マルクス「資本主義崩壊論」の理論的破綻と資本主義が崩壊しない経済的・政治的理由とは何か 

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第一、マルクス著「資本論」第一巻の総括

(1)商品と貨幣

マルクス著「資本論」第一卷は資本の生産過程を扱う。マルクスは商品の分析から始める。商品は使用価値(「効用」)と交換価値(「価格」)を有する。商品は自然物に人間労働が加わった労働生産物であり、貨幣との交換(「販売」)を目的として生産される。(註1)(註2)

使用価値を生産するのが具体的有用労働であり、交換価値を生産するのが抽象的人間労働である。それは基本的に労働時間によって決定される(2022年3月18日掲載「日本マルクス主義への五つの疑問」参照)。労働時間は商品を生産するための個別的具体的な労働時間ではなく、社会的に必要とされる一般的平均的な労働時間である。「商品の価値はその商品を生産するために必要な社会的平均的な労働時間によって決定される」(「価値法則」)。(註3)(註4)

商品の価値は貨幣によって表示される。それが価格である。商品の価格は需要供給の変動により価値を離れて変動するが、長期的平均的には価値によって決定される。(註5)(註6)

(2)貨幣の資本への転化・剰余価値の生産

貨幣は賃金労働者の存在によって「剰余価値」を生む資本に転化する。資本は労働者から労働力商品を購買する。労働者はその対価として賃金を受け取る。賃金は労働力商品の価格である。労働力商品の交換価値(「賃金」)は、その再生産のための生活費で決まる。(註7)(註8)

「労働力商品の使用価値は、自己の交換価値(「賃金」)を超える剰余価値(「利潤」)を生みだし、労働力商品を購買した資本家が取得する」(「剰余価値法則」)。なぜなら、労働力商品の使用価値には、生活費を生産する必要労働時間と剰余価値を生産する剰余労働時間が含まれているからである。資本は無限の剰余価値を取得するために生産を行う(「利潤第一主義」)。(註9)(註10)

剰余価値の生産は、労働時間の延長(「絶対的剰余価値生産」)と機械化による生産性の上昇(「相対的剰余価値生産」)によって行う。(註11)(註12)

(3)資本の蓄積と資本主義の崩壊

資本が獲得した剰余価値は労働力商品を購買した資本家の所有となる。「資本家は剰余価値を再び資本に転化し資本蓄積を行う。資本蓄積の過程は、資本の集積・集中と、多くの賃金労働者を資本が吸収し、資本と賃金労働者の拡大再生産である。」(「資本蓄積法則」)(註13)(註14)

ヨーロッパでは、農民を土地から追い出す「囲い込み」によって大量の農民が都市に移住しプロレタリアート(「賃金労働者」)になった。国家の暴力を利用したプロレタリアートの創出が「資本の本源的蓄積」である。(註15)(註16)

機械化による相対的剰余価値の生産に伴う生産力の拡大は、不変資本(「生産手段」)に対する可変資本(「労働力」)の比率を相対的に低下させる(「資本の有機的構成の高度化」)。そのため、賃金労働者の多くが相対的過剰人口(「失業者」)に転化する。その結果、一方で資本家の側には富が蓄積され、他方で賃金労働者の側には貧困が蓄積される。(註17)(註18)

このように、賃金労働者によって担われる生産の組織化社会化が進む一方で、他方、富の取得は資本家に委ねられ私的なままであり、資本と賃労働との対立・矛盾は大きくなる(「資本主義の基本的矛盾」)。この矛盾が階級闘争を激化させ資本主義の「弔いの鐘」となり、収奪者が収奪され、資本主義は崩壊するのである。(註19)(註20)

第二、 マルクス「資本主義崩壊論」の理論的破綻

(1)マルクス著「資本論」と先進国革命

マルクス著「資本論」によれば、上述の通り、資本主義が発達すると資本の集積・集中が進み、機械化による資本の有機的構成が高度化して相対的過剰人口(「失業者」)が増大する。その結果、労働者階級の貧困・抑圧による階級闘争が激化し、社会主義革命により、資本主義が崩壊して社会主義に移行するとされる。

