ラブロフ外相は1日、イタリアのテレビとのインタビューの中で、アドルフ・ヒトラーにユダヤ人の血が流れていると発言し、それが伝わると、イスラエルのベネット首相は2日、ラブロフ外相の発言内容を「嘘」と指摘し、「ユダヤ人に対して犯された史上最悪の犯罪について、ユダヤ人自身を非難することになる」と述べ、ラブロフ外相に謝罪を要求した。
ただ、ヒトラーに「ユダヤ人の血が流れている」という指摘は久しくあったもので、ラブロフ外相がヒトラー関連の文献を読んで見つけた新事実ではない。ヒトラー研究家によると、ヒトラーの祖母はグラーツ(オーストリア第2の都市)のユダヤ系資産家の家で家政婦として働いていた時、実業家の息子と関係を結んでヒトラーの父親アロイス・ヒトラーを生んだ。グラーツの実業家がユダヤ系だったことで、「ヒトラーにユダヤ系の血が流れている」という主張が出てきたわけだ。
ユダヤ教社会では母親がユダヤ人でない場合、生粋のユダヤ人とは見なされない。歴史家は後日、グラーツに該当するユダヤ系実業家が住んでいたかを調査したが、「そのような人物はいなかった」ということで、ヒトラーの「ユダヤ系説」は偽情報とみなされた。ただ、今回のラブロフ外相のように、政治的な目的からヒトラーの「ユダヤ人説」を恣意的に取り出し、メディアの注目を引くわけだ。明確な点は、ヒトラーの父親が私生児だったことだけだ。
ちょっと私的なことだが、当方は1980年、半年間ぐらいグラーツに住んでいた。オーストリア南部の都市はウィーンのようなハイカラな雰囲気はなく、シュタイヤーリッシュと呼ばれる癖のあるドイツ語を喋り、のどかな風情を感じる都市だ。ヒトラーの祖母はそのグラーツで働き、ヒトラーの父親を生み、育てた。
ちなみに、アドルフ・ヒトラーは成長すると、画家になることを目指して1907年、08年、ウィーン美術アカデミーの入学試験を受けたが、2度とも落第した話は有名だ。もしヒトラーが美術学生となっていれば、世界の歴史は違ったものとなっていただろう、といわれてきた。ウィーン美術学校の受験に失敗したヒトラーはその後、ミュンヘンに移住し、そこで軍に入隊し、第1次世界大戦の敗北後は次第に政治に関っていく(「ヒトラーを不合格にした教授」2008年2月15日参考)。
ラブロフ外相の発言で注目される点は「熱狂的な反ユダヤ主義者は一般的にユダヤ人だ」と指摘していることだ。その発言内容は完全には否定できない。ヒトラーの側近にはユダヤ系が少なからずいた。1917年のロシア革命を主導したレーニンの周辺には優秀なユダヤ人側近が多数いた。レーニンも厳密にいえば、母親がドイツユダヤ系だからユダヤ系ロシア人だ。カール・マルクスもユダヤ系出身者だったことは良く知られている。すなわち、マルクス・レーニン主義と呼ばれる社会主義思想はユダヤ系出身者によって構築されたわけだ。スターリンがその後、多くのユダヤ人指導者を粛清したのはユダヤ人の影響を抹殺する狙いがあったという。
ユダヤ民族はロシア革命にユダヤ人が関与したという事実を否定してきた。ノーベル文学賞受賞者のソルジェニーツィンは「ユダヤ人は1917年革命の関与について否定し、『彼らは本当のユダヤ人ではなく、背教者(otshchepentsy)だった』と弁明する」と書いている(「ユダヤ民族とその『不愉快な事実』」2014年4月19日参考)。
ロシア軍がウクライナに侵攻し、民間人を多数殺害している。欧米諸国はロシアに対し厳しい制裁を科してきた。欧州連合(EU)は2日、第6番目の制裁としてロシア産の原油禁輸を検討中だ。一方、イスラエルは対ロシア制裁では欧米とは歩調を合わせず、トルコのエルドアン大統領と同じようにウクライナとロシア間の調停役を演じている。
一方、イスラエル戦闘機がシリアからレバノンのヒズボラへの武器供給を阻止するためにシリア上空に入り爆撃しているが、プーチン大統領はイスラエル側の上空侵犯を黙認する姿勢を見せるなど、イスラエルとの関係維持に腐心している面がある(独週刊誌シュピーゲル4月16日号)。
ロシアのユダヤ系オリガルヒ(新興財閥)が欧米の制裁を回避するためにイスラエルに移住しているが、イスラエル側は彼らを受け入れている。シュピーゲル誌によると、イスラエルではオリガルヒが高級住宅を購入しているという。その中にはユダヤ系ロシア人実業家ロマン・アブラモヴィッチ氏が含まれている。
ラブロフ外相の今回の発言は、ヒトラーとウクライナのゼレンスキー大統領を同一視することで、ウクライナ侵攻の目的として「非ナチ化」を挙げたプーチン大統領の意図を理解するのに少しは役立つが、ロシアとイスラエルの両国関係に新たな波紋を引き起こす可能性が出てきた。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年5月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。