「NATO東方拡大」とは何か(後編)

篠田 英朗

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論点1:抑止と安心供与

こうした経緯で始まったNATO東方拡大だが、言うまでもなく巨大な決定であり、当初は大きな躊躇もあった。1989年にドイツ統一が話し合われた際、アメリカのジェイムズ・ベーカー国務長官が、ソ連のゴルバチョフ書記長に、NATOは拡大させないと言った云々という逸話を、ロシア人は好んで参照する。冷戦終焉のプロセスの真っただ中にいた当事者たちは、まだNATO東方拡大を想定できていなかった、という逸話である。1990年代の情勢を見て、激論が巻き起こり、判断がなされた。

(前回:「NATO東方拡大」とは何か(前編)

議論にあたって、どのような点が考慮されなければならなかったか。主要な論点を拾ってみよう。

第一の根本問題は、抑止と安心供与のバランスである。安全保障とは、脅威を抑止しつつ、相互が安心できる仕組みも追求するものである。抑止だけでは不安が増大し、無限のエスカレーションに陥る。他方、安心を相手に提供するだけでは、脅威が増大した際に打つ手がなくなる。

ロシアは核兵器を保有する軍事大国であり、東欧諸国あるいはヨーロッパ全体の安全保障にとって、大きな脅威である。NATOが東欧を吸収すれば、ロシアによる東欧諸国への侵攻の可能性は、大きく抑止される。これがNATO東方拡大の基本的な考え方である。

しかし言うまでもなく、これは、ロシアの側から見れば、東欧にロシアの影響力を維持する可能性が断たれることを意味する。ロシアは、潜在的脅威が近づいてくる状態だとも捉えるかもしれない。ロシアの不満と不安は高まる。それが沸騰点に達すると、地域はかえって不安定化するだろう。

そこでNATOは東方拡大とあわせて、ロシアを「パートナー」と位置づけ、継続的な対話協議をする仕組みを導入した。残念ながら、これは形式的なものにとどまり、うまく機能しなかった。

論点2:緩衝地帯の管理

第二は、「緩衝地帯」の位置づけである。NATOは拡大の結果、旧ワルシャワ条約機構構成国のほとんど全てを吸収したが、ソ連の領域にだけは手を付けていない。つまりロシアのみならず、ソ連を構成していた共和国が独立主権国家となった領域には、拡大していない。バルト三国が例外だと言われることもあるが、スターリンとヒトラーの密約でソ連の一部とされたこと自体が不法であったという原則的な立場に加えて、わずかの期間とはいえソ連崩壊前にすでに独立していたという点でも、他の共和国とは異なる。これに対してウクライナは、自らのソ連からの離脱の決定がソ連の崩壊を決定づけたのだが、ソ連崩壊時までソ連に残存していた共和国であったことは間違いない。

旧ソ連構成共和国地域、つまりウクライナ、ベラルーシ、モルドバ、そしてジョージアなどのコーカサスの国家群とカザフスタンなどの中央アジアの国家群は、NATOとロシアの間の「緩衝地帯」とみなされることになった。これらの地域では、いまだNATOの拡大は発生していない。

ミアシャイマーは、2008年にウクライナとジョージアをNATO加盟候補と位置付けたことが、失敗の始まりだったと論じている。当時のアメリカのジョージ・ブッシュ政権が、強気だった。他方、ドイツやフランスのような欧州の国々が強く抵抗した。その結果、両国のNATO加盟問題は、棚上げにされ続けることになった。不確かな期間が続く中、ロシアは、まずジョージアに、次にウクライナに、軍事侵攻した。

「緩衝地帯」の管理は、難しい。東欧全域が「力の空白」状態に置かれてしまう事態を避けるため、NATOは拡大を決意した。しかし旧ソ連地域を吸収する度胸まではなく、拡大を止めた。結果として生まれた「緩衝地帯」は、結局ロシアの「影響圏」なのか、潜在的なNATO拡大地域なのか、どちらでもない真空地帯なのかが、不透明なままとなった。

ベラルーシや中央アジア諸国のように、国内で強権的な長期独裁体制が維持されている場合には、ロシアの「影響圏」に属することを受け入れる方向に進みがちである。

他方、ウクライナやジョージアなどの場合には、国内にも親欧派と親露派の勢力があり、明快な外交政策を打ち出せなかった。この状態は長期の安定を約束するものではなく、両国ともに親露派の保護を名目にしたロシアの軍事介入を受けた。それに反発した親欧勢力の中央政府運営の路線も固まった。欧米諸国は、軍事支援を提供し、抑止を整備しようとした。ロシアからすれば、さらなるNATOの拡大を防ぐ措置だということになるのだろうが、欧米諸国からすれば、さらなるロシアの軍事侵攻を防がなければならない。いずれにせよ、「緩衝地帯」が、その不安定に耐えられなくなると、国内の分断の傾向が進み、それがさらに対外的な対立も助長していく、という流れであった。

旧ユーゴスラビア連邦を構成していて、独立主権国家になったが、まだNATOに加盟していない国々もある。セルビアのような親露的傾向を持つ国と、ボスニア=ヘルツェゴビナやコソボのような紛争後の不安定性を抱えている地域だ。これらの地域でも、NATO拡大及びEU拡大は大きな議論の対象である。特に紛争後国にとっては国内の諸民族勢力間の融和を果たすために、広域の政治体に属することが、切実な政治目標となっている。しかし実際には、加盟が近い将来に果たされる気運はない。焦燥感が広がる中、達成されることがない加盟問題は、かえって政治的不安定を助長してしまっている面もある。