すなわち、「資本主義が発達すれば社会主義に移行する」というのが、「資本論」の理論の根幹部分であり結論である。しかし、実際には欧米や日本など、資本の集積・集中が進み、資本の有機的構成が極めて高い発達した先進資本主義諸国から社会主義革命により社会主義に移行した国は皆無である。

反対に、帝政ロシアや中国、北朝鮮、ベトナム、カンボジア、ラオス、キューバなど、資本の集積・集中がなく、資本の有機的構成が極めて低い未発達の遅れた後進資本主義国や、農業国、発展途上国に限って社会主義革命が成功し、社会主義に移行している。

これらの事実は明らかに「資本論」の理論と矛盾する歴史的事実である。このような歴史的事実から、マルクスの理論は、発達した先進資本主義諸国には妥当しないと言える。理論そのものに矛盾や誤りがあるからである。その誤りとは後述の「窮乏化法則」である(2019年9月10日掲載「マルクス資本論の重大な理論的誤謬」参照)。

(2)レーニン「不均等発展」と「鎖の輪」理論

こうしたマルクス「資本論」の矛盾に関連して、帝国主義の時代にマルクス主義を創造的に発展させたとされるレーニンは、「資本主義の最高の段階としての帝国主義の時代には、資本主義の<不均等発展の法則>により、帝国主義の鎖の輪の弱い後進資本主義国から社会主義に移行する」とのテーゼを提起した。(註21)(註22)

これは未発達の遅れた後進資本主義国であった帝政ロシアの社会主義革命を合理化し正当化するものである。なぜなら、ロシア革命は「資本主義が発達すれば社会主義に移行する」というマルクス「資本論」の理論からは到底説明がつかないからである。そのため、レーニンは「不均等発展」と「鎖の輪」理論を構築し、ロシア革命を合理化したのであり、実質的にはマルクス「資本論」の理論の「修正」であると言える。しかし、この「修正」はマルクス「資本論」の理論の根幹部分の「修正」であるから、実質的にはマルクス「資本論」の理論的破綻を意味すると言えよう。

(3) 史的唯物論との整合性

そのうえ、レーニンによる、ロシア革命を念頭に未発達の遅れた後進資本主義国であっても社会主義への移行を合理化し正当化するこの「修正」は、「一つの社会構成は、それが十分包容しうる生産諸力がすべて発展しきるまでは決して没落するものではなく、新しいさらに高度の生産諸関係は、その物質的存在条件が古い社会自体の胎内で孵化され終わるまでは、決して古いものにとって代わることはない」という「史的唯物論」の根本法則にも矛盾しこれに反することは明らかである(註23)(註24)

なぜなら、ロシアについては「史的唯物論」のいう「生産諸力がすべて発展しき」っていたとは言えないからである。ましてや、レーニンのいう「帝国主義の鎖の輪」の中にすら入っていない発展途上国であった中国、北朝鮮、ベトナム、カンボジア、ラオス、キューバなどが社会主義に移行したことを考えると、尚更、これらの国々の「生産諸力がすべて発展しき」っていたとは到底言えないことは明らかである。このように考えると、レーニンによる「修正」は、マルクス「資本論」の理論的破綻のみではなく、「史的唯物論」との整合性や「史的唯物論」そのものの正当性にまで影響する根源的問題である。

以上がマルクス著「資本論」第一巻の総括に関する筆者の問題提起である。これはマルクス主義理論の正当性、有効性にかかわる根本問題である。

第三、資本主義が崩壊しない理由

(1)経済的理由

資本主義が崩壊しない、したがって社会主義に移行しない経済的理由は、「各人は能力に応じて働き、必要に応じて生産物を受け取る」(註25)という共産主義の理念が、少なくとも物質的な生活水準においては、日本、欧米などの先進資本主義諸国ではすでに相当程度実現されているからである。

確かに、日本では、人口減少・少子高齢化の加速・非正規雇用の増加・ワーキングプアー・賃金格差・所得格差・年金・医療・介護・過疎化など、解決すべき様々な課題がある。しかし、2019年厚労省調査では、国民一世帯当たりの平均貯蓄額は1213万円であり、名目賃金も年々上昇し、労働者階級を含む国民の間では、マイホーム・マイカー・電化製品などが広範囲に普及し、海外旅行も一般化している。また、農民の多くは兼業農家であるが、戦前のような小作人ではなく、戦後の農地改革によって生産手段としての農地を所有する自作農であり、いわば中産階級である。

