防衛研究所による「連続テレビ解説」は、何が問題なのか

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ウクライナ解説で防衛研究所の突出したテレビ出演を懸念

ベテランジャーナリストの中村仁さんは「国家機関とメディアの距離感」に関してこのような懸念を表明しましたが主旨が適切に伝わっていないようです。その理由は次の3点でしょう。

  1. 現状メディアで話している内容について懸念は当たらないこと
  2. 潜在リスクを明示していないので読者が想像できないこと
  3. 指摘の根拠には事実から距離があること

本稿では、最初に中村氏の記事(5月1日5月5日)の主旨概要を確認し、次にその事実概要を確認し、最後に懸念の潜在リスクについて確認して行きます。

二つの記事の主旨概要

5月1日掲載記事(「ウクライナ解説で防衛研究所の突出したテレビ出演を懸念」)によれば、

ロシアのウクライナ侵略の報道で、連日連夜、防衛研究所のスタッフがテレビ番組に登場するのを見て、「ジャーナリズムの一環に食い込んでしまったようで、やりすぎではないか」と、思ってきました。

この記事は反響が大きく、批判的なコメントも寄せられたようです。主旨が上手く伝わらなかったとしてコメントを紹介しつつ、丁寧に持論の主旨を説明した記事がアゴラに追加掲載されました(5月5日「ブログ「防衛研究所のメディア出演の急増」に集中したコメントの意味」)。

コメントをいくつか紹介します。(略)「あなたの意見は滑稽としか思われない」、「ご自身の信念に従って妄想を垂れ流しているブログにしか見えない」。感情的で思い付き書いています。今回に限らず、この類がブログのコメントには多く、ネット論壇が成熟せず、むしろ分断を煽る原因になっています。

私が書きたかった主旨は、「防衛研のスタッフが連日、テレビ出演するのはどうしてなのだろうか」、「防衛研は防衛省・国家組織そのものであり、そこの人たちが同じ番組に連日、常連の解説者として扱われることには問題がないのだろうか」、「テレビを含めたメディアは国・国家機関と適度の距離を置いた存在であらねばならない」などです。そういった極めて常識的な問題提起なのです。さらに「防衛研はロシア、ウクライナ情勢となると、欧米の戦況情報、分析に依存している部分が多く、彼らの発言を連日、聞かされていると、欧米流の戦況観に染まる恐れはないのだろうか」とも思います。

2つの記事にある疑問や懸念は、その根拠となる事実認識に関して中村氏側にも誤認があるように思いますし、読者側も共通の前提としての歴史認識があるのかどうかがわかりません。それらの相乗効果でコミュニケーションの失敗が起きていると思われますので、以下確認して行きます。(以下「防衛研究所」は「防衛研」また「防研」と表記)

二つの記事で同氏が表明しているのは結局、3つの疑問と1つの理想です。

<疑問>

  1. 「防衛研のスタッフが連日、テレビ出演するのはどうしてなのだろうか」
  2. 「防衛研は防衛省・国家組織そのものであり、そこの人たちが同じ番組に連日、常連の解説者として扱われることには問題がないのだろうか」
  3. 「防衛研はロシア、ウクライナ情勢となると、欧米の戦況情報、分析に依存している部分が多く、彼らの発言を連日、聞かされていると、欧米流の戦況観に染まる恐れはないのだろうか」

<理想>

  1. 「テレビを含めたメディアは国・国家機関と適度の距離を置いた存在であらねばならない」

なお、要約には私の読解というフィルターがかかっておりますので、違和感を覚える方は原典をご確認ください。

二つの記事の事実概要

まず、「防衛研究所の職員が連日連夜テレビに出演している」というのは言わずもがなの事実でしょう。ただし「連日連夜」というのは一時のことで、強調のための慣用表現だと思われます。

疑問1「防衛研のスタッフが連日、テレビ出演するのはどうしてなのだろうか」

この疑問に対して中村氏は次の通り、いくつかの推測を添えております。しかしいずれも根拠不明或いは事実誤認に基づいております。

防衛省側に「この際、防衛研の名前を売り込みたい」という明確な方針がなければ、国家公務員が専属コメンテーターのように連日、メディアに登場できるはずはありません。(根拠不明の断定)

日本には大小の研究所があっても、ウクライナ戦争に特化した情報を提供できるところは(防研以外には)まずないでしょう。ですからメディア、特にテレビにとってありがたい存在なのです。(事実誤認に基づく推定)

ロシア、ウクライナ情勢を軍事的な側面を含めてリアルタイムで解説できる人は、日本の場合、民間シンクタンク、大学教授などにまずいないでしょう。(事実誤認)

