消費に飽きた人は、残りの人生で何をすればいいか?

「もう欲しい物がない」

このような感覚に陥っている人は、意外と世の中にいるのではないだろうか。欲しいものはすでに買い揃えており、会社員としても先が見えた。小金は溜まっているが、流行りに飛びつくほど若くはない。独身なのでお金を注ぐ場所を見失ってしまった…。概ね、このような感覚だと推察される。

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欲しい物がなく、人生がつまらない人は今後どのようにして生きればいいか?その解を考察したい。結論を先に言えば、余暇時間を「創作意欲」にあてることで、真に望む全てが手に入ると思っている。

消費欲は必ず飽きる

最大公約数的な解として、人が消費に飽きるタイミングは「30代から40代」と考えている。人心交流が苦手な人はそのタイミングの到来は更に早いだろう。

実際、質問掲示板などでも「とりあえず老後までしのげそうだが、欲しい物もないため人生が退屈」という書き込みはいくらでも出てくる。それに対する解として「新しい趣味を作る」といった、別方向からの消費活動の提案がなされていたりする。だが、これは根本的解決にならない。相談者の悩みの本質は、受動的な娯楽に飽きてしまっているため、新たに別の消費物をあてられたところで飽きてしまうのは時間の問題でしかない。

現代社会は消費意欲が枯渇しやすい環境が整っている。食べたいものはおいしく安く手に入る飽食、むしろ「いかに食べすぎないか?」が鍵である。また、動画やアニメ、ゲームなどもフリーか格安で非常に良質なものが手に入る。さらに、周囲に見せびらかしたいと考え、思い切って購入していた高級ブランドバッグも、あちこちで格安でレンタルが提供されているため、もはや所有する意味合いはなくなってしまった。

消費はいつか飽きるものと考えるべきだろう。

次にやってくる承認欲求も飽きる

一通り、消費を堪能した人が次に迎えるのは、「承認欲求」の段階だ。

承認欲求を満たす方法にはいくつか種類がある。アスリートが努力を結果として出して称賛される、という健全なケースもあれば、単にお金を使って周囲に自慢し、注目を浴びたいという原始的な欲求もある。そしてほとんどの場合は後者である。ある程度、蓄財が進むとそれを勝利のトロフィーのように人に、「誰かに見せびらかした」いという欲求を持つ人は少なくない。SNSに投稿して自慢するためだけに高価なホテルに泊まったり、買い物をするという人もいる。節税スキームや、不動産価値の保持としての意味合いを除き、タワーマンションに住んでいるのは「自慢したいから」という人も存在するのではないだろうか。

だが、人生経験を経て哲学の理解が進むほど、この段階も卒業を迎えるタイミングがやってくる。自慢を続けている内に、自分がやっている行動には一切の本質的メリットがないことに気づいてしまうからだ。人に自慢をすると、大抵の場合は相手から嫉妬や反感を買うことになる。表面上は「すごいね」と返してくれても内心から尊敬の念を送る人は少数派だ。

よしんば、最初の数回は本当に驚いてくれたとしても、自慢が続けば聞いている側もいい加減疲れてしまうし、フレッシュな反応を見せなければいけない強迫観念の方が圧倒的に支配的になる。「自慢ばかりしてくるこの人は面倒くさい」という感覚になり、そのうち「自慢しないと自我が保てないとは、心が貧しい人だな」というネガティブな印象すら持たれてしまいかねない。そうなると「相手から尊敬されたい、認められたい」という本来の願望は叶えられることがなく、むしろ相手から哀れに思われてしまうという、真逆の結果をもたらす。

創作活動は人生で必要なすべてが手に入る

「欲しい物はない。自慢もできない。さあどうする?」と進退窮まる人もいる。そうした迷い人が最後に行き着くフロンティアが、「創作」である。筆者は一通り上記のプロセスを経て、今この地点に身をおいている。

「創作」とは一言で言えば、アウトプットである。記事を書く、動画を撮る、作曲、絵を描くといった行為が該当するだろう。そして創作作品に市場ニーズが存在する場合、それはビジネスとなる。筆者は文章を書いたり、動画を撮って話すのが好きなのだが、それをメディアという公の場に寄稿して発表するということをしている。これは原稿料、広告料や自己ブランディングを得られる仕事ともいえるし、市場からの反応を得て客観性や市場ニーズを理解する勉強ともいえる。創作はお金、承認、成長が得られるだけでなく、そのプロセスも娯楽として手に入る。人が生きる上で「楽しい」と感じる、あらゆる要素が同時に手に入ってしまうのだ。

創作は非常に楽しい。作品に対して、批判を受けることは日常茶飯事だし、その逆に賞賛の声が届くこともある。練りに練ったものがまったく当たらないこともある一方で、思いつきで作ったものがヒットすることもある。自分の持っている才能と知識を総動員させた作品で勝負する世界は、クリエイティビティが刺激されて飽きることがなく、これは世にあるいかなる消費活動を上回る楽しさだ。豪華な食事、高級ホテルに宿泊をする旅行、気心の知れた友人と語りあう時間以上に、部屋で一人静かに創作活動をする方が遥かに楽しいのである。

昨今「孤独」について問題視されるが、創作は「孤独」すらも解決する力がある。筆者は創作の世界に入って一瞬でも「人寂しい」と感じた瞬間がない。だがその逆に「もっと創作に打ち込みたいから、一人の時間を確保したい」はよくある。

お金を使った贅沢な消費、自慢して共感を得るのに飽きてしまった人は創作活動を勧めたい。歴史上の偉人の多くは、晩年期も創作活動に明け暮れていたという記録が残っている。時代や社会はどんどん変化しているため、自分自身も変化や改善を求められ続ける。つまり、創作活動は必然的に自己成長も伴うため、飽きることがない。人生がつまらないと感じる人にこそ、ぜひ挑戦してもらうたいと思っている。

 

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ビジネスジャーナリスト
シカゴの大学へ留学し会計学を学ぶ。大学卒業後、ブルームバーグLP、セブン&アイ、コカ・コーラボトラーズジャパン勤務を経て独立。フルーツギフトのビジネスに乗り出し、「高級フルーツギフト水菓子 肥後庵」を運営。経営者や医師などエグゼクティブの顧客にも利用されている。本業の傍ら、ビジネスジャーナリストとしても情報発信中。