今年4月23日に、知床半島沖で観光船が遭難した事故で、26人の乗客・乗員のうち、現在までに14人が発見されたが全員死亡、残る12人の生存も、残念ながら絶望的と言わざるを得ない状況だ。遭難現場付近の海底120メートルに、遭難した観光船「KAZUⅠ(カズワン)」が沈んでいるのが発見されたが、船体引き揚げが行えるのかどうかも不明だ。
第1管区海上保安本部などは、業務上過失致死、業務上過失往来危険の容疑で、運行会社有限会社「知床遊覧船」の事務所や社長、船長の自宅の家宅捜索等の捜査に着手している。事故に至る経緯は不明な点が多く、生存者がいないこともあって、事故原因の究明は容易ではない。事故の刑事責任追及も困難を極めることになるだろう。
運行会社の「知床遊覧船」については、他の観光船は、4月30日からの運航なのに、同社の観光船のみ、一週間早く運行を開始していたこと、強風・波浪注意報が発令され、漁業者の多くは操業を見合わせる中で、観光船KAZU Ⅰが単独で出航したこと、数か月前から船と連絡を取り合うための無線機のアンテナが壊れ昨年にも事故を2件起こしていたこと、同社が定めていた運行基準や安全管理規定にも違反していたことなど、安全対策に関して重大な問題があったことが明らかになっている。
「知床遊覧船」の安全対策は杜撰極まりないもので、観光船の「安全統括管理者」の同社の桂田精一社長に、このような事業を行う上で不可欠のはずの「乗客の安全を最優先する」という意識があったのかすら疑問だ。
このような悲惨な重大事故が発生した経緯、責任の所在が徹底して明らかにされるのが当然だが、残念ながら、現在の法制度のままでは、それが十分に行い得ない。今回の観光船事故でも、同じことが繰り返される可能性が高い。それによって、事業者の安全軽視の姿勢の背景にある「凄腕経営コンサル」による「徹底した合理化指導」等の要因も覆い隠されてしまうことになる。このような現状を絶対に放置してはならない。今回の事故による多数の尊い犠牲を無にしないためにも。
現行の業務上過失致死傷罪では重大事故の刑事責任追及は困難
事故の刑事責任追及は、現行法制上、刑法の「業務上過失致死傷罪」によって行われることになるが、犯罪の立証に関して重大な問題があり、最終的に、有罪とされて刑事処罰に至った例は極めて少ない。
JR西日本が起こした「福知山線脱線事故」(2004年、尼崎市内で電車が急カーブを曲がり切れずに脱線してマンションに衝突し、107人死亡、562人負傷)については、検察が事故当時の社長を起訴し、歴代3社長は、検察審査会の起訴議決によって起訴されたが、いずれも最高裁で無罪判決が確定している。
2012年の中日本高速道路笹子トンネルの崩落事故で9名が死亡した事故では、中日本高速道路関係者が書類送検されたが全員不起訴で終わっている。2016年1月に発生した軽井沢バス事故では、大学生らのスキー客を乗せたバスが下り坂でカーブを曲がりきれず崖下に転落。15人が死亡、26人が負傷した。この事故では、事故から5年経った2021年1月に、運行会社の社長と運行管理者が起訴されたが、無罪を主張し、公判が係属しており、予断を許さない。
そこには、様々な要因がある。業務上過失致死傷罪は、
(1)「人の死亡」という結果の発生
(2)(予見可能な)結果を回避するための注意義務に違反したこと(過失)
(3)「過失」と結果の因果関係
の3つの要件が充たされた場合に成立する。
その立証上の最大のネックになるのが「予見可能性」だ。
事故というのは、故意の殺人とは異なり、何らかの予期せぬ事情によって、人の死亡という結果が生じたものである。それが、予見可能だったこと、予見した上で、事故を回避する措置をとることが可能だったことが証明されないと同罪による処罰はできない。
