昨今、世間では「ジェネラリストは無能」という意見がよく言われるようになりました。しかし、実態としては、世の中は少数のスペシャリストと多くのジェネラリストで回されています。
筆者は「優れたジェネラリストがいるからこそスペシャリストが能力を発揮できる」と考えていますし、さらに踏み込めば「“ジェネラリスト”としての性質を持つ人でない限り、人の上には立てない」とも考えています。
“野球の名将”もサッカープレイヤーの心理は理解できず、逆も然り
世の中の“名指導者”と評価される人はほぼ全て、その分野で“プレイヤー”として幅広い経験を積んできたジェネラリストたちです。
これはビジネスの世界に限らず、スポーツチームなどあらゆる組織にもあてはまるのではないでしょうか。
“野球界の名将”として知られた、故・野村克也監督を例に挙げてみましょう。
野村監督は現役時代、バッター・キャッチャーとして活躍し、45歳で現役を引退するまで26年間にわたってプロ野球の世界で活躍したベテラン選手でした。
「若いときに流さなかった汗は年老いて涙に変わる」など、数々の名言でも知られた野村監督ですが、若い頃は“苦労人”として知られています。
同時代に活躍した長嶋茂雄氏や王貞治氏ら“天才”と呼ばれるプレイヤーの陰で地道な努力を積み重ね、入団11年目となる昭和40年に戦後初の三冠王に輝いたというエピソードがあるのです。
のちに野村監督は、他球団で「戦力外」と見放された選手を次々と復活させた実績から“野村再生工場”の異名を取ります。
野村監督は、彼自身が選手時代に苦労し、乗り越える経験の中で考えてきたことこそが選手の指導に役立った、と語っています(このことについて、野村監督は「技術の面の指導よりも精神の立て直しに重きを置いていた」ようです)。
野村監督に限らず“名指導者”と称される人は、その分野で選手として経験を積んできたからこそ、選手が抱える悩みやスランプの原因を「自身の経験」に照らして探り当て、的確なアドバイスをできるのでしょう。
また、選手からしても「同じ悩みを先に経験した先輩」だからこそ自分に重ね合わせ、アドバイスを受け入れるという側面もあるはずです。
では、稀代の名将・野村監督が選手引退後、“サッカーチームの監督”を任されていたら、球界で成し遂げたような「名将」ぶりを発揮できたかというと、それはやはり不可能だったはずです。
例えば、PKを苦手とする選手に対してシュート成功の確率を上げるための指導をしなければならない時、野村監督がどれだけ的確なアドバイスを贈れるでしょうか?
助走で必要な歩数は? ボールを蹴るまでの時間は? 目線はどこに向けるべきか?
これらを経験したことがない立場であれば、いくら聡明な野村監督であっても、上にあげたような“サッカーの動き”を体感したことがない以上、選手の心理を理解した助言は難しいのではないでしょうか。
「マネジメントだけに特化した人材」は作れない
筆者の知る限り、野球選手が引退後にサッカー監督として活躍した例はありませんし、またその逆もありません。
他のスポーツでも(ごく稀な一部の例外的ケースを除けば)同様であると考えられます。
これは「自身がプレイヤーとして現場を経験した分野でなければ、指導者として的確な指導をすることができない」というのがその根拠です。
同時に「“マネジメントのスペシャリスト”を育ててトップに据えればいい」という意見への反証でもあります。
もし、「“マネジメント能力”という要素を極めれば、ジェネラリストとして現場を経験しなくても指導力を発揮できる」という考えが正しければ・・・
どこかの大学で「マネジメント学部」のようなものを設置し、「人の指導法」のようなものを教え込めば、それだけで“優れた指導者”を作れる、ということになります。
そうなれば、「人の指導法」的な要素を訓練された人材なら、野球監督としてもサッカー監督としても、また企業の経営者・管理職としても(現場の実務を経験する事なく)組織を成功に導ける、ということにもなるでしょう。
・・・しかし実際には「野球をやった事のない“マネジメントの専門家”が野球監督になってチームを優勝に導いた」とか「プレイヤーとして働いた事のない“マネジメントの専門家”が社長を任されて、業績をV字回復させた」という事例は聞いたことがありません。
それこそが、“マネジメントに特化した人材を作ることは不可能”だという、何よりの状況証拠といえるのではないでしょうか?