まず、「防研は名前を売り込みたい」という願望は部外者には確認のしようがなく、「連日の出演が可能」という傍証からの推測に過ぎません。また職員といっても政策研究部長や防衛政策研究室長という(超エリート)幹部ですから裁量権も大きく、緊急事態でも無い限り一身の行動に(在京テレビ出演程度の)制約はそれほどないのではないでしょうか(推測)。この点は当事者の説明があれば事実は明らかになるでしょう。

次に事実として、リアルタイムで現地状況や戦況を解説する人材は防研以外にも豊富にいます。例えば、今回の事態から、最もメディアに呼ばれ視聴者も耳を傾けるようになった人として、小泉悠さん(東京大学先端科学技術研究センター専任講師)の名を挙げられるでしょう。他にも筑波大学教授や慶応大学教授など、所属が防研以外の研究機関や大学にも、軍事的な側面を含めて情勢を解説できる人は豊富にいると言えるでしょう。

懸念している潜在リスク

疑問2「防衛研は防衛省・国家組織そのものであり、そこの人たちが同じ番組に連日、常連の解説者として扱われることには問題がないのだろうか」

これについて中村氏は、更に踏み込んで懸念を明確化しております。

メディアが知らぬ間に「国家の論理」に歩調を合わせる結果を招くことになりはしないか

この指摘こそ、当該論考の要点です。この場合「防衛省(防研)の国家の理論」がどう問題なのかを想像するためには「陸軍省(新聞班)の陸軍パンフレット事件」を思い出す必要があります。一応高校日本史でも軽く触れる事件ですが、今の日本人で正確に思い出せる人は少数派でしょう。

ここで最重要キーワードとして「知らぬ間に」が重要な読解ポイントです。

「大本営発表」と言えば「国家が発表する虚偽情報」を指す定番の言葉ですが、実は最初の6ヶ月は慎重に査定された情報を発表しており誠実でした。発表した戦果について後日過大であることが判明すれば、訂正さえしていたくらいです。それが、虚偽情報に変化して行くのは、国民が知る由もない「ミッドウェイ海戦の敗北」からです。

つまり「現実が国家にとって都合の悪い状況に陥ったとき、国民が知らぬ間に、そっと情報が偽りのものに変化する」のです。それまで誠実に発信しているので国民も簡単には見抜けません。

これまで防研職員諸氏は誠実な情報発信を続けてきたので、国民から一定の知名度と信頼を勝ち取っていることでしょう。その信頼関係のもと、将来日本周辺地域紛争が起こり直接当事者となった場合、「防衛当事者である防衛省が果たして『都合の悪い情報』も従来通りの正確さで国民に開示できるのだろうか?」という疑問が心に浮かびます。これこそ懸念している潜在リスクでしょう。

疑問3「防衛研はロシア、ウクライナ情勢となると、欧米の戦況情報、分析に依存している部分が多く、彼らの発言を連日、聞かされていると、欧米流の戦況観に染まる恐れはないのだろうか」

これについても中村氏はその懸念に次のような説明を補足して明確化します。

ロシア、ウクライナ情勢では欧米流の思惑が背景になった情報に日本が多大な影響を受けることになりかねないのです。現在は「民主主義国の結束」「一方的に悪いプーチン大統領」ですから、皆、疑いを持たないだけのことです。(太字は引用者)

この懸念も一般論として妥当でしょう。今後長期化した場合に、「バイアスのかかった情報」を浴び続ける中で、世論がミスリードされないか、一方から見た「正邪」の基準を固定していいのか、という趣旨の懸念でしょう。これもまた潜在リスクでしょう。

ただし、日本はG7構成国であり日米同盟を国防の基礎としてNATO諸国とも価値観を共有する国です。経済制裁という強力な“敵対行為”を採用している現状では、仕方のない面もあるでしょう。

結論

「現状は過剰ではないが、常に情報査定を怠るべきではない」と考えます。

現在までのところ防衛研究所の見解は、深い考察と幅広い情報を織り込んだ現状分析にとどまっていると考えます。一例として月刊『正論』5月号に寄稿された防衛研究所防衛政策研究室長の高橋杉雄氏の主張の一部をここに引用します。

日米同盟に「核共有」は必要か 高橋杉雄

(前略)核シェアリングの本質は、同盟国を「安心」させることであり、抑止力はその「安心」を通じて強化される。ところが「安心」とは主観的なものであり、国民自身の納得が不可欠であると。(中略)必要なのは国民自身が、何をすれば「安心」できるか、正確な情報に基づいて、自分で考え、議論を深め、本当に必要なことについて納得することである。その納得こそが、抑止力を本当の意味で支えるのである。(月刊『正論』5月号より引用、本文太字は引用者)

高橋氏は国家の職員として、主権である国民を明確に意識し、国民の判断を最重視し、その考察や判断のために必要になる正確な情報を提供しようと努力されていると思われます。誠に誠実なお人柄ではないでしょうか。