同罪は刑法犯であり、処罰の対象は「個人」だけだ。特定の個人の「過失」と「人の死傷」との因果関係がある場合に、その個人が業務上過失致死傷罪の処罰の対象とされる。鉄道会社等の大規模企業の事業で起きた事故の場合、組織内の様々レベルの人間が関わっており、安全確保に関して当該企業の組織の体質や事業者の方針自体に問題があっても、処罰の対象となり得るのは組織内の特定の個人であり、組織自体を処罰の対象とすることはできない。
しかも、鉄道、バス等の重大事故では、直接の当事者である運転者が死亡している場合が多く、その供述が得られないために、事故に至る経過や、事故の直接の原因となった行為の理由が解明できない。それが事業者側の安全管理上の責任を問うことの支障になる。
このような理由から、重大事故で多数の犠牲者が出た場合も、刑事責任を問うことは極めて困難だというのがこれまでの重大事故の処罰の実情だ。
今回の観光船事故についても、業務上過失致死罪による刑事責任の追及は容易ではないように思える。
乗客14人について既に死亡が確認されており、(1)の「人の死亡」という結果が発生したことは明らかであり、(2)の「過失」に関しても、出航時に強風・波浪注意報の発令後に出航したこと自体が危険な行為であり、その危険が現実化し、事故に至ったと言える。また、(3)の因果関係についても、単純な「条件関係」で言えば、出航しなければ事故は起きなかったのであるから、因果関係があるということになる。
しかし、業務上過失致死罪においては、「原因行為から結果発生までの因果の流れ」が明らかになり、そのような経過で人の死亡という結果が発生することについて予見可能性と、結果回避義務に違反したことが「過失」の要件となる。そういう意味では、事故に至る経過が明らかになり、事故の原因が特定されないと、「結果」と「過失」の因果関係があるとは言えない。
桂田社長が説明しているように、波が高くなったら引き返してくる「条件付出航」だった場合、出航自体の判断より、「引き返す判断の遅れ」などの出航後の船長の対応が事故の直接の原因だったことになる可能性もある。また、何らかの外的要因によって船体が損傷したことが沈没の直接の原因だったとすると(桂田社長は「クジラに突き上げられて船体が損傷した可能性」を指摘していると報じられている)、出航自体は、事故の発生につながったとは言えないことになる。
前記の軽井沢バス事故の刑事事件について、検察側は、運行管理者について、「死亡したバス運転手が大型バスの運転を4年半以上していないことを知りつつ雇用し、その後も適切な訓練を怠った」過失、社長については、「運転手の技量を把握しなかった」過失を主張している。これに対して、被告側は、「死亡した運転手が技量不足だとは認識しておらず、事故を起こすような運転を予想できなかった」と起訴内容を否認し、無罪を主張している。
運転手は、「ギアをニュートラルにしてエンジンブレーキもかけないで漫然と運転した」とされているが、死亡しているため、なぜ、「エンジンブレーキをかけないで下りの山道を走行する」という「過失行為」を行ったのか、原因がわからない。「大型バスの運転は苦手」と言っていたとしても、大型バスの運転免許は持っていたのであり、実技訓練が1回だけだったとしても、その際に、エンジンブレーキを通常どおり使っていたはずだ。そうなると、「運転手がそのような運転を行うことは予見できなかった」という社長や運行管理者側の主張を否定することは容易ではない。
事故に至るまでの客観的な経過が相当程度明らかになっている軽井沢バス事故でも、事故の直接の当事者の運転手の供述が得られず、「過失行為」の原因が不明であることが、運行会社側の業務上過失致死傷罪の支障となっている。沈没に至る経緯が全く不明の今回の観光船事故の場合、船長の供述が得られないことが、業務上過失致死罪での会社側の刑事責任の追及にとって一層大きな支障となる。
国交省の行政処分は「経営上の配慮」が厳正な対応を妨げる
一方、運行事業者に対する行政の対応も、重大事故が相次いできた貸切バス業界に対する国交省の対応の経過などからすると、重大事故を防止する機能を期待するのは困難だ。そこには、中小零細業者が多い業界への、国交省側の経営への配慮が、厳正な処分を妨げているという実情がある。
