民主党にとっての天祐?
5月2日にポリティコはリークされたアリトー最高裁判事が書いた多数意見を公表した。そこでは、女性が中絶する権利を連邦レベルで合法化したロー対ウェイド判決を撤回する旨が記されていた。この多数意見は2月に書かれたものであり、最高裁長官のロバーツ氏は最終的な決定ではないと言及している。
しかし、最高裁の半数以上が判決の撤回に賛同していたという事実とリークされた文書の完成度から、予定されている7月にロー対ウェイド判決の合憲性の審議の結果の発表され、中絶の権利の全国的な保障が無くなってしまうことが既定路線と見られている。
このニュースに飛びついたのが民主党である。バイデン大統領は仮に判決の撤回が現実のものとなればそれは「とても急進的な決定」となると述べた。また、ハリス副大統領はもし中絶の権利の保護が無くなれば次は同性婚の合憲性までも危機に瀕すると主張した。さらに、ペロシ下院議長もテレビ番組で抗議の声をあげ、民主党の顔とも言える人々が激しいレトリックで最高裁のリークに反発している。
民主党の反発は行き過ぎている感があるように筆者は思う。アリトー判事は多数意見の中で幾度も、同性婚、その他の市民権の保障が無くなることはないと強調している。加えて、ロー対ウェイド判決が撤回されたならば、それは州ごとに中絶の合法性の判定が委ねられることを意味し、中絶が既に憲法、法律で保護されている州では権利がこれからも保障される。
しかし、民主党は何がなんでもこの問題を中間選挙の争点にしようと試みている。今年度のフロリダ州の上院選で共和党の有力議員マルコ・ルビオ氏の対抗馬となるヴァル・デミングス下院議員のように選挙の争点として中絶問題を挙げる候補も出てきている。それだけ、民主党は来たるべき中間選挙での大敗北を避けたいと考えており、今回の最高裁からのリークを天祐と捉えているはずだ。
残念ながら、例えロー対ウェイド判決が撤回されたとしても民主党が置かれている悲観的な選挙予測は変わらぬままである。
アメリカ人は中絶問題には中立的?
まず、アメリカ人の中絶問題に対する見解について解説しよう。アメリカ人の多くはロー対ウェイド判決を支持しており、中絶の権利も認められるべきであると考える。その一方で、85%から90%がいついかなる時も中絶が認められる訳ではないという一見矛盾した考えも持っている。
合理的に考慮すれば、前者と後者は矛盾しない。中絶問題には胎児の命と女性の選択する権利というジレンマが付きまとわる。どちらを重要視するかは優先順位の問題であり、どちらもトレードオフの関係にある。
しかし、その中でも、胎児の段階では中絶は許されるものの、ある程度胎児が成長すればそのフェーズでは中絶をすることは倫理的に殺人と同等の行為と見なされるという、ジレンマの間を取る主張があってもよい。左のように大多数のアメリカ人はこのようにニュアンスがある見解を中絶問題に対して持っている。
なぜ中絶問題は民主党にとっての追い風とはならないか
ロー対ウェイド判決の撤回が民主党にとっての追い風とならないのは、今後の決定が有権者の大規模な動員を可能にする可能性が低いと筆者が考えるからである。
まず、恐らく最高裁の決定に憤慨している民主党が圧倒的な勢力を誇る州では今回の決定は直接的な影響はない。
先述したようにアリトー氏の多数意見によれば、中絶は政治性の高い問題である故に最高裁の一存で決めるものではなく、よって州ごとの管轄で規制がされることを促している。すなわち、ロー対ウェイド判決が撤回されたならば中絶を合法と見なすか、違法と見なすかは州ごとの問題として扱われることになる。
州民の多数が中絶違法を支持している州では即座に中絶が違法となるが、その決定はカリフォルニア州やニューヨーク州などには波及しない。そのため、一時期はリベラルな州民が中絶問題で盛り上がったとしても、結果的に自分に害はないため、選挙の時になれば投票する優先順位としては落ちてしまう。
中絶の違法化の当事者となる州民の票も民主党は発掘することが困難である。世論調査によると中絶の規制が強まった22州の州民のうち70%がその事実さえ知らないと答えている。
要するに、民主党が青い州、赤い州で勝利するために中絶問題はあまり有効なイシューではない。前者では生活に影響でないため意識する必要がなくなり、後者では違法化への支持が根強いことに加えて、有力な反対勢力が中絶への無関心のせいで出てきてない。
愚か者! 経済が問題だ!
では、中絶問題が有権者を動かさないなら、何が投票行動を促すのか。
それはいつの時代も経済である。現在アメリカは40年ぶりの高いインフレ率に達しており、庶民の日々の生活を圧迫している。そして、その含意は中間選挙だけではなく、2024年の大統領選まで影響する。バイデン氏は2024年も再選を狙うと示唆しているが、経済で失敗した党を代表する大統領は選挙にまず勝てない。
ちょうどインフレが猛威を振るっていた1970年代後半、ジミー・カーター大統領はレーガンに大敗した。トランプ前大統領もコロナから経済を救えなかったことが再選できなかったことに影響している。唯一、在任期間中一貫して失業率が高水準で止まっていながらも当選し続けたフランクリン・ルーズベルト大統領がいるが、時代背景からバイデン氏にとってはあまり参考にできない成功体験を持っている。
有権者があまり関心を示さない中絶問題ではなく、バイデン氏にはクリントン大統領が初当選を果たした大統領選でのスローガンだった「愚か者! 経済が問題だ」を心にとめ民主党の選挙戦略の再考を図ってもらいたい。
ロー対ウェイド判決を錦の御旗に掲げ、炎上商法とも思えるレトリックの過激化は中立的な見解を中絶問題に対して持っている有権者を離反させるだけである。