私が篠田氏と論争しないわけ:橋下・芦部批判も酷い

論戦は相手へのリスペクトがないと生産的でない

政治学者・篠田英朗先生の『八幡和郎氏の印象操作術に首を傾げる』とかいうアゴラの記事について、池田信夫氏などから反論を書くように勧められたのだが、アゴラの記事とするに値するようなものは書きようがないと思って池田氏などと意見のやりとりはしていたのだが、再三のお勧めでもあるし、また、私にとっては、恩師である芦部信喜先生までやり玉に挙げておられるので、あまり気は進まないが、なぜ論戦しても意味がないと思うかを書くことにした。

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まず、最初に申し上げておきたいのは、国際政治学についての篠田先生の見識や仕事は評価している。とくにウクライナ問題に関連しても、アングロサクソン系の国際政治学者がどんな議論をしているか篠田先生の紹介はたいへん優れており、また、それを踏まえた篠田先生の所見も興味深い。

私は常にそれぞれの分野を専門とする研究者の仕事の価値を認めている。ただ、たとえば、ウクライナ問題だとか、古代史だとかいったテーマを自分たち以外の分野の人間は自分たちの意見を前提にして従って議論しろとか、あるいは、日本の学会だけとか、もう少し広く英米の学会といったローカルな世界の通説が世界の常識などというべきでないと思うだけだ。

また、論戦を感情的なものにしないためにも、相手に対してリスペクトを払うことは賢者の知恵だと思う。私自身もついつい他分野の専門家を強く批判してあとで言い過ぎたと後悔することもあるが、できる限り、そうしたことを肝に銘じている。

だから、『ウクライナ:常識の10の嘘と怖い落とし穴』でも、「私は自分の土俵の価値観で別の立場の人の見方を全面否定などする気はない」「橋下徹氏と篠田英朗氏の激論も、それぞれ仰っていることは興味深いしそれぞれ真実を含んでいるが、あまりかみ合っているようにはみえない」「いずれにせよ、極端な議論は、妥協を遅らせその間に多くの人命が失われ、経済的損失も増大する」と配慮しているのである。

それにもかかわらず、篠田先生が橋下氏や私に対するいささかの敬意も示さず、罵詈雑言を一方的に書かれていることについては、17歳年長である特権として軽く苦言を呈しておきたい。

篠田氏の橋下徹と芦部信喜への批判はここが間違っている

私は篠田先生が橋下徹氏に対してアゴラで、『橋下徹氏に見る憲法学通説の病理』という五回連続という大作を連載されているときにも、論評を勧められて読み始めたのだが、全くかみ合っていないことに唖然としてやめた。

まず、タイトルからして怪しげだ。『橋下徹氏に見る憲法学通説の病理』といいうのだが、橋下徹という読者の興味を引きそうな三文字を冒頭にしているが、よく見ると「憲法学通説の病理」が主たるテーマなのである。

しかし、橋下徹氏の言説を緻密に分析して、そこに「憲法学通説の病理」の本質が浮かび上がっていることを立証しているのかといえば、そうでない。単に橋下徹氏が憲法学通説に立つ有名人の一人である伊藤真氏(著名な司法試験受験塾の経営者)の講義を橋下氏が高く評価しているということから、その伊藤真氏の主張や、また、その伊藤氏が東京大学法学部卒業生で彼の憲法観が私たちの世代の東京大学法学部の憲法学教授だった芦部信喜の系統に属するというので、そのあたりをひとまとめにして、「憲法学通説」という言葉でひとまとめにして批判して、ところどころ、橋下氏への人格攻撃を含んだ批判が交えられている。

しかし、橋下氏が誉めているのは、伊藤真氏の「講義」であって憲法論ではない。伊藤氏の憲法講座が実に分かり安く説得的だったから、全国の大学の憲法の講義をしている憲法学者など講義をするという意味では不要で伊藤氏の講義を聴けば十分とかいうことを橋下氏はいっているだけで、憲法学の研究活動を標的にしているのでないし、橋下氏が伊藤氏や東大学派の通説的憲法論の信奉者ではないことはどう見ても明らかなのに、どうして通説的憲法学への疑問と橋下批判が合体するのか謎である。

また、篠田先生は、「司法試験受験者のみならず公務員試験受験者にとっては神のような存在である(より正確には、試験に合格するためには神のようにみなさないといけない存在である)元東京大法学部第一憲法学講座担当教授・芦部信喜を、代表例として見てみよう。たとえば、芦部は、自衛権の行使も、自衛隊の存在も、違憲だと断定している」と仰る。

私も芦部先生の憲法の講義を受けた一人である。駒場の講堂は、音響も悪かったので早くから席を取って熱心に聞いたし、講義終了後に列を作って質問に行くことが多かったが、真面目な先生だから面倒くさがらずに一生懸命議論の相手もしてくれた。

といっても、結局のところ芦部憲法学にもうひとつ共感できなかったのも確かだった。その謎はのちに大学のもっと高学年で外国法を学び、さらには、留学してフランス国立行政学院でフランスの官僚として身につけておくべき素養を教えられた中で、日本でいう憲法学は、公法学一般や政治制度論の一部でしかなく憲法学などというのはないみたいなものであることを発見した。

さらに、そうした学習を通じて気がついたのは、日本の憲法学は「日本国憲法」への全面的肯定を前提にした学問であることだ。戦前の日本には『大日本帝国憲法学』という不磨の大典を前提にしたものがあった。だから宮澤俊義先生は「天皇主権は改正できない条項」だと主張してきたことから生じた自己矛盾から逃げるため「八月革命論」という珍説を唱えたのである。

