20年近く子どもと子育ての支援やってきたおっちゃんの立場から、言わせてほしい。
時々「母親やめたい」って人の相談をうける。
もしかしてあなたも、先日は母の日だったけど、そう思っちゃってるかもしれない。
実は、そう思うのも、当然なんだ。
だって、この国で母親になるのって、めちゃくちゃ大変だもん。
30過ぎて独身だったら売れ残りだのなんだの言われて、
結婚したら「子どもはまだ?」って、母親になるのが前提でコミュニケーションされるし。
母親になったらなったで、夫は帰ってこなくてワンオペが当然だし。
子育てがキツくても働いてなかったら保育園には預けられないし。
保育園に預けて頑張って働いたら、所得制限で政府からの給付金はもらえないし。
何が「いつもおいしいご飯作ってくれて、ありがとう」だよ。
なんでいつもおいしいご飯を期待されなきゃいけないの、と。
冷凍で良いじゃん。飢えなきゃ良いよ。
そもそも母親がご飯作るって、誰が決めたんだよ。父親はどこ行ったんだよ。
この国で母親やるメリットってなんだよ。
「子どもがかわいい」
ああそうだ。子どもはかわいい。でも、可愛く思えない時だってある。
そう思っちゃう自分を責めなくて良い。
誰だって、孤独な時間が続けば、しんどい状況が続けば、そう思う。
そして子育てがしんどいのは、あなたのせいでも、子どものせいでもない。
社会のせいだ。
ずっと昔から、子育ては村とか共同体でやってきた。
孤独でもなければ、負担も分散できてた。
けれど近代に入って母親が神格化された。
そして、子どもに無条件に最大の愛情を注ぎ、どこまでも耐え忍ぶことが期待されるようになったんだ。
そんなバカな。母親だって人間だ。
いや、人間がたまたま母親やってるに過ぎないのに。
そんなわけないじゃん。
でも、社会はいまだに母親にスーパーマンを求めてる。
「全部、1人で、文句言わず、やれ」って。
無理に決まってる。
だから、一時的に母親やめたくなったら、辞めて良いよ。
ちょっともう無理、って思ったら、SOSの声をあげて。
ベビーシッター頼んで、自分だけの時間を過ごして良い。
「一時保育」に子どもを預けて、飲みに行くのだって良い。
罪悪感なんて感じなくて良い。
社会があなたに「母親のくせに」と罪悪感を植え付けるけど、夫が飲みに行く時に、同じような罪悪感を持たされることはないんだから。
心がボロボロで子どもと距離を置きたい、って思うことがあっても良い。
例えば自治体には「ショートステイ」っていう仕組みがあって、何日か預かってもらうこともできる。
子どもがかわいそう?
いや、あなたの心が壊れないことの方が大事だよ。
最終的に、「もう育てられない、絶対無理」って思うことだってあるかもしれない。
そこまで行く前に周囲に相談できると良いんだけど、でもどうしてもそうなったら、人に育ててもらうっていう方法だってある。
里親とか、特別養子縁組っていう制度がある。
里親制度は、里親さんに何ヶ月から何年か、預けて育ててもらう仕組み。
特別養子縁組は、親子関係自体を解消して、新しい育ての親(養親)さんに法的にも親になってもらう制度。
児童相談所に相談したら、そういう制度を利用できる。
そう、母親なんて無理ゲーだ。
だから、他人の手を借りよう。
社会が期待する「母親」を一旦辞めて、人間に戻って良い。
無理なものは無理。
父親には「お手伝い」なんて期待しちゃダメだ。
お前がやるんだよ、って言ってやって良いから。
「母の日ありがとう。明日からも『良い母親』でいてください」なんて、重すぎだよ。
「私は母親である前に人間だ」
そう言って良い。
変わらなければいけないのは、もう既に頑張っているあなたじゃないんだ。
そう、社会の方なんだよ。
編集部より:この記事は、認定NPO法人フローレンス代表理事、駒崎弘樹氏のnote 2022年5月8日の投稿を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は駒崎弘樹noteをご覧ください。