漏洩したアメリカ最高裁の判決草稿がもたらす混とん

この報道には私も驚愕でした。アメリカ世論を一転させるであろうアメリカの妊娠中絶を容認する1973年の「ロー対ウェイド判決」を最高裁が覆すかもしれないという草稿がこともあろうに政治専門のアメリカメディア、ポリティコに漏洩してしまったのです。

合衆国最高裁判所 Wikipediaより

そもそもの話はトランプ政権に遡ります。同政権の際、最高裁判事9名のうち、トランプ氏が保守派を3名入れたことで全体のバランスは保守派6名、リベラル派3名となっており、保守的判決が出やすい状況でした。ここで21年12月にミシシッピ州が中絶には一定の要件を科す「中絶制限法」を導入、この合憲性を巡って裁判が続いていたものです。

最高裁の判断は最終ですので仮に妊娠中絶に一定の制限を設けることになればアメリカの約半分の州がこれを取り込むとされています。これは当然ながら世論を二分する大変な判断になり、中間選挙の行方も全く見通せなくなるのです。

保守である共和党は中絶への制限を好む、とされますが、それは共和党の中でも一部の強硬派の姿勢であり、過半数は中絶容認派とされます。リベラルの民主党は当然ながら容認派です。仮にこの草案通り、73年の判決が覆されれば一部の共和党議員は喜ぶでしょうが、支持層がどこまでそれを受け入れるのか、これが疑問視されているわけです。

端的に言ってしまえば中絶制限を是とする共和党にはそっぽを向く、という風潮が出かねないのです。現状、中間選挙については様々な分析があります。上下院ともに共和党が過半を占めるという予想が主流ですが、上院は大接戦という予想もあります。そんな中で共和党不利になるかもしれないネタは共和党にとっては正直、手放しで喜べないはずです。

当のポリティコも「Republicans rage about breach of draft Roe opinion(共和党はローの草案の破棄に激怒)」と報じ、むしろ、なぜこんな情報がリークしたのか、そのソースを厳罰すべきだという姿勢にして世論の分断と中間選挙への影響を最小限に食い止めるポジションを取っています。但し、共和党には当然、この判決を喜ぶ議員もいるわけでそこが選挙戦で矢面に立つ、という構図ではないかと思います。

言ってみれば「いらぬ判断」をなぜ、このタイミングでやろうとしたのか、ということになります。ちなみに正式な判決は更に数か月後を目指していたということでした。それではまさに中間選挙直前に判断が下る見込みになってしまいます。ならばそんな激震判決が選挙戦を変えることになるくらいなら今のうちにリークして、世論で揉んでしまったほうが良いという考え方もできるでしょう。

この漏洩した情報については司法長官が「正しいもの」と認めています。当然ながら司法当局の威厳はがた落ちになっています。

可能性としてはこのような形で漏れてしまった以上、最高裁の判事がこの草案に手心を加える可能性があるのかが一つの焦点、もう一つは判断を先送りし、選挙への影響を最小限に食い止めるという方法もあります。

そもそも妊娠中絶は殺人か、という議論が根底にあり、宗教的背景が強く存在します。カトリック、およびプロテスタントの福音派は殺人論であり、中絶は反対です。結局、思想的背景になりますので説得してどうこうなる問題ではないのです。よって世論は二分される、ということです。

ただ、49年前の判断に不満を持つ層にとってはトランプ氏が最高裁判事の数を6:3で保守派で固めたことで淡い期待があったことは事実です。まさにトランプ氏が埋めた地雷が今になって爆発したということでしょう。バイデン氏は当然ながらこの判断に反対であります。

ちなみにこの漏洩を受けてカナダのトルドー首相が「我が国は中絶の権利(right)がある」と述べたことに対して法曹界から「カナダでそんな「権利」を確約した判決は一度もない」と反論が出るなど実に繊細な問題になっています。

その上、驚いたことにカナダのメディアは本件を連日取り上げ、「アメリカでの判決が覆ればカナダも同様の検討をせざるを得ないのか?」「中絶しにカナダに人が押し寄せるのか?」などゴシップに近いものまで入り乱れています。基調は1973年のあの闘争はもう思い出したくない、これが北米のトーンです。

日本では宗教で国民を二分するということはまず起こりえませんが海外では当たり前。特に欧州の歴史や戦争を紐解けば宗教絡みが引き金になったことは数知れず、です。今回の一種の珍事ながら漏洩という重大な過失がどういう展開を見せるのか、世論の動向を含め、しばらくは目が離せないかもしれません。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年5月8日の記事より転載させていただきました。