯罪、遺伝罪とは区別する(原罪はキリストの救いを受ける以外に解決できない)。

フロイトは個々のトラウマを無意識の解明で克服しようとしたが、ユングは「集合的無意識」の連帯罪、そして原罪にまで繋がる世界のトラウマの全容を解明しようと努力していったわけだ。

当方はこのコラム欄で「細胞は覚えている」(2013年12月5日参考)という記事を書いた。「細胞記憶」はDNAの配列に変化はなく、細胞の分裂後にも継承される遺伝子に関するものだ。一方、「集合的無意識」には自分の細胞記憶の世界を超えた過去の歴史が眠っているわけだ。

参考までに付け足せば、ユングは修道院に入って人間の根源を突き詰めていく。そして最後は神にまでたどり着くが、神そのものが善も悪も持つ存在だと認識する。ユングは最後のインタビューで、あなたは神を信じるか?の問いに「私は神を信じるのではなく、知っている」と答えたという。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年4月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。