貸切バス事業は、2000年に施行された道路運送法改正により、需給調整規制が廃止され、免許制から許可制(輸送の安全、事業の適切性等を確保する観点から定めた一定の基準に適合していれば事業への参入を認める)に移行したことによって新規参入が容易となり、貸切バス事業者の数が激増し、競争が激化した。
2007年2月、あずみ野観光バスが運行していたスキーバスが大阪府吹田市の高架支柱に激突して1人が死亡、26人が負傷する事故が発生したことで、ツアーバスの実態や、貸切バス事業者の過酷な労働体制が浮き彫りになったことを受け、国の行政機関の行政についての運営状況等を調査し、改善を勧告する行政調査を行う「総務省行政評価局」が調査し、2010年9月に、国交省に対して勧告を行った。
当時、私は、総務省顧問を務めており、この行政評価局の調査についても助言を行うなどして関わったが、調査で明らかになった貸切バス業界の安全軽視の実態、それを見過ごしてきた国交省の対応は、本当に酷いものであった。貸切バス事業については、多数の法令違反があり、安全運行への悪影響が懸念されるのに、行政処分の実効性の確保が不十分だった。法令違反に対する使用停止処分の際に、対象とする車両や時期を事業者任せにしている例もあるという有様だった。このような貸切バス事業の背景には、届出運賃を下回る契約運賃や運転者の労働時間等を無視した旅行計画が旅行業者から一方的に提示されるということもあった。
要するに、業界が構造的な過当競争の状況にあるなど、厳しい経営状況にある事業者に対しては、行政処分が経営に打撃を与えないよう「馴れ合い」のような対応が行われていたなのである。
結局、そのような総務省行政評価局の勧告が行われても、貸切バス業界の状況は改善せず、2012年4月、関越自動車道で乗客7人が死亡、38人が重軽傷を負う事故が発生、運転手の居眠り運転が原因だった。これを受け、国土交通省は、貸し切りバスの夜間運行の制限や安全コストを反映させた新運賃・料金制度の導入などを行ったが、2016年1月に、学生らのスキー客を乗せたバスが下り坂でカーブを曲がりきれず崖下に転落。15人が死亡、26人が負傷する軽沢バス事故が発生した。この事故に関しても、基準を下回る運賃での受注が高齢の技術未熟な運転手を乗務させることにつながったこと、会社が運転手に走行ルートを指示するための「運行指示書」には出発地と到着地だけが書かれ、どのようなルートを通るのかについては記載がなかったことなど、国交省の指導監督に関連する問題も指摘されている。
観光船・遊覧船についても、海上運送法で国交省の許可・届出が義務付けられているが、2011年8月、天竜川川下り船の転覆で5人が死亡、5人が負傷する事故が発生し、現場が流れの激しい場所であったのに、救命胴衣を着用させていなかったことから、国交省は、全国の川下り船事業者に対し、救命胴衣の着用徹底等を指導した。しかし、重大事故が発生した場合に、その原因となった問題に対応するという「後追い」的な対応では、今回の観光船事故のような、救命胴衣では救命できない水温が低い海域での水難事故は防止できなかった。
今回の観光船事故に関して、「KAZU Ⅰ」の通信設備では電波が届かないエリアがあったにもかかわらず船舶検査を通過させていたこと、昨年、同船が2回も事故を起こしていたのに行政処分が行われなかったことなど、事業者の安全管理には重大な問題があったことが次々と明らかになっている。国交省が「知床遊覧船」に厳正な措置を行って、安全管理の不備を是正させていれば、事故は起きなかったのではないかとも思える。
このような国交省の手緩い対応の背景に、コロナ感染で打撃を受けている観光業界への配慮があった可能性がある。北海道観光の目玉の一つである「知床観光船」事業の維持という配慮が、厳正な処分を躊躇させた可能性がある。
