子持ちが少数派の時代、それでも子供を持つ理由

独身者が増加している。また、結婚をしても子供のいない家庭もあり、今後はますます、子どもがいる家庭の方が減っていくだろう。

理由はシンプルだ。子どもを持つと、独り身の時にはなかった様々な負担がのしかかってくることが明確だからである。概ね、子供一人を成人まで育てるのに2000万円必要という試算があり、まずは経済的ハードルがあることは誰もが知っている。

「一人で生きていくだけでも大変なのに…」と子どもを持つことを敬遠する人はいるはずだ。この記事では論理的に「子どもを持つと増える負担」を前半で展開する。だが、決して「子どもとを持つことで、こんなにデメリットがある。ロクでもない」などと言いたいわけではなく、むしろその逆の意図を持って書かれた。最後まで読んでいただくとそれが明らかになるだろう。

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1.余暇時間が減る

まずは子供を作ることで、余暇時間は確実に減ってしまう。

筆者は子供がまだ赤ちゃんの頃、「保育園に入れば時間が戻ってくる。今は耐え時だ」と思っていた。預けている間は、完全に開放されると考えていたためだ。しかし、その見積もりは甘かったことを痛感させられた。

まず保育園にいっても、具合が悪くなったり、怪我をすればすぐに呼び出される。また、服や食事・飲料などの準備物や買い物に必要な時間は膨大であり、保育園外の時間がかなり必要になってしまう。

2.住む場所が制限される

さらに住む場所が「子供の発育・教育」が中心に考えることになる。家はかなり大きい買い物なので、この意思決定の制約はなかなかインパクトが大きい。

親としては仕事の通勤に便利な都心に住みたいと思っていても、家族が住む住居の家賃や子供の教育の事情を勘案すると「郊外へ」という意思決定になる人もいるだろう。子供が小さいうちは郊外で伸び伸びと遊ばせるのがよくても、ある程度育ってくると今度は教育環境の優れた学校へ通わせたいと、また都心が候補に上がって来たりする。

ほとんどの人にとって頻繁な引っ越しは好ましくないため、最初からそうしたステージの変化を見越した住居選びが必要になる。そして意思決定は、親が住みたい場所、というより子供が育てやすい場所を前提になされるだろう。

3.新たな人間関係の迎合

子供ができると、育児のコミュニティを受け入れる必要性がある。

筆者は保育園の保護者が参加するグループLineへの参画を余儀なくされ、時には集まることを求められる。また、自社の従業員のワーキングママは小学校の旗振り役やイベントの参加をしている。「新たな人間関係は歓迎!」という社交的な人もいるだろうが、その逆の気質の人もいる。すなわち「余計なストレスを抱えたり、プライベートな時間を失いたくない。職場以外の新たな人間関係は勘弁して」という具合である。

しかし、子供がいるとコミュニティ参加は回避は難しい。東京のインターナショナルスクールに通っている親族も、「ホームパーティーなどの参加が必須」といっていたし、埼玉県で子育てをするワーキングママは「小学校のお祭りで焼きそばを焼く係になり、仕事を休まざるをえない」と言っていた。

このあたり都会、地方の差はあまりないのかもしれない。

4.マインドシェアの専有

子供ができると、良くも悪くも脳内のマインドシェアを専有される。

先日、集中して仕事をしている時に、妻から電話が入ってきて「園から具合が悪くしていると連絡があり、家に連れ帰った」と話を聞いた。通院させるかどうかの意思決定の相談を受けたが、電話を終えた後も「大丈夫かな」と心配で仕事に集中するのが難しくなる。他方において、園から連れ帰る際に表情が暗く、元気がなければ「誰かにいじめられたのではないか?」と心配になる。

それでも子供がほしい理由は?

ここまで話を聞かされると「経済的不安だけでもすさまじいのに、それならもう自分には子供は要らない」と感じた人もいるかもしれない。確かにここで列挙した要素を「全部ポジティブ」と言い換えるのは難しいし、根本的に育児に向いていないパーソナリティの持ち主はいるだろう。

だが、一部にはこうしたネガティブ要素がそのまま子供がほしい理由になる人もいると思っている。それは「人生を頑張って生きる強烈な理由」を作ることができ、結果として人生が充実化する。この点が子供を持つ最大のメリットだと考えるのだ。それ故に「これ以上、人生で頑張りたくない」という人には、子どもを持つ選択肢は合わないかもしれない。

「もし自分に子供がいなかったら?」というIFをシミュレーションした。少なくとも筆者の場合においては、人生で頑張る理由を失うことで、堕落しハリのない毎日になってしまいそうだ。筆者一人だと、ある程度蓄財が進んだ段階で「もうこのくらいでいいだろう」となってしまい、引退生活のようになったかもしれない。今の自分から見て、そうした生活はあまり魅力には感じない。だが、今は子供がいるので頑張らざるを得ない。その結果として手に入った現在の状況は大変なこともあるが、満足している。

毎日、仕事を精力的に頑張っているのは「自己実現のため」であるある一方、それに引けを取らないくらい「子供に仕事をする姿を見せたい」という理由も大きい。また、太らないようにしたり、健康に気を使うのも「健康を維持して、これからも子供といろんな体験をしたい」という理由がある。そのための負担なら大いに歓迎したいと思っている。だが、独り身だと今のように頑張れなかったと思っている。

子供を持つということは、あらゆるリソースにおける制約化に身を置き、その環境からクリエイティブに人生を充実させるゲームと捉えることができる。誰しも自分の分身はかわいいものだし、そんな対象と一緒に人生を歩むことができるこのゲームはとても楽しい。

ビデオゲームにたとえるとこうなろう。最終ステージにいってお金も溜まり、もう買いたい物がない状態だと、もうそのゲームは面白いとは思えない。しかし、これまでの経験を活かしつつ、新たなステージが開かれれば、再び胸の高鳴りの中で精力的に攻略に向かうイメージである。

以上の理由から、子供を持つか?否か?という分水嶺は「より頑張って人生充実させたい!」と思える気質であるかが、一つの選定基準になるのではないだろうか。

 

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ビジネスジャーナリスト
シカゴの大学へ留学し会計学を学ぶ。大学卒業後、ブルームバーグLP、セブン&アイ、コカ・コーラボトラーズジャパン勤務を経て独立。フルーツギフトのビジネスに乗り出し、「高級フルーツギフト水菓子 肥後庵」を運営。経営者や医師などエグゼクティブの顧客にも利用されている。本業の傍ら、ビジネスジャーナリストとしても情報発信中。