日本人の文章読解能力が驚異的に下がってきている

教養ある人であれ

最近、日本のお客さんからシェアハウスに入りたい旨のメールが来ました。「内覧ご希望ですよね?」と聞けば「はい」とだけ答えが返ってきました。「いつがよろしいか、日時をお知らせください」と書けば「〇日」がいいと。「何時がよろしいですか?」と聞けば「そちらの都合にあわせます」と。「では4時でいかがですが?」と聞けば「仕事があるので行けません」

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私は呪文を唱えているのではありません。しかし、この手のほとんど小学生並みのやりとりはごく普通なのです。先日はメールに「シェアハウス💮」ときました。謎解きです。ウーン、この人は興味あるのかな、と思い、「ご興味ありますか?」と聞けば「はい」だけしか返ってこないのです。つまり、言われたことだけに答える、あるいは言われたことも満足に答えられないケース出てきているのです。衝撃です。

もちろん、こんな方ばかりではないのは分かっていますが、SNSとテキストでのやりとりで文章にせず、単語並べに絵文字で感情表現が当たり前になりつつある今、驚異的に教養レベルが下がってきているように感じるのです。私の想像ですが、今の30代の方が50代になる20年後は文章読解能力などなくなっているような気がするのです。

最近、もう一つの傾向として自分の声で相手に言いたいことを発信できない方が大変増えていることです。つまり、電話で何かお願いしたり、説得したり、説明したりすることができないのです。若い方に聞くと「電話って相手の顔が見えないから怖い」という訳です。では直接会って話ができるのか、といえば「無理無理!」というのです。

何ならよいの、と聞けばメールなら自分の言いたいことを伝えられるそうです。但し、メールというのは一方通行という弱点があり、それを読み手がどこまでしっかり理解するかはメールの表現力や長さにもよります。異様に短いメールでは伝わらないし、異様に長いメールだと読むのに疲れるというよりポイントがどこにあるのかわからないという弱点があります。

文章は強弱感、緩急をつけながら読み手を引き寄せるのが一番です。ビジネスのメールなら10-20行ぐらいでさっと読めるものにしておく感じでしょうか?

このブログのお読みの方からは「お前、何を今更そんなこと言っているのだ」とお叱りを受けるかもしれませんが、私の駄文を読んでいただけるということは読むチカラがあるのです。慣れていないとこの原稿用紙2枚ちょっとのボリュームが全然読みこなせないのです。

読むチカラは書籍、雑誌など長文を読む癖をつけることです。ところがネットニュースなどはリードの部分だけしか掲載していないものも多くあります。つまり事実だけ。そこに割と内容の方向性を植え付けるようなやや過激な見出しがつくわけです。すると見出しを読んで本文、わずか2-300文字の内容にへぇ、という中で一定の色を付けてしまいます。一度色がつくと人はその考えを変えるのにはひと苦労します。言い換えれば人のマインドをコントロールするのはたやすいともいえるのです。

もしもマインドコントロールされたくなければ教養を身に着けるしかありません。日経の私のリーダー論に名古屋外大学長の亀山郁夫氏が「経営能力や判断力が優れているだけではなく、人を精神的に深くうなずかせることができるかどうか。

この人の意見を聞こうと思わせるのは教養です。どれだけ本を読んでいるか。それは文学に限りません。その時代に流行した知的なメインストリームをしっかり追いかける。ここだけはプロとしゃべっても負けないという得意分野をつくる。宇宙や科学の未来でも芸術でもいい。それがないと自信を持って発信できません」。

プロとしゃべっても負けない得意分野を作る、これですね。とても良いと思います。そして教養は書籍だけでは磨けません。なぜなら書籍の著者にも偏りがあるからです。よって同じ分野の書籍をいろいろな角度から読む、あるいは一旦コアの部分から外れた部分も深掘りしてみる、そして最後は得た知識を人前でしゃべる、説明する、討論することでその知識は磨きがかかります。本を読んだだけではダメなのです。

私はしばしば飲みに行きますが、その席の話題がどんなものであれ一生懸命聞き、知らないことはインプットし、自分が知っていることはアウトプットしてみることを心がけています。飲んでいる席ですから気楽だし、間違ったことをいえば「おまえ、それは違うよ」と笑いながら指摘してくれます。

それと最後、教養人は考えを押し付けないこともあるかと思います。モノの見方、考え方は10人いれば10通りあるわけです。ある方の主張に対して「なるほど、そういう見方もありますね」という肯定をしながらどの意見がバランスを含め最も重要なのかを自分の中で再度考察するのです。

私も若い頃は自分の考えを知ったかぶりして押し付けたことが何度もあります。今考えれば恥ずかしい限り。青かったと思うのです。こういう経験を積み重ねると紳士淑女になれるのかもしれません。教養って本当に良い言葉です。私が人生で何が欲しいと言われれば1億円よりも教養だろうな、と思います。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年6月26日の記事より転載させていただきました。

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会社経営者
ブルーツリーマネージメント社 社長 
カナダで不動産ビジネスをして25年、不動産や起業実務を踏まえた上で世界の中の日本を考え、書き綴っています。ブログは365日切れ目なく経済、マネー、社会、政治など様々なトピックをズバッと斬っています。分かりやすいブログを目指しています。