そして、日本では、かつて「豊かな社会」「飽食の時代」と言われたように、食料品、日用品、電化製品をはじめ、多種多様な商品の大量生産・大量消費により、スーパーや百貨店にはモノがあふれており、労働者階級を含む一般大衆の旺盛な購買力により、必要に応じて必要なモノがいつでも、どこでも手軽に手に入り、価格も大量生産と価格競争により低下し安定しているのが実態である。したがって、日本では「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」という共産主義の理念がすでに相当程度実現されていると言える。この状況は日本のみではなく、欧米先進資本主義諸国でも同じである。

このように、解決すべき様々な課題はあるにしても、社会全体としては、生産力の発展による経済成長と整備された社会保障政策により、失業率も低下し、マルクス著「資本論」にいう「資本主義が発達すればするほど労働者階級は窮乏化する」という「窮乏化法則」(註26)に基づく労働者階級の「絶対的貧困化」は、日本を含む先進資本主義諸国では基本的に克服されたと言える。少なくとも、大学卒の膨大なホワイトカラーの存在など、広範な事務・IT専門職を含め、現在の先進資本主義諸国の労働者階級の状態を「鉄鎖のほかに失う何物も持たない」(註27)とか、「賃金奴隷」(註28)などとは到底言えないことは明らかである。

したがって、日本などの先進資本主義諸国においては、貧困の問題が基本的に解決され、「必要に応じて受け取る」という共産主義の理念に対する魅力が薄れたため、日本の前衛党である日本共産党の綱領においても、「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」(「1994年綱領」)という部分が削除され、共産主義の理念が「真に平等で自由な人間関係からなる共同社会への本格的な展望」(「2004年綱領」)などという極めて抽象的なものに変更されている。

今も労働者階級の間で、貧困化の進行が社会主義革命のための重要な経済的条件であるとすれば、労働者階級の「貧困化」という革命の条件がなくなったため、「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」という「共産主義の理念」に対する魅力も肝心の労働者階級の間で薄れ、労働者階級と資本家との階級闘争が減少し緩和したことが、社会主義革命を抑止し、資本主義が崩壊しない、したがって社会主義に移行しない最大の経済的理由であると言えよう(2020年5月4日掲載「破綻した日本共産党の先進国革命路線」参照)。

ちなみに、独立行政法人労働政策研究・研修機構によれば、全国の労働争議(ストライキ)の件数は1974年のピーク1万1000件から、2019年にはわずかに数十件にまで激減しているのが実態である(厚労省「労働争議統計」参照)。

(2)政治的理由

しかし、資本主義が崩壊しないのは「経済的理由」だけではない。以下に述べる「政治的理由」も重要である。この「政治的理由」は、近代のブルジョア民主主義社会を経験せずに、貧しく遅れた後進資本主義国や、農業国、発展途上国から「暴力革命」(「敵の出方論」を含む)と「プロレタリアート独裁」(「共産党一党独裁」)によって社会主義国家に移行した旧ソ連、中国、北朝鮮、ベトナム、キューバ、ラオス、カンボジアなどの諸国と、近代ブルジョア民主主義社会を経験した日本、欧米の先進資本主義諸国とを比較すれば、おのずから明らかとなる。

すなわち、具体的には、思想・信条・集会・結社・言論・出版・表現の自由などの市民的自由、基本的人権、議会制民主主義、法の支配、国民主権などを経験した先進資本主義諸国の労働者階級を含む圧倒的多数の国民の民主主義に対する政治意識や成熟度が、これらを経験しなかった前記の社会主義諸国の国民とは著しく異なるからである。この国民の政治意識の違いこそが資本主義が崩壊しない、したがって社会主義に移行しない重要な「政治的理由」であると言えよう。なぜなら、「暴力革命」や「プロレタリアート独裁」による社会主義革命は、上記の市民的自由、基本的人権、議会制民主主義、法の支配、国民主権と明らかに矛盾し対立するからである(2021年6月15日掲載「言論の自由は共産党・共産主義の根本問題」参照)。

