冷戦後のヨーロッパに「力の真空」は存在していたのか

野口 和彦

Juanmonino

冷戦後のNATOの東方拡大の是非について、たいへん示唆に富む論文があります。

今から四半世紀前に発表された、マイケル・マンデルボーム氏(ワシントン研究所・ジョンズ・ホプキンス大学)による「新しい平和を維持すること(“Preserving the New Peace”)」(Foreign Affairs, Vol. 74, No. 3, May/June 1995)です。この論文が書かれた当時、アメリカでは、NATOを拡大するかどうかで激しい議論がたたかわされていました。そのような中、マンデルボーム氏は、NATO拡大反対の論陣を張った1人でした。

かれがNATOを東方に拡大することに強く異議を唱えた最大の理由の1つは、ロシアの反対や懸念を無視したNATOの拡大は、冷戦後のヨーロッパのパワー・バランスを著しく不均衡にする公算が高いことでした。

NATOは西欧の軍事同盟であり、ロシアは他者です。アメリカをはじめとするNATO諸国が、ロシアの反対を押し切って旧ワルシャワ条約機構の構成国をNATOに加盟させてしまうと、両者のデリケートな均衡は壊れます。

冷戦後、ソ連は崩壊してロシアになりました。ロシアはもはや共産主義国でなく国力も低下していましたが、ポーランドなどの東欧諸国は、ロシアに対して引き続き警戒感を持っていました。このロシアの脅威を払拭できないポーランド等にとって、NATO加盟は自国の安全保障を高める魅力的な選択肢でした。

しかしながら、ポーランドなどの東欧諸国をNATOに加盟させてしまうと、バランス・オブ・パワーが崩れます。すなわち、NATOとロシアとの「分断線」がウクライナに引かれ、ロシアにとってのウクライナの戦略的価値を高めてしまうのです。こうした理由もあり、当時のウクライナはNATO拡大の擁護者ではありませんでした。これら3カ国の微妙な関係について、マンデルボーム氏は以下のように分析しています。

「ポーランドはロシアに直接、脅かされていない。攻撃的なロシアの行動が復活することで直ちに脆弱になる西側にとって、最も重要な国はウクライナだ…(ウクライナが)独立する限り、ロシアとそれ以外のヨーロッパとの間の緩衝地帯である。もっと重要なことは、独立したウクライナは、ロシアが平和的な国民国家であり続けることを最大に保証するものなのだ」(前掲論文、10-11ページ)。

この説明を正確に理解するには、少々、込み入った解説が必要でしょう。

ウクライナを「緩衝地帯」と位置づける主張は、小国の安全保障や権利をないがしろにする大国視点の勝手な議論であると、批判する人は少なくないでしょう。確かに、独立した主権国家ウクライナは、自分自身の対外政策を自主的に決める権利を持ちます。しかしながら、ここでマンデルボーム氏が言いたいことは、ウクライナの安全保障と独立は、ロシアの動向に左右されてしまう現実から生じる戦略的要請にどう応えるか次第だということです。

ヨーロッパに出現しつつある新しいバランス・オブ・パワーをロシアの合意のもとで保つことは、ロシアを再び収奪的で危険な国家にしてしまうことを防ぐと共に、ポーランドやウクライナの生き残りに貢献します。第1に、NATOを東方に拡大することは、ヨーロッパの戦略的配置を不当に再編することを意味します。なぜならばロシアが反対しているからです。この帰結は重大な戦略的含意を持ちます。これを歴史のアナロジーで説明します。

第一次世界大戦後のヨーロッパは、ベルサイユ体制により、その安定を維持しようとしました。この安全保障のしくみは、ヨーロッパ各国が現状維持に満足することが前提でした。しかしながら、ヨーロッパ国際政治における死活的に重要な国家であるドイツは、ベルサイユ体制に大きな不満を抱いていました。ドイツの要求を反映しないベルサイユ体制は、内部に破壊の種を宿しているようなものでした。これは結果的に崩壊して、第二次世界大戦の勃発を許してしまいました。

同じことは、冷戦後のヨーロッパにも当てはまります。大国ロシアの不満を無視したヨーロッパの安全保障体制は根本的に不安定なのです。エリツィン大統領の顧問を務めたモスクワのヨーロッパ研究所副所長だったセルゲイ・カラガノフ氏は、次のように警告していました。

