炭焼きをやるなら、昔と同じように人家から遠く離れた山奥でやってほしい
炭は多様な利用方法があって、生活に非常に有用なのは私も理解している。
それは否定しない。
里山整備、復活事業の口実かもしれない。それも全否定はしない。
環境破壊しない限り、燃やしすぎて大気汚染をしない限りという最低限のことを守る限りは適度になら、進めて良いと思う。
が、実際には環境破壊をしている事例がある。一部では大気汚染、住環境破壊になっている事実は言うまでもない。
自然素材の燃焼だから全く迷惑でなく無害だという言い訳、詭弁は通用しないのは科学的に証明されている事実だ。
儲かるからと間伐材ではなく調子に乗って、ケヤキなど特定の樹種だけを節操なく切って焼いている場所も有る。そして譫言のように「地元産の樹木が原料です」等と言う。「地元のケヤキ」と言えばブランドだと勘違いしているのだろうか。
そのためにケヤキばかり伐採し続けるのだろうか。理解できない。
炭焼きというものは、かなりの煤煙と強烈な臭気、特に木酢臭が発生する。一旦着火したら3日~4日程度は煙突から煤煙臭気が出続ける。もちろん昼夜連続だ。
その排気の臭気は、想像以上の広範囲、かなり遠くまで到達する。それは薪ストーブや野焼きの煤煙も同じなのだが。着火初期と空気遮断で消火のあたりは特に強烈な臭気が出る。実際に現場を見ているから誰が何といおうと事実だ。
言うまでもなく、物事には表と裏があります
表=焼き鳥屋さん等で調理に使う=良い匂い=誰も文句を言わない。
裏=炭焼き現場=煙くて臭い=周辺も困惑。
そういうことです。
街中で生活していて、炭でBBQや焼き鳥などと言っている人たちからは想像もつかない程、炭焼き=炭を作る現場というのは、想像以上に近隣一帯が煙くて臭い。それを知らずに、安易に「炭、いいねえ」等と嘯くのはやめてほしい。
たまにやって来て、焦げくさい臭いを「ノスタルジックだなあ」と思うのは、表のキレイな面しか知らない都会人の感覚だ。住んでいる住民からすれば、この煙の焦げくさい臭いだ。多くの人はひたすら我慢しているだけ。薪ストーブ同様に炭焼釜を規制する法律や条例が無いから、健康を害させられても我慢するしかない。
それなので行政機関も何も対応対策ができないという。かなり離れていても試しに計測器でpm2.5を測ったら、コンスタントに70を軽く越えた。これを耐えろとはあまりに理不尽だ。
昔はそれでも、山奥の谷戸など、人家から離れた場所に炭焼釜を作って炭焼きをしていたはずだ。そういった場所を見学したこともあるが、確かにそれなら誰にも迷惑が掛からない。
山奥ならば気兼ねなく炭焼きが出来るだろう。遠くから材料の木材を運ぶ必要もない。それを生業としていた地域でも、殆どの場合さすがに集落のど真ん中というのは無いと思う。
なぜ昔と同じように山奥でやらないのか?
里山整備、復活事業の一環として、炭焼きを行おう、という動きが有るのは知っているし、それは冒頭に書いたように悪いことではないし、全否定はしない。
しかし、現代においては、それをやる場所を熟考しなさい、と言いたいのだ。
薪ストーブや暖炉についても同様だ。
「やるな」とは言わない。「周囲に迷惑になる場所でやらないでくれ」というだけだ。なぜそんな簡単なことが判らないのか?
なぜ近隣一帯に常に煤煙臭気が及ぶことが容易に予想できるような、住宅近接地で炭焼きをしなくてはいけないのか。
「昔からやっていた炭焼きを復活させただけだから文句言うな」
「里山整備になるのだからつべこべ言うな黙れ」
恐らくはこのように反論するだろう。しかし、これに更に反論する。「炭焼釜を復活させる場所が極めて不適切だ」と言いたい。
なぜ昔と同じように山奥でやらないのか?
なぜ遠くから材料を運び込んで住宅の多数近接した場所でやるのか?
自分たちの炭が売れれば周辺の住環境悪化は知らん顔で無視ですか?