これでは、『民法学』や『刑法学』との並びでの『憲法学』は存在しないも同然なのである。そのあたりは、篠田先生もよく似た思いをお持ちだと察するのだが、篠田先生の東京大学派の憲法学への批判には誇張された決めつけも多い。

そもそも、講義を受けた+αだけで弟子というのも僭越だが、芦部先生は極端なことをいうような人ではなく、むしろ、常識的すぎて物足りなさを少し感じたほどだ。

たとえば、上記の篠田先生の指摘では、「芦部は、自衛権の行使も、自衛隊の存在も、違憲だと断定している」と書いておられるが、どうしてそういうことになるのだろうか。たしかに、芦部先生は自衛隊や安保条約を合憲とすることについて、非常に無理があることは、いろいろ指摘されてしたし、その後、書かれた有名な教科書でも同じだ。

ただ、「断定している」とまではいえない。むしろ。無理があることを前提に、運用を慎重にし、平和憲法の趣旨から外れないようにして欲しいといった話で、結局、どうしたいのかよくわからないことの方が問題だと講義の時もその後も感じてきたのであって「断定」にどうしてなるのだろうか不思議である。

というようなわけで、篠田先生の五回シリーズの論考のうち第一回の最初の方を読んだだけで、橋下氏への批判も、読み間違いを前提にした、まったくすれ違った議論の立て方だし、芦部氏の学説への評価もデタラメなので、論争になっておらず、その続きを読むまでもなく論評に値しないと思った。

篠田氏が私の主張だといわれるものは虚構である

そこで書いたのが、『ウクライナ:常識の10の嘘と怖い落とし穴』で、篠田・橋下両氏に敬意を払いつつも、日本とフランスで官僚としての訓練を受け、ソ連崩壊の時期には当時の通商産業省の指示で、パリからヨーロッパ諸国の動向の調査やある種の工作もやり、ヨーロッパ史や憲法問題についても何冊かの著書も書いた立場から、篠田先生や橋下氏が論じているような問題の一部についての私の見解を書いた。

そして、クリントン氏がおそらくこうだろうと推測されていたことについて、自分の言葉で語ったのでそれを批判した『クリントンが戦争覚悟でNATO拡大と開き直り』を書いたのである。

そうしたら、篠田先生が『八幡和郎氏の印象操作術に首を傾げる』とかいう記事を書かれたので、有名な先生の批判にまじめに反論しようと読み始めたのだが、最初にタイトルにある私の書いたこととは関係ない話が続いたあと、私の書いたものについて触れた最初の数行だけ見て、こんな頓珍漢な文章に反論なんか公の場でやってられないと反論記事を書くことを止めたのである。

私が書いていることに対して篠田先生のような高名な先生から反対論をいただいたら、反論したいし、少しくらいは私の真意を誤解している部分があってもそれを指摘するが、最初から最後まで私が書いてないことを珍妙な推理をしてこういっていると批判した文章に付き合えないのである。

まず、篠田先生は「八幡氏にとっては、NATO東方拡大がウクライナにおける戦争の原因であることは既に確定済の事実なので」とされるが、そんなこと書いたことはない。むしろ、そうでない、あるいは、それほど重要な要素でないと思う人が多く、私も確信がもてなかったなかで、クリントン氏が経緯の説明を踏み込んでしたので書いたもので、そういう趣旨は分かりそうなものだ。

篠田先生は続いて、「それに反する意見は全て「開き直り」にすぎない、という印象を作り出したいようだ。」というのだが、多くの日本人が「NATO東方拡大がウクライナにおける戦争の原因」でなくクリントンさんはそれが「まさか戦争になるとは思っていなかったはず」だと思っているのに、いや危ないと警告してくれた人も多かったが、そうなったらロシアの責任だから仕方ないという考え方だったような趣旨をクリントンが書いたからそれなら、予想もしなかったのでなく、仕方ないと思っていたのだから「開き直り」と言われても仕方ないだろうとタイトルにしたのである。意を尽くしてないのはタイトルの字数制限が故である。

さらに、「だが実際には、依然として外交専門家の間ではNATO東方拡大擁護派が大勢を占めている。ミアシャイマーのような有力な批判者もいるが、全体としてはまだ異端である。異端だから間違っているとは言えないのは当然だが、異端の立場をとらないと「開き直り」になるというのも、おかしな話である」と篠田先生はいう。

たしかに、英米系の外交専門家に限定すればそうかもしれないが、仏独だって東方拡大、とくにウクライナまでとなると懐疑的で一貫してきた。そこで、アメリカの要求や東欧諸国の希望もあるので、ロシアの顔色見ながら大事には至らなさそうなタイミングでの拡大を渋々受けいれつつウクライナなどの加盟には反対してきたのである。

まして、NATO加盟国以外(それが世界の国の大半だと思うが)を含めた世界全体で、篠田先生のそんな意見が大勢だったわけないだろうというのは明らかだろう。これが自然科学なら欧米の大勢と世界の大勢があまりずれることはないが、社会科学では欧米の大勢が世界を代表するというのは無茶だと思うが違うだろうか。

というわけで、私が論じたことをこれほど曲解するというか、出来の悪いアバターに自由気ままに語らせられたものを前提に論争なんぞ成立するわけもないので、そのあとの議論も私の名前など消してせいぜい「こう言う意見もあるかもしれないが」ということで、論じていただきたいと思うし、どこが曲がっているか国語の添削をする気もないというわけだ。

とはいうものの、篠田先生の知識なり主張は英米流の国際政治学の専門家としてそれなりの見識を示しておられると思うわけで、橋下氏や私、さらには故人である芦部信喜先生などを牽強付会で出汁に使ったタイトルなど掲げて人目を引くのは、せっかくの専門家としての値打ちが下がると老婆心ながら心配するのである。

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