「戒め」はいつ、誰から始まったか

オーストリア与党「国民党」特別党大会が今月14日、同国第2番の都市グラーツで開催されたが、党首選出後、ニーダーエステライヒ州元首相(在任1992年~2017年)のエルヴィン・プレル氏が民間放送とのインタビューに答えていたのをたまたま聞いた。

同氏は党首選の結果や国民党の諸問題について答えた後、「重要なことは10戒を守ることです」と述べたのだ。もちろん、「10戒」とはモーセがシナイ山で神からもらった10の戒めのことだ。

レンブラントの画「モーセの10戒」(Wikipediaから)

モーセの「10戒」を守れば社会もよくなる?

「へえー、プロル氏も案外宗教的な人間だな」と関心してしまった。同氏曰く、モーセの「10戒」を守れば、党内の腐敗、堕落が絶えない国民党だけではなく、オーストリアの政界、社会もよくなることは間違いない、と言いたかったのだろう。

問題はそれを守れるかどうかだ。10戒をそらんじても意味がない。ただ、宗教家ではなく、政治家が「10戒」という言葉をメディアに語ったので当方は新鮮な驚きを感じた。

そこで「モーセの10戒」について考えてみた、まず「10戒」の内容を簡単に紹介する。

  1. わたしのほかに神があってはならない。
  2. あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
  3. 主の日を心にとどめ、これを聖とせよ。
  4. あなたの父母を敬え。
  5. 殺してはならない。
  6. 姦淫してはならない。
  7. 盗んではならない。
  8. 隣人に関して偽証してはならない。
  9. 隣人の妻を欲してはならない。
  10. 隣人の財産を欲してはならない

モーセの「10戒」の内容は1~3を除けば新しい内容ではなく、家庭や学校、社会で学ぶものだ。

神はモーセに「10戒」を与える前にノアにも「戒め」を与えている。ただし、10の戒めではなく、7つの戒めだ。英語ではノアハイド法(Noahide Law)とも呼ばれ、タルムードに記載されている。ノアの「7戒」は以下の通りだ。

  1. 偶像崇拝の禁止。
  2. 殺人の禁止。
  3. 盗難の禁止。
  4. 性的不品行の禁止。
  5. 冒涜の禁止。
  6. まだ生きている動物の中から取られる肉を食べる残虐行為の禁止。
  7. 社会正義のための法的整備の義務化

神はモーセに「10戒」を与えているのに、ノアの時はなぜか「7戒」の戒めしか与えなかったのだろうか。ノアはアダム・エバの人類始祖から約1600年後の人物だ。神はアダムに代わって“第2のアダム”としてノアを召命し、アダムに与えたように3つの祝福をノアにも与えている。モーセはそのノアから約400年後の人物だ。すなわち、聖書学的にはノアは先輩であり、モーセは後輩だ。

当方の推測だが、ノアの時代は7つの戒めで十分だったが、モーセの時代に入ると、異教信仰が広がって世は更に混乱していた。だから神はモーセにノアよりも3つ多い戒めを与えたのではないか。また、ノアハイド法は本来、全世界の人間が従うべき戒めとして神がノアに与えたといわれる。モーセの「10戒」は神の選民ユダヤ人を対象として与えられた内容だ。

戒めはユダヤ教社会だけの専売特許ではない

もちろん、戒めはユダヤ教社会だけの専売特許ではない。仏教には「5戒」がある。性別を問わず、在家信者が守るべき基本的な5つの戒(シーラ)だ。

  1. 不殺生戒(ふせっしょうかい)
  2. 不偸盗戒(ふちゅうとうかい)
  3. 不邪淫戒(ふじゃいんかい)
  4. 不妄語戒(ふもうごかい)
  5. 不飲酒戒(ふおんじゅかい)

注意深い読者ならば、モーセの「10戒」、ノアの「7戒」、そして仏教の「5戒」の内容が驚くほど似ていることに気が付かれるだろう。換言すれば、民族、宗教の違いを超え、人間として守るべき戒めは基本的には同じだといえるわけだ。

ところで、「初めに言があった。言は神と共にあった」(「ヨハネによる福音書」第1章)ように、「戒め」にも初めがあったのだろうか。「戒め」のルーツだ。神は人類の始祖アダムとエバに「戒め」を与えている。それもたった一つの戒めだ。その内容を旧約聖書の創世記から引用する。

主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」(創世記第2章16節~17節)。

すなわち、「善悪を知る木の実を取って食べるな」が神が人類に与えた最初の戒めだったわけだ。ただし、神は果実栽培者ではない。「エデンの園」にあった善悪を知る木は文字通りの果実ではなかった。結論をいえば、性的関係を結ぶことを意味する。

ただし、神は人類に「産めよ、増えよ」と祝福し、アダムとエバが夫婦関係を結んで子供を産むことを奨励していることから、アダムとエバに夫婦関係を結ぶなという内容の戒めではなかったはずだ。そこで「成熟し、善悪を判断できるまで結婚を待ちなさい」という意味と解釈できる。

結果として、アダムとエバはその戒めを破った。神から追及された時、アダムとエバは「下部を隠した」という聖句が記述されている。

興味深い点は、その後、性的関係を結ぶことがなにか忌まわしいことのように受け取られ出したことだ。実際、ノアの「7戒」、モーセ「10戒」そして仏教の「5戒」には淫乱、淪落を最大の罪としているのだ。

それらはアダムとエバ時代の「1戒」をルーツとしているわけだ。そして人類の罪が広がるにつれて、その戒の数が増えてきたのだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年5月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。