なお「緩衝地帯」の問題は、そもそもなぜNATOがロシアと国境を接してはいけないのか、という問題でもある。すでにバルト三国の加入によってNATOとロシアは共通の国境線を持っているが、フィンランドが加入すると、さらにいっそう共通の国境線は拡張する。

冷戦時代であれば、たとえばソ連がベルリンに壁を作って最大限に西側との接触を断とうとしたことに象徴されるように、「鉄のカーテン」による共通の国境線の管理の考え方があった。この方法にもリスクはあるが、現在のウクライナのように「緩衝地帯」で深刻な戦争が発生するのであれば、共通の国境線を管理する方法を考えることの意味を見直さなければならない。

もっともNATOがどれだけ拡大しても、ユーラシア大陸におけるロシア以外の諸国を全て吸収する見込みがあるわけではない。ゼレンスキー大統領が提案しているNATOではない何らかの広域安全保障の仕組みなるものが実現すれば、それは中間的領域の管理方法になるかもしれない。しかし過去の歴史を見れば、軍事同盟以下の安全保障の枠組みは、全て実効性のないものだった。実現は簡単ではないだろう。

いずれにせよ「緩衝地帯」または関連する中間的地域を、どう管理していくかは、今後も継続して考えていかなければならない大きな問題である。

論点3:地球規模の安全保障の構想

NATO東方拡大は、ロシアはもはやNATOに拡大を自重させるような超大国ではない、という前提で進んだ。ロシアは軍事大国として潜在的な脅威だが、NATOが全体として勢力均衡の相手方とみなすような存在ではない。NATO東方拡大が封じ込め政策だとみなされたとしても、それはそれで実態に見合う措置だ、と考えられていた。

しかし21世紀の国際政治は、米中対立の構造を持つ。ロシアは、世界的規模の国際政治の二元化された構造の中で、中国に近づくという選択を、かなりはっきりと行ってきている。もちろん大国としてのプライドがあり、ロシアは中国のジュニア・パートナーに甘んずるつもりはない云々といった分析はありうる。だがそれにしても、「民主主義vs権威主義」の対立構図の中で、ロシアが中国寄りの国になっていることは、否定しがたい。

そこでNATO東方拡大は、中国とその友好諸国と、アメリカとその同盟国の対峙というグローバルな視点の中での位置づけも必要とする。ヨーロッパだけを見れば、強者による弱者の封じ込めに見えるかもしれない。しかし世界的な視野で見れば、自由主義陣営の勢力の拡大確保によって、中国を牽制し、抑止していく狙いもある。いわば中級の大国であるロシアに過度に気をつかうあまり、グローバルな勢力均衡の図において劣勢を余儀なくされることは避けたい、というのが自由主義諸国陣営の本音だろう。

アジアに位置する日本としては、ヨーロッパを本拠とする同盟国・友好国の同盟機構は、強すぎるくらいでないと、アジアにまで有効性が感じられてこない。ロシアが勢力を拡大させてくれば、北東アジアで封じ込められるのは、日本である。

制度的な同盟機構を持たないまま、緩やかな友好国との反欧米ネットワークを広げている中国との間のバランス・オブ・パワーは、アメリカとその同盟国群にとって、厄介な応用問題である。冷戦型の思考では構想できない。

ミアシャイマーは、ロシアを中国包囲網に取り込むことが得策だった、と繰り返し主張している。アメリカの死活的利益が関わっているとは言えないウクライナあたりでロシアと対立するのは愚かである、といった立場だ。だが果たしてロシアは、アメリカが懐柔的な姿勢を取り続ければ、それでアメリカ寄りになって反中国包囲網に加わったと言えるのだろうか。大きな疑問が残る。

ミアシャイマーは、それでもなお、ヨーロッパで妥協的な態度をとり、中国との対立関係に不利になる要素を減らすことのほうが、アメリカの外交政策にとっては合理的だ、と言いたいかもしれない。ヨーロッパをある程度は見限れ、ということである。しかしその結果が、ヨーロッパで秩序攪乱者として振る舞うロシアだとすれば、アメリカにとっても頭痛の種が増える事は間違いない。懐柔策は、結局は逆の効果しかもたらさないかもしれない。

安倍首相のプーチン大統領への柔和な政策が、現在は批判の対象になっている。北方領土を返還する意図などないロシアに、ただ手玉に取られただけのような形になってしまったからだ。ミアシャイマーは、現在は「ワシントンDCの外交エリート」の鋭敏な批判者だが、だからといって彼の柔和政策の提唱が成功を約束されていたかどうかは不明だ。

ただ、いずれにせよ米中対立のより大きな構造を見据えながら、対ロシア政策を決め、ウクライナにおける戦争への対応を決めていかなければならないことは、確かである。戦争後に弱体化するロシアと、疲弊しながらも拡大を続けるNATOの姿を計算に入れながら、より大きな米中対立の構図における自由主義諸国の戦略を練っていく作業は、必須である。

 

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