今、司馬遼太郎の「功名が辻」を読んでいます。山内一豊とその妻の千代が焦点なのですが、時代背景的に豊臣秀吉が主人公並みに描かれています。司馬氏は豊臣秀吉に焦点をあてた作品として「太閤記」があるのですが、それを読んだうえでこの作品を含め、秀吉絡みの小説をいくつか読むと秀吉像がより立体的になり、思うことがいろいろ出てきます。
人の栄華がどこまで維持できるのかという点からすれば秀吉は短い方だったように感じます。特に北条家を小田原で倒したあとはすっかり下向きとなり、朝鮮半島への侵攻の評価は微妙であります。それは侵攻そのものよりも秀吉がなぜにしてそこを目指したのか、秀吉自身が空虚感一杯の中で魂もなくただ攻めたのがアリアリと見えます。その背景には秀吉の家族構成と後を引き継ぐ者が十分育たなかったこともあるでしょう。
人が一生の間、ずっと高い情熱を持ち、前向きの生活を送るのは容易ではありません。多くの方は家族があり、子供がいる生活です。ところが家族の結びつき方も常に同じ温度ではありません。永久の別れということもあるでしょう。
私の周りに2組の、子供を失ったご夫婦がいます。一組は日本人、一組はカナダ人です。両家族ともたった一人の子供を事故で若いうちに亡くしています。一方、相当の富裕層である点も共通しています。年齢的にはまだやっていけるのに日々の生活は人生最後のストレッチのような感じに見えるのです。まるで秀吉と同じような荒んだ余生でしょうか。使い切れないお金をばら撒くといってもよいでしょう。日々、どうやってお金を使おうか、自分が死ぬまでにあとどこでどうやって消費をするかといった具合で傍で見ていると思わず、寂しい人生だな、と呟いてしまうのです。
私は事業投資が三度の飯より大好きで自分の小遣いを削ってでも投資にぶち込んできました。大きな投資、小さな投資を長い計画の中で継続しながら走ってきたのですが、このところ、自分に色あせた気がしていました。ところが最近、日本から旧知で私より20歳以上年上の方が当地にお越しになりました。短い滞在期間に3度お会いし、しっかり話し込みました。というより人生のエキスを少し分けて頂いたというほうが正解かもしれません。
新しいことにチャレンジし、コロナ禍でも全く気を緩めることなく切磋琢磨したその方が私に夢を語るのです。その方が語る夢は過去、私の知る限りほとんど実現させてきました。今回も新たな夢物語を聞きながらその気迫に圧倒されると同時にその方には後光が差しているような気がしたのです。
それから2週間ほどしてこれまた旧知で私より4‐5歳下の方から久々に連絡が来ました。「どうしている?」と。この方との付き合いももう20年ぐらいになると思いますが、会った瞬間にピピッときて気が合ったのです。そして彼とは「縁」もあったと思います。15年ぐらい前、私が東京、青山の路地裏を歩いていた時、私の横を大型のベンツがすり抜けたと思ったら突然止まり、運転席からその友人が「あれー?こんなところで何やってんの?」。また、後年、私が東京からバンクーバーに戻る時「僕も久々に行こうかな?」と言って「飛行機、隣の席に座っていい?そうしたらゆっくり話せるよね?」と。裕福なのに彼は私がエコノミーだと知って「全然問題ないよ」と合わせてくれたのは妙に嬉しかったのです。
そんな彼がメールで2年半前に語った夢がほぼ実現したと報告があったのです。社団法人を立ち上げてある日本の伝統をきちんと磨き、継承するための組織と教育を行うというものです。彼のメールには「これ、全部自分のお金でやりました」とあります。しかも彼は普段は海外在住なのです。凄いとしか言いようがありません。唸ってしまいました。彼もコロナの間、自分の目標に向かってきちんと歩を進めていたのです。
この二人には共通した人生があります。それはそれぞれが少なくとも二つの分野で大成功を収めているのです。その二つの分野は全く関連性がありません。そして更にそれに磨きをかけ、新しいものに挑戦しようとしているのです。
この二人がたまたま同じような時期にやや色褪せていた私に猛烈な刺激をくれたのは偶然の産物だったのでしょうか?
ふと思い出したのが「100x100x100」の話です。100人の中で1番を取る。もう一つの分野でも100人中1番を取る、するとこれは1万人に1人のレベルになります。更に3番目の分野でも100人の中で1番を取れれば100万人に1人のレベルになると。多くの人は一つの分野でトップをとるのにも四苦八苦します。これを3つやれというは確かにハードルが高いのですが、上述のお二人を見ていると「登り方」を知っているのです。だから何をやってもきちんと前に進んでいきます。
その違いは何でしょうか?私は「人徳」、もっと下世話な言葉でいうなら「人たらし」なのだろうと思います。冒頭、豊臣秀吉の話をしました。秀吉と言えば「人たらし」そのもので彼の人生は登り竜のような人生を送ったのです。つまり、絶対に偉ぶらない、下手(したて)に出て人の話を聞き、人から学ぼうとする気持ちを持っているのです。私からいろいろな引き出しては褒める、上手だなと思います。
そして私にはその二人が単なる旧知の仲ではなく、「是非ともご一緒に」と誘われていると思うのです。「是非とももっと高みに」と。
私は友達は多くありません。知り合いはたくさんいますが、友と語れる人は片手もいないかもしれないでしょう。でも確実にこの二人はこの片手の指に入る方々です。会うことは本当にたまにしかないけれど切れない紐でしっかりつながっていることを実感しています。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年6月19日の記事より転載させていただきました。