ここまで例を挙げて説明してきたように、指導者はその分野に関して「現場での実務経験」があるからこそ、プレイヤーの心模様までを計算に入れた指導ができるのであって、現場経験のない“指導法だけ経験してきた人”を管理職に据えれば、「机上の空論」的な指導を連発することになりかねません。
昨今批判の的になりやすいジョブローテーション制度は、組織を率いる立場になった時に「現場の心理・思考」を頭に入れて判断できる社員を作るための手法であり、さらに「違うルールで動く部署同士を調整できる人材を育てる」という合理的目的があるのです。
よく誤解されますが、「ジェネラリストを出世させる」というのは日本企業だけに見られる慣習というわけではなく、実は欧米企業でもやり方異なるだけで、ジェネラリストがトップに立つという点では共通しています。
これに関しては筆者の別記事『日本企業はスペシャリストを育てないからダメなのか?』の中で詳しく書いていますのでご参照ください。
「スペシャリスト」のままだと、“使われる立場”から抜け出せない
例えば、IT企業でも通常、「プログラミングしかできないプログラマー」が幹部の地位まで出世することはありません。
考えてみれば当然です。
プログラミングができるだけで、他の部署の人とコミュニケーションを取ったり部下を指導したりできない人間に、企業のトップが務まらないと考えるためです。
「いつまでも現場で画面に向かっているプログラマー」は、必ずどこかの時点で昇格の限界を迎えます。
出世する人材は、若い頃はプログラミングの現場で活躍していたとしても、ある時点で現場を離れ、営業や企画、顧客対応などの部署を経験しながらマネジメントへと登っていくのです。
プログラマーの話とは少し異なりますが、私が銀行のシステム系部署に勤めていた時の先輩の中にも、“スペシャリストの立場から脱皮できないエンジニア”がいました。彼は、若い頃にエンジニアとしての腕を評価されて役職を任されたものの、役職に就いてからは「部下を指導する・チームをまとめる」という役割を果たしませんでした。あくまでも“エンジニアとしての仕事”に没頭していたのです。
「エンジニアとしての業務」には熱心でも、部下を放置して混乱させていた彼は、管理職としての評価は低いものでした。
そして、その立場以上に出世を見込むのは厳しい状況で、いつも職場に対する愚痴ばかり漏らしていました(本人がよく言っていたのは「なぜ俺は技術者としてこんなに頑張っているのに評価されないんだ!」という趣旨の愚痴でした)。
スペシャリストの中でも突出した技量を持っていれば、それなりに重宝され、定年まで雇用を確保すること自体は十分可能でしょう。
ですが、それはあくまでも“使われる立場”としての範囲内での重宝であって、「使われる立場」として生きるしかありません(ただし「使われる立場に徹する」ことも一つの生き方であって、それが必ずしも悪いことであるというつもりはありません)。
タイトルにもあるように、「スペシャリストは“名ジェネラリスト”」の下でこそ、活躍の機会を与えられると言えるでしょう。
では、「組織の中でトップに登り詰める」ためには、最初から専門性を磨くことなど考えずに、「浅く広く」さまざまな経験を積めばいいかというと、また少し話が違ってきます。
やはり、「何らかの分野でスペシャリティがある」ことは、将来の幹部候補生として自身の存在をアピールするための“とっかかり”としては非常に有効です。(野村監督も、はじめは捕手として活躍することで存在感をアピールしました。)
そこで、キャリアの前半では何らかの専門性を磨いて「これが得意分野だ!」とアピールできる領域を持ち、周囲から一目置かれるようになった段階で「スペシャリストからジェネラリストへ転換する(つまり自分の得意分野以外にも視野を広げていく)」という手順を踏むのが王道と言えるのではないでしょうか。
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瀬本 光一
経営コンサルタント、広告技術研究家。一橋大学ビジネススクールにてMBAを取得。三菱UFJ銀行に就職後、法人営業やサイバーセキュリティ部門を経て独立。企業を対象にマーケティング分野を中心とした経営コンサルティングを展開。