従来の国交省の運輸行政には、「経営への配慮」に偏り、乗客の生命・身体の安全がおざなりになるという根本的な問題があった。事故が発生した場合に、同様の原因で起きる事故の再発のための措置は徹底して行われるが、事前に危険を予知し、先回りして安全確保のための厳正な措置を行う姿勢は不十分だ。中小零細企業が多い日本において、行政は、事故発生前の予防措置として、事業者が倒産に追い込まれる程の厳正な対応は行いづらい。一方、鉄道会社・高速道路会社等の大企業に対しては、行政が私企業の事業活動の中身に介入することにも限界がある。
凄腕経営コンサルは、「安全軽視企業」にどう関わったのか
事故直前の4月2日に、経済誌「ダイヤモンドオンライン」に【なぜ、世界遺産知床の「赤字旅館」は、あっというまに黒字になったのか】と題する記事が掲載されていた。その「赤字企業」というのが、今回の観光船事故を起こした「知床遊覧船」である。
同記事は、全国700社以上を指導し、倒産企業ゼロ、5社に1社が過去最高益、自社も日本初の「日本経営品質賞」2度受賞、15年連続増収の実績を誇る小山昇氏の連載記事の一つだ。その中で、同氏が「有限会社しれとこ村」を経営指導し、「赤字の会社があっというまに黒字に変わった」ことに関するエピソードが書かれている。
知床観光船が売り出されたとき、私は、「値切ってはダメ! 言い値で買いなさい」と指導した。
とも書かれている。これは「有限会社しれとこ村」が、今回事故を起こした「KAZUⅠ」等の観光船を買って、有限会社「知床遊覧船」を設立したということだろう。
観光船を「言い値」で買って、しかも、その会社を「あっと言う間に黒字」にしたというのである。その間には、余程、徹底した経費の削減が行われたのであろう。そこで、本来、安全にとって最低限必要なコストも削減されたのだとすると、まさに、「赤字企業を黒字化する経営指導」が、今回の事故の背景になったということになる。
今回の事故に関して、次々と明らかになっている桂田社長の、「安全軽視」の経営については、「こんなことを一人で判断しただろうか」と不思議だった。その背後に、「凄腕経営コンサル」という存在があった可能性を、小山氏自身が示唆しているのである。
既に述べたように、国交省の行政処分は、「企業経営への配慮」から「馴れ合い」的なものになりがちで、安全対策を徹底させることができない。その一方で「凄腕経営コンサル」が、安全のためのコストをも削減する徹底した合理化で「経営の黒字化」を図る指導を行う。この二つが「両輪」となって「安全コスト削減」によって赤字企業を延命させることで、人命にかかわる事故の危険が増大することになる。
恐ろしいのは、小山氏のような「凄腕経営コンサル」が指導し、徹底した合理化が行われ「黒字化」された企業が、全国に数えきれないほどあるということだ。
そういう企業は、いつ何時、有限会社「知床遊覧船」のような重大事故を起こしても不思議ではない。
不可解なのは、小山氏の元記事が、今回の観光船事故発生後、ダイヤモンドオンラインからは削除されたことだ(転載記事やツイッターでの引用は残っていたため、記事削除への批判が殺到し、ダイヤモンドオンラインは記事を再公開した)。自身が書いた記事の中身に、「隠したいこと」でもあるのだろうか。
重大事故遺族が求める「組織罰の創設」を
加害事業者の杜撰な安全対策で多くの人命が奪われる重大事故が発生する度に、加害者側に刑事責任等の法的責任を問うことができず、尊い肉親の命を奪われたことへの責任の所在すら明らかとならないことに、遺族は、やり場のない怒りを抱え、悲嘆に暮れるということが繰り返されてきた。
福知山線脱線事故等の重大事故の遺族の方々は、肉親の死を無駄にしたくない、事故防止に活かしたいという思いから、「組織罰を実現する会」を結成し、「重大事故の業務上過失致死罪に両罰規定を導入する特別法の制定」をめざしている(【組織罰はなぜ必要か:事故のない安心・安全な社会を創るために】)。私は、「両罰規定による組織罰」の発案者であり、会の活動にも顧問として加わっている。