そのうえ、「暴力革命」と「プロレタリアート独裁」によって政治権力を奪取した旧ソ連をはじめとする上記社会主義諸国における、共産党一党独裁、スターリン個人崇拝、恐怖政治、秘密警察、密告、粛清、公開処刑、強制収容所、言論弾圧、人権蹂躙など、数々の歴史的事実が先進資本主義諸国の労働者階級を含む圧倒的多数の国民に恐怖感と嫌悪感を与え、いわゆる「反共産アレルギー」を増幅した事実は否定できない(2021年11月13日掲載「立憲は共産党アレルギーを甘く見てはならぬ」参照)。

さらに、国際的には、東ドイツ市民の亡命防止のための「ベルリンの壁」、ソ連の「ハンガリー動乱」弾圧、ソ連の「プラハの春」弾圧、ソ連の「アフガン侵攻」、「中国文化大革命」、「天安門事件」、中国政府による「チベット抑圧」、「ウイグル抑圧」、「香港抑圧」、中国政府による言論統制と知識人抑圧、民主カンボジア・ポル・ポト政権による市民200万人大量虐殺、北朝鮮の「公開処刑」「粛清」や、日本共産党の戦後の一時期における暴力革命路線など、先進資本主義諸国の国民を恐怖に陥れ、震撼させる社会主義国家における否定的事件があまりにも多い。これらは、日本をはじめ先進資本主義諸国の国民に強い「反共産アレルギー」を植え付けたであろう。

このような、様々な「政治的理由」が、日本をはじめとする先進資本主義諸国における社会主義革命すなわち資本主義の崩壊を抑止していることは明らかであると言えよう(2019年9月4日掲載「日本共産党は生き残れるか」参照)。

(註1)マルクス著「資本論」第一巻向坂逸郎訳46頁~47頁。昭和46年岩波書店刊。
(註2)ソ同盟科学院経済学研究所著「経済学教科書」第一分冊マルクス・レーニン主義普及協会訳113頁~114頁。1955年合同出版社刊。
(註3)「資本論」第一巻50頁~51頁。
(註4)「経済学教科書」第一分冊115頁~116頁。
(註5)「資本論」第一巻124頁。205頁。
(註6)「経済学教科書」第一分冊124頁。132頁~133頁。
(註7)「資本論」第一巻219頁。221頁。
(註8)「経済学教科書」第一分冊180頁~181頁。
(註9)「資本論」第一巻271頁。
(註10)「経済学教科書」第一分冊183頁。
(註11)「資本論」第一巻303頁。409頁。
(註12)「経済学教科書」第一分冊191頁~192頁。
(註13)「資本論」第一巻726頁。728頁~729頁。786頁~787頁。
(註14)「経済学教科書」第一分冊234頁。236頁。
(註15)「資本論」第一巻896頁。
(註16)「経済学教科書」第一分冊237頁。
(註17)「資本論」第一巻789頁。793頁。810頁。
(註18)「経済学教科書」第一分冊236頁。244頁。
(註19)「資本論」第一巻951頁~952頁。
(註20)「経済学教科書」第一分冊248頁。
(註21)レーニン著「レーニン全集」レーニン全集刊行委員会訳第22巻347頁~348頁。第25巻391頁。第28巻67頁。第33巻498頁~499頁。1957年大月書店刊。
(註22)スターリン著「スターリン全集」第一巻スターリン全集刊行会訳12頁。1980年大月書店刊。
(註23)マルクス著「経済学批判」大内力他訳14頁。2013年岩波文庫。
(註24)平田清明著「市民社会思想の古典と現代」251頁。1996年有斐閣刊。
(註25)マルクス著「ゴーダ綱領批判」世界教養全集第11巻渡辺寛訳131頁。昭和37年河出書房新社刊。
(註26)「資本論」第一巻808頁~810頁。
(註27)マルクス・エンゲルス著「共産党宣言」世界教養全集第11巻都留大治郎訳66頁。昭和37年河出書房新社刊。
(註28)レーニン著「国家と革命」世界の名著第52巻55頁。昭和41年中央公論社刊。