と反論したい。
言うまでもなく、初めから人家、集落から離れた山奥でやってくれれば、こちらもこういった苦言を呈する必要もないのだ。
事業として行っているので、れっきとした公害。規制対象にすべきもの
酷い例がある。釜の運営者は地域の古株で、炭焼釜からは離れた所に住んでいて、その煤煙臭気は自身の自宅には届かない。炭焼釜の煤煙悪臭の被害を与えている地域には住んでいない。
そもそも、近隣一帯に対しては「炭焼釜を作ります、煙と臭いがずーっと出ます」ということのアナウンスも何もない。コンセンサスは全く得ていない。お爺さんたちが大昔を懐かしんでノスタルジーで始めた趣味の一団が、その炭をブランド化して販売し図に乗っている、というよく有りがちなパターン。
最初の頃は冬場に時々しか稼働していなかったのでまだ許せる範囲だが、近年は一年中連続になって、週末中心に煤煙が漂っている。
事業として行っているので、れっきとした公害だ。規制対象にすべきもの。
暖かくなってきて窓を開けてみれば、煙臭いのでやはり窓は閉めざるを得ない。洗濯物や布団も干せない。梅雨時の貴重な晴れ間で換気や洗濯と思ったら煤煙が流れてくる。
言いたくはない言葉を敢えて使いたくなる。
数人のワガママお爺さんたちの道楽のために、何百人もの住民が、ものを言えずにひたすら我慢している。
これをどう視るべきか。
自分は煙や臭気が来ない場所に住んでいて、炭を焼くときだけやってきてモクモクと。これはあまりにも酷すぎると思う。
彼らの言い分では、昔からやっていた、谷戸から立ち昇る煙の風景を復活させたい、というが、私の聞いている範囲では、そんなことは60年以上前には既に無かったと聞いている。
自分勝手なノスタルジーだけで多くの世帯に迷惑になるようなことをしないでほしい。
谷戸の各所から立ち昇る煙の風景が目的なのか。自己満足のために一帯を煙攻めにするのか。許し難い暴挙だ。
販売利益を出しているのなら、煤煙悪臭を除去する装置を取り付けるのが最優先だろう。
そもそも、こんな住宅が多数存在する場所で炭焼きなど、辞めさせてほしい。地域の多くの住民にとっては利益は全く何もない。著しい迷惑だけでしかない。
炭焼釜の直近の多くの家屋の様子を観察してみたが、窓を締め、洗濯物は外に無い。なぜこんなことが許されるのか。
何せ連続だ。点火すれば最低3日は臭い。つまり、年間通じて週末の長時間、この炭焼の煤煙悪臭をまき散らし続けるのだ。なぜこんな事が、どの風向でも風下に家屋がたくさん存在する住宅地で許されるのか。
規制する法や条例が無いのを良いことに、それを平気で運営するのか。
周辺一帯は、みんな困惑しています
こんな人たちに安易にNPOの認可を出して里山整備地域復活事業をさせると、こういう残念なことになる。
里山整備地域復活事業は、行政や地域住民も一体になって、その都度、コンセンサスを得てから進めないと、こういった迷惑な炭焼小屋のような、白い目で見られるような事態になる。
周辺一帯は、みんな困惑しています。行政担当者様。
「里山整備≠炭焼き」ということです。
「住宅地近傍で炭焼き=煤煙臭気で住環境悪化」ということです。
きちんと認識して対策対応指導をして下さい。
苦情が出たら行政の指導でやめさせるか、移転、排気浄化装置の付加を指示してほしい。議員も、自治体職員も、きちんと現状を視察して誠心誠意、対策を考えてほしい。
長年にわたり、住民たちは苦情も言えずに困っています。何度も同じことを言わせないで欲しい。
そもそも、苦情が出ることが容易に予想できるような場所で、煤煙を出す焼却行為をしないでほしい。
炭焼きをしている、或いはこれからしようとする人たちへ
炭焼きに関するサイトをいくつも見ているが、「環境保護」「エコ」「自然をまもる」「森林資源の有効利用」などという定型句でメリットだけを並べている。
それは確かに宜しいことだとは思うので否定はしない。
しかし、その炭焼きという行為のデメリットでもある、炭焼釜から発生する大量で長時間にわたる煤煙と臭気についての迷惑、周囲への配慮についてきちんと語られているものは残念ながら皆無だった。意識が高そうに見えて実は低いのだろうかと疑わざるを得ない。
炭焼きをしている、或いはこれからしようとする人たちへ。
「これくらいならいいだろう」はいけません。
近隣住民のことを考え、その場所の気候条件を観察し、住宅地にまともに煙が向かうような場所での炭焼きは、しないでほしい。やるなら、山奥で。周辺に人家の無い場所で焼いてほしい。
炭焼釜も、連続定常的に大気汚染をする、煤煙臭気を発生させる事業所と同じです。本来なら規制すべきものであることを、お役所も考えてほしい。
以上を踏まえて炭焼き、里山活動をして頂きたいものです。
誰かを苦しめながら、その活動を心から本当に楽しめるのか、その点も考えて頂きたい。
あなたがたの活動が、もしも誰かを人知れず苦しめているとしたら、それはお互いの大きな不幸です。
編集部より:この記事は青山翠氏のブログ「湘南に、きれいな青空を返して!」2022年6月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は「湘南に、きれいな青空を返して!」をご覧ください。