国交省の運輸行政には、企業経営への配慮が働き、乗客の安全確保を徹底するものにはなっていない。一方で、「凄腕コンサル」の経営指導などで「安全を軽視してまで合理化が図られ、重大事故の危険が拡散される。このような状況で、事故を防止し、乗客の安全を確保するためには、個々の事業者に、事故で乗客の生命に危険を生じさせることの重大性の認識、危機感を高め、安全対策を徹底しなければ、事故を起こした場合に厳罰に処せられると認識させられるような法制度にするしかない。
そして、一度、人命にかかわる事故が発生した場合には、加害企業がどのような安全対策を行い、そこにどのような問題があったのか、仮に安全軽視の姿勢だったとすると、それはどのような背景によるものか、それらの事実の解明は、刑事事件の捜査によって行うしかない。
そこで、今回の観光船事故を機に真剣に検討すべきなのが、重大事故を起こした事業者やその経営者に対して刑事処罰が行えるようにするため法律の制定である。
既に述べたように、現行の法制度では、重大事故で多数の犠牲者が出た場合でも、法人事業者の組織的な過失を、犯罪として問うことができないし、直接の当事者の運転手・船長等が死亡していることが多く、そのことも、事業者側の刑事責任追及の支障となる。
会社側が安全対策を軽視し、安全管理が杜撰であり、それが重大事故の発生につながったとしても、今回の「知床遊覧船」のように事業者の代表者の対応がいかに安全を軽視し、事故後の対応に誠意がなくても、事業者も代表者も処罰することができない結果に終わる可能性が高いのである。そのような現在の法制度を、重大事故を発生させた事業者や代表者の処罰が可能になるよう、抜本的に是正すべきである。
重大事故の処罰を「個人」から「事業者」中心に転換
そこで、運転手・船長等の事故の直接の当事者等、事業者の役職員を行為者として、業務上過失致死罪が成立する場合に、「両罰規定」によって事業者の刑事責任が問えるようにしようというのが、「組織罰」の導入だ。
現行法の両罰規定とは、
「法人の代表者又は法人若しくは人の代理人、使用人その他の従業者が、その法人又は人の業務又は財産に関して、次の各号に掲げる規定の違反行為をしたときは、行為者を罰するほか、その法人又は人に対しても、当該各号に定める罰金刑を科する。」
という規定であり、特別法の多くの罰則に設けられている。
事業に関する死亡事故について、業務上過失致死傷罪を刑法から切り出して、両罰規定を導入する特別法を制定してはどうか。この場合、事業者に対する罰金額の上限は、その事業規模に応じて、経営に打撃を生じ得るほど高額に設定する。
現行の両罰規定の法人等の責任の根拠は、「行為者に対する選任監督上の過失」とされており、その過失がないことを法人等の側が立証すれば免責される。業務上過失致死罪の両罰規定についても、行為者の過失行為に関して十分な安全対策を行って事故防止義務を尽くしていたことを事業者側が立証した場合には免責されることになる。
これにより、事故の刑事責任の追及を、「個人」から「事業者(多くの場合法人)」に転換できることになる。運転者等の直接の当事者が死亡している場合には、当該行為者個人は処罰の対象にならない。その個人についての犯罪成立は、事業者の刑事責任を問う前提になるだけである。その行為者個人が、刑事公判で業務上過失致死傷罪の成立を争うことがないので、犯罪の成否についての判断基準も、従来より緩やかになることが期待できる。運転者が生存している場合も、両罰規定による法人事業者の処罰が主眼となるので、過失行為者は、捜査に全面協力し、事故に至る経緯で、事業者側の安全対策の不備、杜撰さ、会社上層部からの指示の内容等についても、詳しく供述することを条件に、寛大な処分を行うことが可能となる。さらに、「日本版司法取引」の対象罪名に加えることができれば、そのような行為者の処罰の取り扱いが容易になるだろう。
「組織罰」が導入されていた場合の過去の重大事故での処罰
