今夏の参議院選挙、公示が6月22日、投票日は7月10日になるらしい(時事ドットコムニュース、2022年3月13日)。ウクライナ情勢に目を奪われて、選挙にまで関心が及ばなかったが、気がつけば政党や候補予定者のポスターがやたら目につくようになっていた。つい先日も、ぼんやり近所を歩いていたら、レインボーカラーを背景に赤い文字で大きく「ジェンダー平等」と書かれたポスターが目に飛び込んできた。共産党のものだ。
へぇ、共産党がジェンダー平等をやるんだ! と、意外な組み合わせに正直驚いた。もっとも、同党によると、1922年の結党以来女性の権利向上に取り組む姿勢を示してきたという(『自由と民主主義の宣言』1996年7月13日改定版)。2004年1月に改定された党綱領は「男女の平等、同権をあらゆる分野で擁護し、保障する。女性の独立した人格を尊重し、女性の社会的、法的な地位を高める〈後略〉」と記し(第23回党大会)、2020年1月の改定では、この部分の最初と最後に「ジェンダー平等社会をつくる」と「性的指向と性自認を理由とする差別をなくす」という文言がそれぞれ付け加えられた(日本共産党第28回大会)。
共産党創立記念講演会における志位委員長の講演を2012年から順次追ってみると、同党がジェンダー平等を明確に打ち出すようになったのは2019年以降である(日本共産党党創立記念講演会)。2019年の講演では、同年の参院選において「先駆的に勇気をもって(ジェンダー問題に)取り組んできた市民運動や、研究者の成果」から学び、「『ジェンダー平等』を政策の柱にすえた」と発言している(日本共産党創立97周年記念講演会)。
2021年の講演において、志位氏はジェンダー平等への熱意を一層高揚させ、この用語を数次にわたって繰り返したのち、「ジェンダー平等の日本をつくるために力をつくそうではありませんか」と会場に呼びかけた(日本共産党創立99周年記念講演会)。
10月の総選挙でも、ジェンダー平等が個別政策の3本の柱の一つに掲げられたが、選挙ポスターを飾ったのは志位委員長の姿であり、スローガンも「なにより、いのち ぶれずに、つらぬく」であった(2021年総選挙政策)。この選挙における共産党の最重要課題は野党共闘だったので、ジェンダー平等は二の次になったのであろう。穿った見方をすれば、早くも賞味期限切れになった野党共闘に代わる目玉として、ジェンダー平等が採用されたのかもしれない。
ともあれ、ジェンダー平等の実現を最重要公約に打ち出す政党の登場は、ジェンダーに関心を持つ者としては実に喜ばしく、歓迎したいところである。けれども、他方で、それを素直に受け止められず、疑念も覚える。
この捻くれた感情の正体は何か。たとえ絵に描いた餅であっても、政党が思い切った政策を打ち出し、他党との差別化を図ることに何ら問題はない。共産党のこの公約は、自民党ばかりか他の野党にも一歩先んじており、この点を私は評価する。
私の違和感は、公約の実現云々ではなく、掲げた公約と党の実態のギャップに由来するものだ。ジェンダー平等社会の実現を掲げているにもかかわらず、党内はジェンダー平等からほど遠く、つまりそれを言う前に自らを正せというわけである。最近こそ田村智子氏の活躍がみられるものの、目立つのはまるで背広姿のマトリョーシカのような男性陣ばかり、女性の存在感が希薄なのである。
事実、下表に示したように、党役員の顔ぶれは男性優位、女性は少数派だ。副委員長と常任幹部会が3割なので、政府指針の「女性指導者3割目標」を達成しているではないかとの反論があるかもしれない。しかし、この点に関しては、常に批判の矛先を向けてきた自公政権の定めた方針を持ち出すのはあまりに都合が良すぎると言うものだ。
共産党が本気でジェンダー平等に取り組むのであれば、パリテ(男女同数)を導入し、特に委員長と書記局長については男女による共同代表制を敷き、党内のジェンダー平等化を達成すべきである。党内を変革できずして、どうして社会を変えることができるというのか。