友人であり、仕事でもとてもお世話になっている方の結婚披露宴がありました。
久しぶりに出席したホテルでの披露宴でしたが、きめ細かな心遣いに満ち、新郎新婦と両親の嬉しそうな姿を見て、こちらも幸せな気分になりました。
そこで、ふと思ったのは、人の幸せを心から喜べるためには、自分が幸せにならなければいけないということでした。
少なくとも私は、マザーテレサのような、博愛主義の聖人君子ではなく、負けず嫌いで嫉妬深いひねくれた性格です。
私だけではなく、一般に男性の同じ男性に対するコンプレックスや嫉妬の気持ちは、人一倍強いものです。
仕事の実績、経済力、パートナーや家族、住居、社会的地位、家柄、背の高さ、容姿など、他人と比較をすればキリがありません。
しかし、自分が自分の現状に充分満足していれば、うらやましいとは思っても、それを妬んだりする邪悪な気持ちは生まれません。比較をしてコンプレックスを感じることがないからです。
ところが、自分が手に入れようとしても手に入れられないものを、他の人が持っていた時、手に入らないと言う現実が突きつけられれば、手に入れた人に対する嫉妬心が生まれます。
もちろん、私のような心の狭い人間ではなく、どんな時もコンプレックスなど持たず、素直に周りの人を賞賛できる純真で器の大きな人もたくさんいると思います。
正直言って私はそこまでの器がない小物なのです。
私のような人間に必要なのは、自分が人と比較する必要はない位幸せになることです。そのように自分が幸せになればなるほど、周りの人たちの幸せを祝福できるようになる。
更にそれだけではなく、周りの人たちが幸せになるためのお手伝いさえしたくなるのです。
逆境やコンプレックスが人間を成長させるバネになることもあり得ます。悔しさを自分の成長のためのエネルギーに転化させ、それが大きな結果を生みだすパターンです。
残念なことに、多くの場合、そのようなエネルギーが自分ではなく周囲の人にマイナスになって向かい、それが不幸の連鎖を生み出してしまうのです。
そのようにならないためには、自分が本当に何をしたいのかを常に突き詰め、それを実現できる環境を作って、心から幸せになることが大切だと思いました。
編集部より:この記事は「内藤忍の公式ブログ」2022年5月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は内藤忍の公式ブログをご覧ください。