「もしNATOが東方に拡大したら、ロシアはいかなる政府になろうと、既にもろいヨーロッパの秩序を掘り崩すよう努める現状打破国家になるだろう」と(前掲論文、12ページに引用)

1987年のINF全廃条約をはじめとするヨーロッパの安全保障上の取り決めは、この時点まで、すべてロシアの合意を得て成立したものでした。ところが、NATO東方拡大は、ヨーロッパのキープレーヤーであるロシアの意向を無視するものであり、冷戦後ヨーロッパにおける現状維持の原則からの決別だったのです。

第2に、冷戦後のヨーロッパには、「安全保障の真空」は存在しませんでした。今では、ほとんど言及されることがありませんが、冷戦終了直後にアメリカとヨーロッパ諸国は通常戦力に関する画期的なアーキテクチャーを構築しました。それが「ヨーロッパ通常戦力(CFE)条約」でした。これはヨーロッパにある通常戦力の削減を定める条約でした。

注目すべきは、この条約が攻撃に利する機動力の高い兵器の削減を目指すものだったことです。既存の戦略研究が明らかにするように、国家間関係は兵器体系が攻撃優勢になると不安定化する一方で、防御優勢になると安定します。なぜならば、攻撃が防御より有利な場合、国家は迅速に他国を低コストで征服することに期待できてしまうからです。他方、防御が攻撃より有利な場合、戦争は長期の消耗戦に陥りやすくなり、国家が支払うコストは甚大なものになります。このような状況では、国家は戦争へのインセンティヴを低下させます。その結果、国際関係はより平和的になるのです。

この1992年に発効した条約は、戦車や装甲車といった機動力の高い攻撃に活用できる兵器を削減することで、ヨーロッパの戦略環境を防御有利に変えるものでした。ヨーロッパの軍事力は攻撃から防御に適したものに再編されることで、ポーランドをはじめヨーロッパ各国は先制攻撃を受ける恐怖から解放されつつあったのです。こうしたヨーロッパの平和的変革について、日本政府は以下のように評価していました。

「この条約により、既に 7万点以上の各種兵器が削減され、特に旧ソ連の大規模侵攻、奇襲能力の低下が図られた結果、中部欧州地域での通常戦力の不均衡が是正された」(外務省ウェブサイトより)

要するに、1990年代の冷戦後のヨーロッパには、「力の真空」や「安全保障の空白」はなかったのです。にもかかわらず、アメリカとNATO諸国はロシアの反対に耳を貸すことなく、NATOの東方拡大を進めてしまいました。

1990年代の末になると、ポーランド、ハンガリー、チェコといった旧ワルシャワ条約機構の加盟国が、次々とNATOに加盟します。冷戦後の単極システムにおいて、アメリカは誰にも邪魔されることなく、「リベラル覇権」をヨーロッパで追求してしまったのです。こうした動きに翻弄されたのが、ウクライナであることは言うまでもありません。

そして、ロシアは「ロシア連邦の安全保障を不安定な状態にしている異例の事態」との声明と共に、2007年にCFE条約の履行停止を宣言して、2015年には離脱してしまいました。その理由について、ロシア科学アカデミー世界・国際関係研究所のアレクセイ・アルバトフ氏は「NATO拡大がロシア国境に迫っていることに対するけん制のジェスチャー」と話しています。NATO東方拡大は、冷戦後に誕生したヨーロッパの安全保障体制を崩壊させる1つの重要な要因だったのです。

権勢を誇る政治指導者の傲慢を指摘したのは、リアリズムの始祖といわれるトゥキディデスでした。単極となったアメリカのエリートたちが、信奉する自らの価値や制度を過信して、それを世界に広めようとしたことは、国際政治の根強い強力なイデオロギーであるナショナリズムと衝突して、世界のあちこちで避けられるはずだった紛争を引き起こしました。

NATO東方拡大とロシアの反発がもたらした対立は、そうした悲劇の1つであるといえるのではないでしょうか。


編集部より:この記事は「野口和彦(県女)のブログへようこそ」2022年4月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は「野口和彦(県女)のブログへようこそ」をご覧ください。