人物を磨く

私は郷学研修所・安岡正篤記念館(@noushikyogaku)さんをフォローし、そのツイートを見ていますが、その中で『菜根譚』にある次の言葉をリツイートしておきました。

天我を薄んずるに福を以てすれば、吾れ吾が徳を厚うして以て之を迓(むか)ふ。
天我を労するに形を以てすれば、吾れ吾が心を逸して以て之を補ふ。
天我を厄するに遇を以てすれば、吾れ吾が道を亨(とお)して以て之を通ず。
天我を苦しむるに境を以てすれば吾れ吾が神を楽ませて以て之を暢(の)ぶ。

天が私に僅かな幸福しか与えないなら、私は私の徳行を高くするだけだ。
天が私に苦労を与えるなら、私は私の心を鍛えあげて対応する。
天が私に災いに遭わせるなら、私は私の信じる道を貫いて行くだけだ。
天でも私の信じる道に対し何も出来ない。

上記は大体の意味です。安岡正篤著『百朝集』によれば、遇は「運よく物事がゆくこと」、境は「逆境」を意味します。良きを受け有頂天になるとか、悪しきを受け悲嘆に暮れるとか、では駄目だということです。基本どれも難しいのですが、要は一言で「艱難(かんなん)汝を玉にす」ということでしょう。

「禍福は糾える縄の如し」「人間万事塞翁が馬」というように、世の運不運・幸不幸は分からぬものです。失敗が成功の基になることもあれば、その逆も又あります。天は、その人が一人前の人間になるよう、様々な試練を与えたまうということです。

それは例えば『孟子』に、「天の将(まさ)に大任を是の人に降さんとするや、必ず先づ其の心志(しんし)を苦しめ、其の筋骨を労し、その体膚を餓えせしめ、其の身を空乏にし、行ひ其の為すところに払乱(ふつらん)せしむ。心を動かし、性を忍び、その能(あた)はざる所を曾益(ぞうえき)せしむる所以(ゆえん)なり」、とある通りです。

孟子は、「天が重大な任務をある人に与えようとする時は、必ずまずその人の心や志を苦しませ、筋骨を疲れさせ、餓え苦しませ、生活を窮乏させ、全て意図とは反対の苦境に立たせる。これは、その人を発憤(はっぷん)させ、性格を辛抱強くさせ、できなかったこともできるようにするためである」、といった言い方をしています(川口雅昭編『「孟子」一日一言』)。

そう簡単に人物はならないのです。安岡先生が言われるように、「本当の大器量、大人物はそんなにちょこちょこっとできあがるものではない、ゆっくり時間がかかるもの」であります。天からしてみれば、与えたもうた様々を肥やしにしながら自分を磨き続け真の人物になって行きなさい、ということでしょう。自分を磨き上げられるか否かは全て、自分次第なのです。


編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2022年5月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。