このような法律が制定されていれば、過去の重大事故でも、法人事業者に罰金刑を科すことが可能だったと考えられる。
福知山線脱線事故では、事故当時の社長を検察が起訴し、歴代3社長が、検察審査会の起訴議決によって起訴されたが、いずれも無罪判決が確定しており、現行制度の下では、刑事責任追及は行えなかった。しかし、事故の状況と事故原因は事故調査報告書によって明らかになっている。業務上過失致死傷罪に両罰規定が導入されていれば、運転手が死亡していても、「車掌との電話に気を取られ、急カーブの手前で減速義務を怠った」という過失で、運転手についての業務上過失致死傷罪の成立が立証できる可能性がある。
そして、「そのような運転手の過失による事故を防止するために、JR西日本が十分な安全対策をとっていたか否か」が刑事裁判の争点となり、JR西日本が、「事故防止のための措置が十分だった」と立証できないと、法人としての同社に対して罰金の有罪判決が言い渡されることになる。
軽井沢バス転落事故でも、業務上過失致死傷罪の両罰規定が導入されていれば、「エンジンブレーキをかけることなく加速して、制限速度を大幅に超過した状態で、漫然と下り坂カーブに突入した」との過失で、死亡した運転手に業務上過失致死傷罪が成立するとして、運行会社に両罰規定を適用して起訴することができる。その場合、会社側の安全対策が十分であったことを立証しなければ罪を免れることができない。運転技術が未熟な運転性に対して教育を行うなどの安全対策を十分に講じていなかったことで、会社が有罪となる可能性が高い。
重大事故の遺族の方々が、実現を求めて必死に活動を続けている「組織罰」、つまり「業務上過失致死傷罪への両罰規定」の導入を、今こそ、真剣に検討すべきである。
「代表者処罰規定」の導入も
それに加え、今回の事故に関して報じられている「知床遊覧船」の桂田社長の「安全軽視」の対応からすると、事業者に対する「両罰規定」に加えて、法人事業者の代表者に対する「三罰規定」の導入も検討すべきであるように思う。
独占禁止法95条の2は、「三罰規定」すなわち「代表者処罰」について以下のよう規定している。
「不当な取引制限」(カルテル・談合等)の違反があつた場合においては、その違反の計画を知り、その防止に必要な措置を講ぜず、又はその違反行為を知り、その是正に必要な措置を講じなかつた当該法人の代表者に対しても、各本条の罰金刑を科する。
というものだ。
これと同様に、業務上過失致死罪に両罰規定を導入する立法においても「三罰規定」を設け、行為者の過失によって「人の死」の結果が生じ得ることを認識していたのに、敢えて安全対策を講じなかった代表者を処罰する規定を設けるのである。
この場合、罰金額の上限は事業者と同様であり、情状如何では相当な高額な罰金刑に処せられることになる。そして、代表者が罰金を支払うことができなければ「労役場留置」となり、服役することになる。
仮に、業務上過失致死罪に両罰規定、三罰規定を導入する法律が制定されていても、今回の事故に関しては、事故原因の特定ができなければ、直接の行為者の船長の業務上過失致死罪の成立が立証できず、「知床遊覧船」への両罰規定も、桂田社長への三罰規定も適用できないことになる。
しかし、「事故原因が特定できるかどうか」は、事故が起きてみないとわからないのであり、「組織罰」「代表者処罰」が導入されていれば、事故を起こして、安全対策を十分に講じていなかった場合に高額の罰金刑を科されることがないようにするために、日頃から、事故防止に細心の注意を払い、十分な安全対策を講じておくしかない。それができない事業者は廃業するしかないということになるのである。
重大事故の刑事責任を法人事業者や代表者に対しても追及することを可能にし、事業者の安全への姿勢や対策の中身、その背景を、刑事事件で明らかにすることができるよう、組織罰・代表者罰の実現に向けて具体的に動き始めることが、安全な社会の実現を願う国民の負託を受けた国会議員の責務である。