「東京の生活史」(岸政彦編、筑摩書房)という本が売れているそうです。価格は4620円、1200ページで6センチの厚みがある本だそうです。「150人が語り、150人が聞いた東京の人生」で普通の人のそれぞれの半生を綴った内容だそうです。手に取ってみたい、150人全部は読めないかもしれませんが、そのうち一部でも目にしてみたいと思うのはなぜなのでしょうか?
バンクーバーで日本の映画を撮影していることもあり、有名人が長期にわたっていらっしゃるようです。私の周りでも「〇〇さんを囲む会に行った」という話もぽつぽつ聞こえてくるのですが、全く興味が湧きません。ミーハー(今の方は知らないでしょう。ミーちゃんハーちゃんです!余計わからないか?)云々ではなく、それぞれの人にはそれぞれの世界があり、お互いにそれを尊重、尊敬しあうことこそが美しい生き方だと思うようになったからでしょう。
つまり有名人に会ったところでどんな刺激があるのか、という話です。彼らの私生活をのぞき込んだところで自分がその世界の人間ではないので「それで?」でしかないというのが私のポジションです。
世の中、一人の人が生きるためのオプションは無限に広がりました。素晴らしい世界に生きていると思います。ただ、そのオプションを自分がどう選択し、どうやってその道を歩むかは全く別次元なのです。
著名経営者が人生読本などを発刊したり、エッセイなどを書き綴ったりします。それらを私も読みますが、大企業の経営者と私のような極小会社に生きる人間では比較にならず、参考にならないケースが多いのも事実です。その経営者の手腕に「凄い!」と思うことはありますが、もともと目指している経営が違う中で実感がわくのか、といえばやはり読み物でしかないというのが長年読書をしてきた者の感想なのです。
私の会社ではバンクーバーの図書館に大量の書籍を納品しており、その選書は社内でやっています。粗選書後にバランシング作業をしてジャンルごとの過不足を調整をするのですが、最近、プチ有名人のエッセイ本が大変増えているのです。多分、プチ有名人なら自分との距離感がより縮まるからなのかもしれません。冒頭の「東京の生活史」もその領域なのだと思います。
日本人の生き方は枠から大きくはみ出ずに溶け込むという発想を重視します。では街中で頑張っている方々はどうやって生きてきたのか、といえば私流に言わせると枠が伸縮するのだと考えています。つまり枠の大きさは可変なのだ、ということです。そして一目置かれる人々は枠がとても大きい、だけどきちんとその収まるところに収まっているというのが日本的にリスペクトされやすいタイプです。
一方、海外在住の日本人の方は枠そのものが嫌いで自分の思うがままの人生を送りたい人が多い気がします。私の周りでも破天荒な方はいらっしゃいます。それはそれで素晴らしいと思います。これぞ自分の人生であり、自分が選ぶ道なのです。
先日、日経にマネーに関する人生相談欄があり、50歳で1億5000万円貯めたのでFIREして100歳までのマネープランを、という記事がありました。この質問にFPの方がマネーという領域からきちんと答えていらっしゃったのですが、私はそれ以前に「あなたは目標100歳でちょうど折り返し地点なのにそこから先はもう走らずに歩くのでしょうか?」と聞いてみたいのです。
人生なんてお金の問題よりも今をどれだけ充実して生きるかが全てなのです。70歳になっても80歳になってもキラキラする魅力ある方は常に何かに向かっているのです。それができる方は非凡。できなければいくら資産があっても平凡な人生で終わるのです。
日本には裕福なのに平凡な方がものすごく多い気がします。それはマネーという霧で人生の道筋が見えなくなっているからでしょう。もちろん、お金は大事です。ですが、金勘定するよりも自分のやりたいことに汗をかくほうがどれだけ素晴らしいか。そしてそれを自慢することはないけれど人生の終末近くになった時、「俺の人生、めちゃ面白かったよな」と思いたいのです。
この時期になると一定年齢の方にゴルフ三昧の方が多いのですが、それは時間つぶしだろうか、と思ったりもするのです。私はゴルフを否定しているのではありません。ただ、どう見てもそれ以外を探そうとされないことがもったいないと思うのです。ゴルフが出来るのですから健康なのです。だったらもっと違うことにもチャレンジされればよいのに、考えるのは私だけでしょうか?
私は非凡を目指します。その非凡は金持ちになることではなく、「その歳でまた新しいことをするの」といわれ続けたいのです。なにか新しいことをやる時のワクワク感って一度経験すると止められない癖なのでしょう。
私の非凡の山は決して高くはないけれど緩やかなアップダウンを繰り返しながらしっかり歩いていく、ということでしょうか?
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年6月12日の記事より転載させていただきました。